仙道総合7
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仙道に関するスレです。仙道や瞑想に関係あることならなんでもOK。
高藤仙道に関することもOKですが、専用スレもどうぞ。
前スレ
仙道総合6 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/occult/1477218568/
関連スレ
高藤仙道を実践するスレ 23
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/occult/1510305044/ >背骨から結局1ミリたりとも逃げられてないままだし
脊柱というのは解剖学的に現代人は共通認識として強固に「設定」された、
その内部表現の顕れとしての知覚なわけだ。
だからこそそれは我々の目にはまぎれもない物質として認識される。
一方、チャクラやクンダリーニというのは物理的に認識されない。
物理的に認識されないが、それを感知可能な人たちもいる。
つまり同じ内部表現の顕れと言っても脊柱の如くに強固に、
尚且つ複層的に「設定」された内部表現とは言えない。
したがって、肉体−脊柱というより普遍的レベルに設定されたところの
内部表現のアクセサリー構造としてそれは位置付けられる。
お前はこの階層の違い、ということについて何もわかっていない。
そもそも内部表現ということの意味さえお前は知らない。
知らないのだから黙っておれ、お前がエラソーに口答えする権限はない、
と注意してやっているんだよw そういうどっかのインド人の妄想は別スレ立ててどうぞ
結局設定設定喚いてるだけだったな、お前 そもそもこの現象世界におけるあらゆる事象に、
客観的に存在するなにものか、などというものはまったくない。
この広大無辺であるかのように見える宇宙そのものが、
人の意識の内部において設定されたものの顕れ(知覚)に過ぎない。
宇宙とは我々の外側に広がるなにかではない。
それは我々の意識の中にあるのだ。
つまり、世界は存在しない。
世界は存在せず、ただ我々の知覚が臨場感を伴ってそれらを空想しているに過ぎない。
(厳密には我々というのも実は錯覚だ。たった一人の人間=神がただ在るだけなのだ)
大周天こそクンダリーニだ、プラーナとは氣のことだ、と必死に喚いたところで、
大周天もクンダリーニも、プラーナも氣も、末端レベルで設定された方便に過ぎず、
それらは単に夢の中に出現しているシンボルであるというだけのことなのだ。
夢の中で、その人の内部表現(設定のバリエーション)に依り、
それを道具として利用可能なのかどうか、それだけなのだ。
どちらが正しいか、間違っているか、という問い掛けは従って何の意味もなさない。
あなたにとってそれは道具としての利用価値があるのかないのか。
あるのなら使えばいいし、ないのなら使わなければいい。
それだけのことだ。
それだけのことであるのに、俺様は正しい、お前は間違っている、
という哀れな憂さ晴らしのためだけにこのスレに居座り続ける大馬鹿者が、
明後日の方向を向いた斜め上行く因縁をふっかけてきているのが今の状況w という自分の大好きな妄想でスレを立てたが誰も相手にされなかったクズが
構ってほしくてここに着てるだけなんだろうがwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 大体物理次元を無視するなと一貫してる俺に対してイダピンガラみたいに大雑把な事言ってみたり
全ては夢なのだみたいな完全にズレてる事言われてもボケジジイお疲れとしか言いようがないね
物理次元無視してんじゃねーよとこっちは言ってるだけなのにな、まったく >>214
ちゃんと反論してみろよw
まずは議論できるだけの教養と知能を磨け。 >>216
そんなスレはただの一度も立てたことなどないんだがなw
>>217
一体どこで物理次元を無視しているんだ?w その箇所を指摘してみろよw
我々にとって確たる現実として知覚されている物質も
広大な空間を素粒子が動き回っているに過ぎない。
お前が座っている椅子もお前が知覚していると思い込んでいるような意味では
そこに存在していない。
これは別にインド哲学でもなんでもない科学的な事実だがなw
お前の言う物理次元という概念がニュートンの古典力学の時代のものなんだよw
いいから教養も知性もない馬鹿は黙っておれw こっから先は福祉の領域だな、異常者にかまってやる仕事になりかねない 粒子うんぬんまで話を引き延ばせば外見上は議論になるだろうよ、外見上は。 >>220
それはこちらの言う台詞だw
そもそも一体何が不満なんだ?
