>>196
>善とは快不快や好悪とは関わりのない人間的理性の中にしか存在しない
彼らだけの世界に最後までこの思考は生まれなかったと思う。

善だけ取り上げても、善のまといかたによって、偽善か 真の善の者か決まる。
私が前に >>150 で似たような方向性の論理を説いている。
>生物に善も悪もない。根源が悪で、只管そこに善のガワと悪のガワを重ね覆い尽くして
>自己防衛とより利益損得への優位性を追求しているだけの存在に過ぎない
少し言い方を変えれば、自己防衛と利益損得とその優位性を追求しているだけの存在が、
そこに対し、ある者は善の皮を被る事に優位性と保身に都合のよさを覚え追求し、
ある者は根源の悪に対し、より知識知恵のを司る思考の段階においても、
攻撃性剥き出しで周りにも人間の悪と判断する概念を都合よく利用するように、
悪の皮をまとい被る事に優位性と保身に都合のよさを覚え追求してきて只管重ね覆いつくした存在なのだろう。
ある者は短絡的で劣等だったか運が悪かったか、人類がただ野蛮な猿の時代に負けてきたのか、
或いは野蛮さで勝って来た挙句、只管に力尽くと人を不幸にし殺し踏み台にしダシにしてなしてきた事に、
自他の不幸と幸福の手ごたえを掴みつつ、その結末と答えを見だしてきた底辺だからなのか、
悪がより野蛮にも邪悪にも或いは姑息にも力尽くと盗み略奪し嘘をつく事を諺格言とし学術的にまで目指した
悪の皮を被り、それで周りを納得させ丸め込むための論理を重ね多い尽くしてきたのだろう。
それが朝鮮人というものだと思う。朝鮮という文字は神が与えた刻印だろう