はぁ、面倒だけど投下しておきますかね。
正拳突。オーソドックス。
足を前後に構え突く場合、力の発生源は後足の親指ないし、母指丘。
そこから足首・膝・腰・肩と連動させ正拳を打つ。
なんだけど、これぶっちゃけテレフォンバンチです。相手は膝や腰の回転、ともすれば後足が
踏み切った時点で反応し、対応できる。
完成された正拳突きとはどんなものでしょうね?速さとは、腕の振りや身の切りが速いことを
必ずしも指しているのではないのです。
よく例えられることではあるけれど、ある著名な武術家が赤ちゃんを抱いていて、
不意に伸ばした赤ちゃんの手が武術家の目に当たる。
この「赤ちゃんの手」は何だ?ということですな。
無垢だから、意図が無いから、色々というけれどそこに速さの概念を求めた人もいた。
また、突きの力の発生源それ自体を見直す人もいる。後足の踏ん切りで
力を発生させるのではなく、膝の力を抜くことで上体が落下する、
その落下の質量を前方向に変換することで気配を消し、威力と速さを両立する突き方もある。
そしてもうひとつ、丹田を起点とする突き方。
丹田から腕の先、丹田から後足の先へと同時に力を伝達する方法。
こうすることで、至近距離から、体幹から先の動きしか見えない相手にすれば
反応に費やす状況判断の時間が奪われてしまい、結果として速い突きとなる。
速い突きと言っても一様ではないのです。
何が言いたいかと言うとね、これら全てはオーソドックスの
正拳の型を踏襲しながら、即ち威力と速さを兼ね備えることを絶対条件としつつ
どこを押さえどこを変えればいいか発想の転換が図られているかということ。
膝抜き、後足の蹴っパリ、肩甲骨でのストッパー、当たった瞬間の拳の握り込みetc
踏まえるところは踏まえた上で、足の指先から拳先へという、
即ち下から上へと力は伝達される「はず」という概念を覆す。
起点と結点の、より速い結合。

人間の行動が受・想・行・識の順序で成り立っているとはいえ、
必ずしもそうであらねば「ならない」理由はない。