お前はお前の信じている体系をそのまま続ければいい、とこちらは言ってるんだ。
お前は間違っている、などとは言ってないんだぞ?
ただ上に書いたようなカラクリがわかってしまうと、
お前がいつもやっているような、気に入らない考え方気に入らない方法論に対して、
言下に否定し罵詈雑言をもって攻撃し排斥する行為は実にバカげた事だとわかる。
なぜお前は様々な意見の相違を認めることができないのだ?
俺様が正しい、という信念は結局お前自身をこれからも縛り続け苦しめることになる。
お前が他者の経験や理論を排斥する代わりにそれを単純に受け流すだけでも
お前はお前自身を今よりもずっと楽にすることができるだろう。
もういい加減にしろ、歳相応に振る舞え。これ以上このスレの投稿者に迷惑をかけるな。 気違いが自分の妄想主張をして叩かれて消える
また現れるの繰り返しだから
目に見えない能力の主張をするのなら人が分かる形で証明しなければならない
あれが出来るこれが出来るこうしたいああしたいでは一般人からいじめられるだけ
さあキミは何が出来るのかな こういう場合はどうしても孤軍奮闘になっていまうのだが
皮肉なことに数年後くらいに偶然コピペされて
擁護的発言を見ることが数度くらいある。
んで否定する方が数レスに渡りフルボッコされるということもある。
といっても後になって擁護される側はあくまで論筋に首尾一貫性を貫いてる方。 熱の続きである。
下腹で熱を発生させて頭に上げて頭中涼を取る。
お断りしておくが百会ではない。
で降ろしてまた熱を発生させる。
なぜだかワカランが何も考えない状態が自然とわかるようになってくる。
で、うんざりするほどやっていくと高藤本にあるエクスタシーが現れる。
たいがい男なんて仙道しようが考えるのは女の子なので
辛抱出来ない状況になる。
※中にはもちろん求道者な方もいるしでだが大方はそんなもんだろう。
これは前立○○なにーのようなもんではなく、刺激一切なしの
体内自家発電である。
そこを耐えるとあら不思議なことにちょっとだけ近づく。 一応自分の体験をもとにしてはいるが
起こることといったら高藤仙道本と変わらんので
お読みいただく側からすればツマラン内容だろう。
がしかしこれをするとなって体験するとそれはそれでな話で
仙道続けるかどうしようかでもしも
他に趣味も無くで忙しくないならやってみて損はない。
ただし、病気(身体と精神)と紙一重の危険な賭けでもある。
もっとも寓話といえばいいのかわからんが
危険を見た普通の人に対していえまあ普通の生活もよっぽど危険ですよ
ということであるらしい。 恥ずかしいことに上でなっていまうと書いていた。
上の状態まででも素質があれば一発だろうし
無ければ一生無い
(いや出来るのは確かだがいつ出来るかも分からず音を上げる)。
とりあえずこれはここに行くまでの外功とか意識の持ち方とか
凄く微妙な身体操作は書いてない。
ここは高藤氏をみならってマジで専門的に科学的ばほうも勉強した方が良い。
ちゅうかそこまで頭良くしないといけないのか?と思うだろうが
自分のバカさ加減を嘆くに、頭が良いに越したことは無い。
ついでに運動神経が良いに越したことはないし
気感も元々あれば良いに越したことは無い。
大体高藤氏の著作は分かりやすく書きすぎている。数式が出るのは
それも分かりやすい数式だが確か1つだけ一冊にしかない。
(で、そういう解説がどんだけ分かりやすくておこぼれを享受してるのか分からんと進まない)
中にはわかりやすくてそういう印象から簡単だと勝手に思い込み
適当なことやって結果も出ず恨み節が出るという酷い話も見る。 どうにも間違いの連鎖が来た様で
(科学的ばほうも)→(科学的なほうも)
申し訳ない。
つまらんこと書いてる気もするが結構初心のうちの方とか
行き詰まりを見せている向きにはここらあたりの基本路線の
地盤固めという点では参考になるかも知らん。
ちゅうか基礎的なことこれでもかとうんざりやって
そこで多少何かが起きたらあとは同じことの繰り返しで
音を上げて脱落するか
やってれば可能性は跳ね上がって別次元の話にいけるか
