チベット仏教は日本仏教と同じく、土着宗教と混交して別の宗教になったから 
転生とか言うんだよ。 
転生しなくなることは「解脱」。 
成仏とは「覚醒者(全ての真理を悟った者)」となることであってまた別の話。 
建前上は生前に成仏することもできる。 

ものすごく狭義に言えば、転生するのが当たり前、という価値観の時代に、 
たった一人転生なんか無いんだと気付いた(悟った)ことそのものが「成仏」。 
輪廻転生という思想を捨てることが「解脱」。 
当時は貴族の子弟たちの間で「坊さんたちは死んだら転生するとか言ってるけど?くさくね?」 
「じゃあ死後の世界はどうなってるんだよ」「地獄とか極楽があるんじゃね?」 
「いやいや、俺はこう思う」 
…といった高尚な議論がたたかわされていて、 
それに対して「ズバリ、死後の世界なんか無い!」と結論を出したのがお釈迦様。 
ただし、お釈迦さまは当時の価値観では自分の死生観は受け入れられないだろうと考え、 
「死んだらどうなるんですか?」という質問には「ノーコメント」としたり、 
「輪廻から解脱することこそ最上の喜び」などとものすごく遠まわしな表現をしている。