日常にある理不尽な要求、屁理屈をこねたような邪道的な要求、ありとあらゆる憤慨するような
内容を突き付けられた時、人はあっさり愛を失う。
そして、人はそれらの要求をつっぱねるか、無視をする。
ここではまり易いのが、この無視をするという行為、これが案外脆い。
故に、このポイントでイライラしたり、考えに引きずられ心を悪にをそめるのである。
この理屈による防御が紙装甲で、すぐに壊れ延々と悪の手の内になる。
もちろん、報復はもってのほかである。相手にも自分が感じたものを理解してもらおうと発想し、
それに手を染めれば悪に取り込まれたも同然である。正義と正義の戦いは大体これである。
これらの悪を見た時、消化するのは当然であるが、相手がしつこい、病気を患ってる等の時の対処法である。
(あらゆる行為が気にならないというレベルに達してる人には必要ないことではあるが・・。)
極端な言い方ではあるが、無視ではなく能動的にありとあらゆる理不尽な要求すべてに付き合う。
(気持ちの中だけでも十分よく、むしろその程度に抑え自分の需要も満たす。)

愛というと、恋愛や誰かを好きになるような典型的なイメージを植え付けられてるが、
日常の多くの行動には、愛が付与されている。
例えば、帰りに家族ために何か買って帰ろう自分も食べたいし、
落とし物を見つけたらから駅員に届けよう、こんなことだって愛がないとできない芸当。
自分を嫌っている人をみたら、刺激しないようにしようなど。


愛が行動の中に潜んでいれば、常にあなたは心安らかであり、
正義心や無視を決めた込んだ時、あなたは再び捕らわれの人となる。