のどちらかである。
で、たしか「3時間すわらなければ基本何も変わらない、
おれはそれでジャンプした」というような内容がネット上の高藤氏語録であったはずで
これは本当である。
ただし人間は3という数字が古来の本能的なものでたくさんを意味するので
これは長いこと座ったという10時間とかの話かもしれないし
事実3時間かもしれない。といっても外功やってさらにで一体どれくらい
1日修行に費やしたやらである。
結論出すわけでもないがさすがに1、2時間では天才でもない限り
何も起こらないという話である。 仙道で性功というのは哲学的な部分を含む
上で仙道には数学を理解するセンスが必要的なレスがあるが
数学というのは哲学では言語表現できない先の部分を担っている。
数式を使えば感覚を超えた世界を理解・表現することが出来る。
そして仙道では無念無想以降の気感の世界がこの数学で展開する部分にあたる。
仙道の性功はこの数学的拡がりの部分が反映されていなければならない。
その数学の原理にあたる部分が「認知論的アプローチ」
そして割と理解し易い哲学的部分が「老子・荘子」
「生理的アプローチ」と「認知論的アプローチ」をバランス良く行うことが、性命両修。 ししょーおるかー?
本当におなかが気持ちよくなってきたで!
次は何すりゃええんや? 認知論的アプローチってすごいな
目から鱗ってこのことかと今実感してる 三百年前じゃないんだから、そういう分野の本幾らでも探せるでしょ?
実践して向いてりゃ効果が出るし幾らやってもダメなら向いてないだけの話、本の選び方でなんとなく良い本を引くのも才能のうちよ
まあ成瀬みたいな読まずにバカにするよりかは読んだ方がマシ、ただし一冊に付き身になるのは五ページあるかないかみたいなクズ本も読んだ方がいいね ししょーが誰を指してるかわからん。
ネタだと言ってくれ。
時間過ぎてるので今頃賢者モードか、
頭頂までいったかしらん。
ネタじゃないならその段階なら高藤聡一郎『超能力仙道入門』(学研)
の本を買えばそのセンスがあれば
今日ダラダラsage進行で書いたようなことまでやらんと達成できる。
まあお目汚しですみませんとしか言いようが無いが
本当に才能無いと例えに真面目に答えると300年前になってしまう。
いや中国だから3000年いや4000年か。
こういうのは出来るやつにはアホにしか見えないみたいだけど
出来ないとやるしかないということで理解していただきたい。
まあ199と200で自演ととられそうな
偶然があったのは面白かった。 おっといい忘れた。
偏差にはくれぐれもお気を付けいただきたい。
結局は自己責任でいくしかないので。
sage進行でだらだら書き込んだのを読んで
もしもやる気になった人宛。 >>229
ファッションで数式を出してるとしか思えないな どんな方法でも適切に陰陽を循環させると「気持ちの良い感じ」が出て来る。
そのときは気を循環させる方ではなく「気持ちの良い方」に意識を集中する。
すると、気の循環の方は自動的に行われるようになる。
ここで意識の集中の対象が波動感覚に切り替わる。
この感覚が深くなると「定」に入った状態になる、これが全身周天。
これが「相転位周天」で幾何学的な肉体にエネルギ的な気の塊から
気も肉体も波動として捉える感覚の相転位が行われる。 >>235と>>236の書き込み内容の差
これがすべてを物語っている て めぇー発言
恨むな発言
あきらめろ発言
おめえ発言
うるせえ発言
バレバレ発言 差別を実行発言
糾弾されに行きます発言
勿論自費で発言
糾弾旅行発言
体に火をつけて自殺しろ。加担者たちは。 ずんぐりむっくり発言
こづいとる発言
松本の母親がうちの親を小突いてるん
じゃないのか。
そうなら似非同和行為の証拠だ。
一家でやってるな。松本が。
そういうことだ。 へい!タクシー発言松本拓也
オラ 不潔だ!発言
神主さん発言
早い男発言
部落の人発言
ムカつくね発言
ばれとった発言
部落民発言 全部松本拓也 たくま まもる発言
あさだ まもる発言
いろんなまもる発言 メロン発言、スイカ発言など
