>>756
元々は漁師達が平和に暮らす島だった。
旧石器時代の遺跡や貝塚も見つかっているけど、歴史資料には無いので割愛。

村上水軍が来て豊臣秀吉に口説かれ従軍する事になった村上水軍が
江戸時代に貿易や海賊行為に向いていた立地のよかった島を根城にしていた。

発展した島には人が集まり平和に暮らしていた。
焼けてしまってもう跡地しか無いけど過去にはお城が在った事もある。

戦争が始まり空襲被害などに遭い親戚を頼って島に来る人が相次いだ。
親戚の無い人にも当時の大地主が畑仕事や漁をさせる事で土地を貸していた。

戦後間もなく、噂を聞きつけた原住民(と呼んでいる人たち)が流れ着いた。
彼らの目指す所は隣の島だったはずだった。
彼らは言った。

「便利がいいこちらの島に住みたい」

大地主は彼らに土地を貸した。

彼らは畑を荒らし作物を荒らしやりたい放題するので、迫害してB地区へ追いやった。
それから数年が経過し、彼らは島の起源から土地の起源までを名乗るようになり原住民となった。
明らかに日本人ではない言葉遣いもその頃には修正されていた。

A地区では地主の代わりに神を名乗る人が現れ大きな神社が建てられた。
人々は組合を作り、土地を明け渡すまいとして断固として守った。
祭事を作り、新潟の小栗山獅子舞を祖とする獅子舞を船乗りの間で恒例行事にした。
毎年、新しい獅子頭を奉納しちょっとアレンジが加わった獅子舞が文化になる。
これに対抗しようとB地区も獅子舞を始めた。

幼稚園と小学校はくっついていて中学と高校は別。