そのあと八百屋発言やバッタ屋発言など
松本拓也 ヤシ発言もゴミや発言もだ。
似非同和行為による部落差別だ。 直接いってみんさいや発言
配慮してやる発言
やりたくなった発言
ざまあみろ発言
は松本拓也 わたしを落ちる発言で
わざと突き落とした
松本拓也と企画者たちは
焼き殺される。切り刻まれる。 明らかに妬みから我が家を突き落とした
田口の親戚皆滅ぶ。
今囲ってる全員いずれ焼き殺される。 わからないように糾弾する発言
絶望を受けろ発言
自殺するのは自由発言
松本拓也
マキグソ発言は松本拓也
田口宏という腐れ創価学会の象徴を糾弾する。脱会する。 森本はわざとスピーカーや犬の
騒音を立てているくせに
それを糾弾できるのか。
ありとあらゆるペテンを重ねる。
論点ずらし 早くに引っ越しておけば
このような危険装置も使われること
なかったろう。 創価学会とご縁切れ。
松本拓也たちが全部悪い。
俺は関係ない。はよ消えろ。 森本の孫のしんや
民進党広島県連トップの弟がいるから
なんでもやりたいほうだい
熊野町は行政区から無くなれ。
これだけ差別うけても耐えるしかないのは部落解放運動が詐欺である証拠だ。 同和団体が起こした問題に
なぜ俺が巻き込まれんといけないのか。
松本拓也たちが責任を負えよ。
俺は自由なんだ。てめえらなんか関係ない。 集団だからと都合のいい言葉を重ねて
囲い込み あらゆる理不尽は包み隠す
創価学会なんて日本のゴミだ。
早く縁切ってくれ。
こんな目にあわされたのは誰のせいだ。 何故熊野に帰るような糾弾をするのか
俺はよくわかってる。
死ぬまであそこで差別をするためだ。
創価学会も本部派も日本のゴミだ。 ガキにいじめられるのも
この装置も 創価学会の
池田大作だ。
人類の恥 池田大作を糾弾する。 森田益子に差別発言なんて
やらせたら結婚など
無理だよな。松本拓也
お前は天才。
部落解放運動で部落差別を企てる
天才 松本拓也 部落解放運動で部落差別を企てる
天才松本拓也を糾弾する。 何回も作ったり 消したり
反差別共同闘争と
いいながら 差別を繰り返す
部落解放同盟本部派を糾弾する。
絶対許さない。
差別をするなという立場の人間たちが
何をしてきたか告発する。 高藤仙道本には瞑想とか性功の類いが
重視されてないという指摘を目にすることがあると思う。
大陸本だとそのあたり補完していて
当の本人もその目的で書いたという著書がある。
学研じゃあどうかというとそのものズバリというのは
ないのだが
(例を一つ挙げると)金儲けの本があれを気の強化と
性質を良くするものと捉えると成る程となる。
(金儲けの方はネット上でも性功に使えるとはっきり指摘されている)
話は逸れて、金儲けの本だと、ここで難儀になってくるのが八卦で、
現象をより理解する為に、六十四卦までも登場する。
(ちなみに大陸本だと詳しくは無いがさらっとひととおりは解説している)
金儲けの本では相変わらずこのへんも高藤マジックにかかったように
簡単に読み過ごせる性質を持つので
重視しないんじゃないかなあと思う。自分はそうだった。
ここをスルーしても行が進む人は以下を読む必要は無くて
進まないとかだと『易経』の出番である。
まあ大変である。全部覚える必要があるかというとそこは分からんが
行に使える程度に理解と知識を入れる必要はあるだろう。
そこから高藤本等などを改めて読んでみると
読んだ気になって実質スルーしていた部分が
ああこういうことなのねと、
かつて時間を無駄にした自分の馬鹿さ加減に気がつくだろう。 横レス失礼
六十四卦の関係性は時間的経過で理解されることが多いが
あれは「記述」による変化で繋がっているわけ。
どういうことかというと、変化の順序は変えることは出来ないが
記述を「抽象化」することによって早送りして具象的な世界では
ショートカットすることが出来る。
願望成就の秘儀もここにあって、因果を無視するのではなく
途中の因縁を抽象化(場合によってはまじないやお札)で目的の果にワープすれば
因果の秩序を崩すことはない。 続き
それでじゃあ瞑想どうすんの?
という話である。
今でもどっかでミラー作ってたりで(完全じゃない)
かつて高藤仙道サイトなるものがあって
「結局素質次第じゃねえかやってられるか」
という身も蓋も無い話で
「身体が柔らかい人は内功オンリーでもいけますが
身体が硬い人は外功も必要です。」
に近い内容が書いてあったと思う。
※以下は自分の主観ではある。
ここが問題で
まず身体全身が硬いと座ってられないのである。
見落としがちだが
柔らかく強い下半身の支えもないと座ってられないのである。 遠回りするようであるが日々の座る行に加えて
みっちり外功である動功をまずやって
仙道にこだわるなら八段筋だが柔軟やって
いい感じになってやけどするほどのサッショウが出来るようになったら
(そのうちまめができてやけどしなくなる)
練功で気を練るのである。
ここで内功をやってやり方に問題が無ければ
瞑想状態に入れるようになる。
これでもだめなら生理学とかスポーツ科学の本とか
(特に科学気功法の本とか自分は中国語ダメなので無理だが読める人は)
読むと
身体のクセとかが見えてきて、
そこからどうやったら瞑想に繋がっていくか分かるようになる。
あんまり書くとモノが精神世界に行くので危険なこともあって
ごく浅い瞑想から、
次に来る浅い瞑想からの、そのまた次の深い瞑想への
方法は書かない。
ただし、方法自体は難しくなくて出来たり分かれば何だくらいのもので
どちらかというと自分なりのコツを見つけるのが難しい。 そうやって科学的なことも考えると
高藤本『脅威の超人気功法』の練気功第1式が
納得いくないようであることが分かるようになってくる。
余談であるが高藤仙道式の馬歩、
残念ながら膝をつま先より前に出す方式は一時期
ネット上でフルボッコされた。
こういうのも何故にフルボッコされたのかの経緯と
その根拠を調べる必要がある。 それで本人なりに調べる必要がある。
物理が得意なら物理の方面から生理学を読んで
骨格と筋肉の関係性からベクトルとか
どこで力が逃げるかとか、重心がどこにかかるかとか
自分で考える。
物理が苦手でも工作が得意なら自分で人形作ってみる。
どこで力が抜けて、人形が転んでしまうかとか調べる。
で、当たり前だが自分の身体にも当てはめる=修行する。 そうすれば少なくとも人のせいにすることはないし、
他人任せの意見からは離れることが出来る。
また、スポーツ科学で特に練習メニューや食事管理いろいろは
勝利したものが正義という面が見られることがある。
とすれば、
そうやすやすと信じきって良いものかどうか疑問に思うだろう。 高藤仙道馬歩の是非はここでは書かない。
やはり勉強も実践の内である。
といっても肝心な著作が絶版だらけでは今頃
高藤式の気功をやりたいという向きが多くあるとは思えないので
なんともな話ではある。
話が脱線して、日本人は漫画が得意な人が多い。
反面現実を見たデッサンの得意の方は、
漫画が得意の割合より明らかに低い。
これが曲者で上手く書いた漫画で漫画デッサンは見事だが
デッサン自体は狂っているものを参考イラストで見てしまうと、
デッサン経験が無いとコロッと騙されることがある。
※お断りしておくがそこまで悪意のあることをするのは
本当に極一部である。 まただからといって漫画デッサンが悪いというわけではもちろん無い。
大体いい年こいた自分も
週間漫画あたりは読んでいたりする。 申し訳ない、外功の方法の順番は
自分はさっぱり分からなくてネット上で高藤氏についていた方々からの
書き込みがあってから、自分なりに考えてやってみたものだった。
これはもうネット情報が無かったら
自分は相当ないきづまりをみせる話である。 と、だらだら相変わらず書き続いたのであるが、
結局のところ、おそらく、
「その段階のは読み飽きた、」
ということになってる方々もおられるだろう。
お断りしておくが私は高藤仙道実践者というわけではなくて
ただのファンである。仙道というか神秘行自体は
順番とか高藤仙道とは違う。
それでも何かあったらそういう部分が書いてあるので高藤本は
その大半を集めた。 高藤仙道とは違う方面からやってきた側からすると
基礎段階で起こること、することは一部書いてあるのだが
全然強調がされていない。
ネット上では危険である為書かなかったという理由が大きいようである。
ということでスルーしてしまって例えば気功法も
「まず気感高めよう」だけのほうに向いてしまっている。
それでもはっきり書かなかったのはわからんでもない。
自分としてもここでもしも強調してそれを書いてやっちゃったら
その後におかしなことになる可能性おおありで、目もあてられんと言える。
で、案外そういう基礎段階をみっちりやっていると
※これも書いて良いかどうか迷うが結局明示しないので大丈夫だろう
先天の神とか真気とか言われるものになんとなくは
気づいたりする。
強調しておくがそれで先天の神が即目覚めてとかそんな都合のいいものでもない。
これはじゃあどうやったら良いんだ?というはなしであるが
説明がまず出来ない。出来たらあとでわかるような話で
言葉で説明できたら10人が10人一発である。
何でか知らんけどわかっちゃったというモンである。
延々科学的方面にも向かってったのになんじゃそりゃという
非難ごーごーな話である。 「結局お前も書かないじゃねえか」というひどい話だったりする。
※上で書いたように即何か出来るわけでもない、
全く自慢にもならないし、それで優越感に浸れるものでもない。
ただし、そういうのを起こさせうるものとして
世の中には実践方法は書いてある。
個人的には和訳されていて読みやすい
仏陀の生の言葉が集められているものは
実践はまず難しいだろうが読むだけでもお勧めしたい。
高藤本も個人的には勧めるが困るのが
値段の高騰やらもとの出版数が少ないとかの入手の困難さである。 と、ブッダの教えのことを書いてしまったが
自分が実践している身の上でもないのに偉そうに書いてしまった。
申し訳ない。そんな身分でもない。
タオに関しては特に実践の上では言葉にしようもないので
書きようにも書けるもんでもない。
そうやすやすと書き綴ってきたところで絵に描いた餅で
その餅がのどを詰まらせて、息が詰まって
でよく読めよ、絵に描いた餅が食えるかという話で
こういう話に自分で自分がコロッと騙される。 それじゃあ証明してないので
ただのペテンじゃねえかという情けないオチに近づいてくる。
じっさいそんなオチだが
一応帰って来たところを思い出してみるに
一人で目が覚めて周りに誰もいないのでどうしようもなく怖かった。
でまあやめてしまえとも思うのだが
何かが引き止めるので相変わらずやり続けるほかない。
なんかもうくさいオチにしかならないのでここらへんで
ダラダラ続いた連投は終わる。
おられるかは分かりかねるが真面目にお読みいただいたならば
ありがとうで、
その真面目さに良い具合に適当さが加わるように祈っている。 >>275
「 仏陀の生の言葉が集められているもの 」kwsk 詳しくじゃないが、
個人的には上のかたの書き込みそのものの、
『スッタニパータ』に始まって
(リンク先は飛んでない。岩波の文庫本のもの。
中村元博士訳)
それから気になった本を集めたという経緯。 小周天ができるようになると、何か良いことあるんだっけ?
そもそも、何をもって仙道ができるようになったという終着点なのだろう
本当に気といった概念が存在するならば、ジョギングでもした方が余程のこと強くなると思うけれど 実は小周天は霊的な技術なんだけども、そこまで行って更にアレな事になるには結局素質が必要という展開なので 任督脈には他の経絡を調整する働きがあるから、そこを活性化させる小周天には体調を整える効果が期待できる。
「終着点」ってのは確立されてない気がする。
できるってだけなら、気の扱いを身につけたら「仙道ができるようになった」って言えるだろうけど。
それは本格的な行を始められるっていうスタートラインで、ゴールじゃないし。
ジョギングって気とはあんまり関係なさそうな気がするけど。 站椿功なり、馬歩なり、下半身と呼吸法による自律神経の調整じゃないのか
足裏から膝、丹田にかけて、気を練るイメージで走っても効果として変わらない気がするし、
タイムを計測できれば、気を操っていることについて客観的な指標が獲られると思っている
(アイソメトリックなり、筋肉の収縮といった意味では、まったく別の運動だけど) 站椿も馬歩も単に数ある行の一つで、そんなに代表的なもんじゃないよ。
捏球や擦球みたいに手でやる行もいろいろあるし、座ったまま動かずに気を練ったりもするし。
仙道では、自然に呼吸が止まる真息を理想としてて、それまでは自然にゆっくり呼吸する文息を基本としてる。
呼吸法って呼べそうなのは武息くらいだけど、武息は一部の行の補助くらいにしか使われない。
気功で運動能力を高める軽身功ってのはあるし、走ることに気功を応用することはできるだろうけど。
根本的に、イメージでどうにかなるような世界じゃないよ。 仙道は「超越的神秘行」五感を超えた意識の変容と生理機能の次元超越を認めるかどうか。
気の存在は認めてもこの部分を認めなければただの「気功」
方法論と日々の実践の中にこの体験があれば仙道。
だから気功でこの領域に入っているものは超〇〇気功とかことわりが付いているものがある。
逆に仙道やっているつもりでたんなる気功をしている方の自覚は少ないようだね。 根拠や実証もなく認めるなんて、ただの宗教じゃないか
高藤仙道は宗教色を除いて実践的な部分だけを抽出したものじゃないの?
(あ、ここ高藤スレじゃない) その根拠や実証というのが所詮は疑似科学的文脈内でのものだからな
結局はそれらも含めて「そういう設定になっているのだから」とした上で
(この言葉を使うとまた荒れるのかもしれないがw)
神秘行を進めていくしかないのでは? 主客が統合される世界だからね、認めるというのは
自分がその世界に行くことを選ぶということ。 バカと何も理解も体験してないアホがわかった振りをして
本当に解ってる人間は言葉の限界を理解しているからあやふやな事しか言えないという見本みたいなスレだな?
いいんじゃね?バカはバカ相応に喚くのは設定されていたんだからな? ここは何を書くのも自由、アリがちだが必要な意見だね
たとえばランニングは禅として走ることも出来るし
ダイエットのために走ることも出来る。
ただ走れば自然とそうなるのではなく、そういうふうに走ることでそうなる。
目的に合わせてやり方をチューニングすると言ってもいい。
気功も超越的な感覚と意識の変容が起きるような「やり方」をすることで仙道になる。
その「やり方」が何なのかを議論する以前にそれに気づくことが大切。 ただ、それが判るとどうしても生理的に強い刺激を与えて
それを達成しようとする方向に走りがちになる。
その誤りに気付くと「認知論的方法」を選択するようになる。 >>292
もしかしたらそちらにとっては全く的外れに映る話かもしれないが
年始sage進行していた者からで、
あまり自分はたいしたことも書けはしなかった。
ただし、そちらがおられたおかげでこちらのsage進行は
滞りなく繋がることが出来た。
なにがいいたいかというと、ありがとう。 >>292
>バカと何も理解も体験してないアホがわかった振りをして
また自己紹介してる(笑) 仙道ってのは道教の一分野で、体内で気を練る内丹法を軸に、健康・長寿・若返りなんかを追求してきた神秘行。
気功ってのは、仙道の築基の行を元に、武術系の人達が独自に発展・進化させてった行で、多くの成果が仙道にも逆輪入された。
主な違いは、仙道が先天の気をメインに据えてるのに対して、気功は後天の気に特化してるってあたり。
進む道が違うってだけで、どっちかが上だとか優れてるとかいうことはない。 【浄霊】こうやって解決したよ☆体験談【成仏】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1513517078/l50
>>46横レスで失礼致します。
HPとかありましたらぜひお願い致します。
又、46様ご本人様でなくても、この方お薦めだという方でもいらっしゃいましたら
宜しくお願い致します!! 中国武術の一部は、気の概念を取り入れてるだろ
表に出てくると、大概は西洋のボクサーや総合格闘家にボコられているけど >>297
その通りだと思う、異論はない。
ただ小周天に限っていえば気功と仙道の境が曖昧になっていると思う。
方法も効果も一緒にされて、ただ回すだけで先天の気と繋がり
超能力的な力を得られる的な誤解がある。
廻すのは地面をグルグル回るようなもので、そこから離陸して空に舞うには
別の技術が必要なのだが、その点が抜け落ちているためそれさえ自覚していない感がある。
これはあくまで現在の気功や仙道の状況を見ての印象なのだが。 よくわからんな、先天の気は重要な土台みたいなもんだろ?
進む速さに関係するのは当たり前だが厳密に分ける意味も必要もないんじゃねーの
というか俺ヨガ寄りだから違って当たり前か 先天の気とかただの言葉遊びだよ
気にする必要は無いよ 危険度云々は置くとして、ヨガ式と仙道式では、高藤本でもヨガ式だと何重年かかるか分からないとあるが、
実際にはヨガ式の方がはるかに早いらしい
ヨガ式は時間がかかると書いていた根拠は、クンダリニヨガを出すときに名前が出てくる人だが、
実際に、その人はクンダリニーヨガしてたのではなくて、普通の瞑想してたら16年目のある日突然に
高藤本にも、はやいことしたいならひたすら尾てい骨とか書いてあるが、危険性のこと考えて
ああいうふうに書いていたのかもね
高藤聡一郎本人も、行き詰って急激型チャレンジして急速に進んだし ゴーピ・クリシュナのことかな?
クンダリーニが覚醒して、のたうちまわったみたいだけど、
ヒーリング能力や透視能力のような特殊な力は備わらなかったわけ? 先天の気というのは言葉遊びではないぞ、一言で言えば
自分の意識で囲っている以外のすべての気、タオの世界観ではすべて繋がっているからね。
そんなものがもし意識と肉体の内側にそのまま入り込んできたら、それはのたうち回るだろう。
逆に意識の枠が外されていきなり繋がったとしても同様だろうね。
だから意識の変容への適応と気のコントロール能力を高めて準備するんだね。
さてここで上の記述に幾つかの問題提議があることにお気づきだろうか。
自我を中心に考えると先天の気を自分に引き込む、ということになる。
だが天地の理から言うと「先天の気」の方が本体なんだね。
だから準備と書いたが自分の気と意識を先天の気・神に同調させていく方が本道になる。
先天の気やクンダリーニの急激型の覚醒と言うのは自分の中に「引き込んでしまった」わけ。
つまりそういう意識で覚醒させると急激型になる。
本来は自分の意識と気を先天の気の方に同調して垣根を無くして行く、こちらは緩慢型になる。
急激型は先天の気と繋がって同化する際の過渡的なプロセスだと思う。 wikiを引用して仙道はヨーガ、後期密教、チベット仏教のパクリだということを論証した者だが
お前ら何も知らないのに適当なことばかり言ってるな
元オウムの詐欺師や中国人詐欺師が暗躍してる仙道は
早々に卒業するべきだ
詐欺師ばっかり こいつらは詐欺師だから人を騙して儲ける為に
延々と妄想を垂れ流し続けるんだろうが
ROMってる人達はさっさと見切りつけるべきだな 高藤仙道のスレは完全に潰れたから
実際仙道やる人間は減少の一途なんだろうけど 歴史的に見て中国、漢民族に精神性、神秘性を期待するのが間違い
戦乱、殺戮、腐敗の民族だよ チベット仏教徒を撲殺し、法輪功信者は臓器移植の為に生きたままバラバラにされ
文化的なものも全て破壊してしまった連中だよ、中国人は つまり、中国思想が中国人の精神性を崇高なものにすることが出来なかったから
中国は戦乱、殺戮、腐敗に明け暮れたという事実を見るべきだ
また、仙道、気功、中国思想が偽物ばかりで人心を惑わすばかりだから
文化大革命で根絶やしにされたんだ
真実を見る目がある人間は目を覚ませ 先天の気ってのは、単に種類が違う気だよ。
通常の意識からじゃ届かないような、精妙な気。
だから先天の神と繋がるような、特殊な意識状態が必要になる。
>>305 の説明に近いのはクンダリニーだね。
先天の気はもともと体内に隠れてるような気で、そんなに激しくも苦しくもない。 中国の思想って、キャリア持ちの教養だった儒教と、
ヒッピーに受け入れられた神仙思想に分けられるんじゃないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています