秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡
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ザギトワの秋田犬は、マサルよりマーシャがよかったなあー。 俺が、理解できないのは、新興宗教の信者になること。 本気で、新興宗教を信じてるとご利益があると思ってるの? それだったら伝統宗教にもお祈りをすると幸せになれるとかありますよ。 奇跡だってファチマや秋田のように伝統宗教にもあるし、 そこらへんは、無神論者のように全く否定しないわけでもない。 新興宗教は、どう理解したらいいかなほんと悩む。 歴史的に見れば伝統宗教のほうが歴史が長いし、 神は、キリスト以外の聖者を世に送り出したと解釈すればいいのか、 とにかく理解に苦しむ。 >>661 神を理解しても化学的には限界があるからだよ。 頭の作りは森羅万象を解き明かすまで発達してないからだよ。 でも神を理解することは出来る。 なんでどこの報道機関も秋田とファティマの取り上げないの? そんなにヤバイことなの? >>667 なんで取り上げると思ってるの? 嘘ばっかりの嘘報道しか興味ない奴らなのに。 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!? 「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……! しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、 ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、 かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。 ■ファティマと因縁の深い秋田の聖母 「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、 いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、 同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。 さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、 降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、 3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。 つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。 このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、 何か重要な意味があるのではないだろうか? http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html インバウンドの聖地 /秋田 毎日新聞2018年6月29日 地方版 「日本人より外国人が続々と訪れている場所がある」と教えられた。それは秋田市北東部の静かな丘の上にある教会。 入り母屋造りの和風建築で、寺か神社に見える。このカトリック修道院「聖体奉仕会」聖堂に、「涙を流す聖母像」が安置されている。 像は1963年、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏がカツラの木で制作。台座を含め高さは約1・2メートルで、丸い地球の上に立つ。 十字架を背に、誰でも受け入れるかのように両手を左右に開いている。75年1月4日朝、像の目から液体が流れているのが見つかり、81年9月15日まで101回にわたって「落涙」が記録された。 「涙を流すマリア像」として次第に知られるようになり、今では年間約7000人が訪れる。その3分の2がインドネシアやフィリピン、米国、ポーランドなど世界各国からのインバウンド(訪日外国人)だ。 国内よりも海外での知名度が高く「聖地」となっている。 同会は「訪れた人の心のやすらぎの場になれば」(小川恵子会長)と歓迎しており、今年に入って英訳付きの案内小冊子を作った。私の前で「奇跡」は起こらなかったが、マリア像が放つ厳粛な雰囲気の中で、 心静かなひとときを過ごすことができた。【大槻英二】 https://mainichi.jp/articles/20180629/ddl/k05/070/168000c インバウンドの聖地 /秋田 毎日新聞2018年6月29日 地方版 「日本人より外国人が続々と訪れている場所がある」と教えられた。それは秋田市北東部の静かな丘の上にある教会。 入り母屋造りの和風建築で、寺か神社に見える。このカトリック修道院「聖体奉仕会」聖堂に、「涙を流す聖母像」が安置されている。 像は1963年、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏がカツラの木で制作。台座を含め高さは約1・2メートルで、丸い地球の上に立つ。 十字架を背に、誰でも受け入れるかのように両手を左右に開いている。75年1月4日朝、像の目から液体が流れているのが見つかり、81年9月15日まで101回にわたって「落涙」が記録された。 「涙を流すマリア像」として次第に知られるようになり、今では年間約7000人が訪れる。その3分の2がインドネシアやフィリピン、米国、ポーランドなど世界各国からのインバウンド(訪日外国人)だ。 国内よりも海外での知名度が高く「聖地」となっている。 同会は「訪れた人の心のやすらぎの場になれば」(小川恵子会長)と歓迎しており、今年に入って英訳付きの案内小冊子を作った。私の前で「奇跡」は起こらなかったが、マリア像が放つ厳粛な雰囲気の中で、 心静かなひとときを過ごすことができた。【大槻英二】 https://mainichi.jp/articles/20180629/ddl/k05/070/168000c 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 秋田のメッセージに、最後の武器は、ロザリオと御子の残した印しとあるように、 御子の残した印しとは、十字架、その上に記されたINRI(ナザレの王イエス)と 思われる。 現代の世に現れた聖母マリアは、INRIすなわち稲荷、稲荷=FOX=666に 従えと諭しているのでは、ないか? 獣のナンバー666、正に獣である狐である。 666、イルミナティーを崇拝すれば世界は、救われると諭しているのかも しれない。 666、NWO計画が人類を破滅から逃れる手段であると秋田でお告げ があったのだ。 「ファティマの聖母」9月に秋田へ 「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”がコラボ http://www.sankei.com/life/news/170713/trv1707130004-n1.html 第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。 「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。 ■海外で有名 一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。 以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。 ■ “集客”に期待 ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。 秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。 既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。 聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。カトリック教徒以外も注目している。 秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。 ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。 1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子 http://tok2.up.n.seesaa.net/tok2/image/jacinta-1951.jpg?d=a1 今interFMで秋田の聖母マリアを陰謀テーマに、 「泣いて得したことある?」を世論調査してるよ。 New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 https://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 今年は、ファティマの奇跡から101年目で、 バチカン駐日大使も来るようだけど、 ファティマの奇跡から101年目ということで、 今年の秋田の聖母の日には何かがおきるかも。 JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 ちょうどシスター笹川が、耳が聞こえなくなった時期である。 秋田の日本人とは、シスター笹川のことのようである。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年に落涙開始、マリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 ファティマの奇跡から今年は、ちょうど101年目で、 今年の秋田の聖母の日には、何か奇跡が起こるかもしれない。 ガラバンダルの聖母 Japanese - The Message of Garabandal https://www.youtube.com/watch?v=ieqhga0OWeA エレキギターのエフェクター、その名もBLOODY MARY(血のマリア)から ラジオが聴こえ、ギターの音色が良くなったことが最初でした。 BLOODY MARY(血のマリア)を調べて行くうちに、 秋田の聖母やファティマの奇跡と行き着き色んなことがわかりました。 BLOODY MARY(血のマリア)このエフェクターの名前からして縁を感じます。 455名無しさん@1周年2018/07/18(水) 08:31:12.87ID:/knpE0Hv0 戦後、日本は衷心から猛省した。ゆえに人類初の原爆を落とされた悲劇から 立ち直った。これは神の憐れみであった。 しかし人類初の大事故となった福島原発爆発事故から日本人は反省できなかった。 政治家、官僚、東京電力、そして一般国民にいたるまで、臭いものにフタよろしく、 なかったことにしようとし、当該未曾有の事故と真摯に向き合わず、反省もせず、 収束困難な状況下で原発推進政策を敢行した。 核ゴミの処分地も決まらぬまま、海外にも売り込んだ。日本のような自然災害が多発する島国に、 そのような場所はないに等しいにもかかわらず、利権構造の浪に押され、想定外だった問題点を 追及することなく、推し進めた。また食べて応援などという無責任な偽善も敢行された。いまだ 被災地から遠い都道府県のきのこやジビエから出る汚染物質があるにも関わらず、一様に食べて応援、 恐ろしい話だと言わざるを得ない。 どれだけ大きい罪を犯しても、心から悔い改め、「神様、罪人の私を憐れんでください。どうすれば 良いのか、わかりません。助けてください」と罪の大きさに慄然としながら神により頼む時、神は人間の 人知を超えた愛を示してくださる。福島原発の溶け落ちた燃料デブリを回収する方法を与えられる可能性大 なのである。しかし、日本人は全く別の方向に傲慢にも驀進し、今日に至った。 もう、どれだけ神が悲しまれているか、今の日本の状況を見るにつけ、私は極度に怯え混乱し毎日毎日 神に「罪人の我らを赦したまえ。憐れみたまえ」と祈っている。もはや、それしかできない状況なのである。 獣のナンバー666=FOX=稲荷・INRI。 秋田の聖母マリアのメッセージで「最後に残された武器は、ロザリオと 御子の残された印」とあるように、御子の残された印とは、私が思うに 「INRI」のことと思われる。 聖体奉仕会には、 INRIと書かれたイエスの十字架の磔像があるらしい。 これも何かの発見の手掛かりになるかも。 http://stat.ameba.jp/user_images/20160928/19/pia-rairu/26/e2/j/o0480064013759791750.jpg?caw=800 INRI INRI は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、 日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。これは「キリストの磔刑」において 十字架の上に掲げられた罪状書き(イエスが自らを神の子でありユダヤ人の王であると称し、神を冒涜したとの罪状)であり、 磔刑図と呼ばれる磔刑を描いた絵画や、十字架の上のイエス・キリストを彫った磔刑像(crucifix)という彫刻においては、 イエスの頭の上に「INRI」という頭文字が記された札・銘板(titulus)が描かれるのが普通である。また絵画や彫刻によっては、 INRI の文字が直接十字架に彫られていたり、イエスの頭上にINRI の文字が現れているような場合もある。古代の磔刑では、 処刑場に引かれてゆく罪人の首には罪状を書いた銘板がぶら下げられ、その銘板は磔刑時に十字架上にかけられていた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/INRI 秋田のメッセージに、最後の武器は、ロザリオと御子の残した印しとあるように、 御子の残した印しとは、十字架、その上に記されたINRI(ナザレの王イエス)と 思われる。 現代の世に現れた聖母マリアは、INRIすなわち稲荷、稲荷=FOX=666に 従えと諭しているのでは、ないか? 獣のナンバー666、正に獣である狐である。 666、イルミナティーを崇拝すれば世界は、救われると諭しているのかも しれない。 666、NWO計画が人類を破滅から逃れる手段であると秋田でお告げ があったのだ。 ファティマと秋田の事象からわかるように、 神は、存在し、天国と地獄があることは、事実だ。 なのになぜ信仰せずお祈りをしないのだ? この世は、苦行を積む場所、天国に行きたかったら神に祈れ。 New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 http://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? ファティマ第三の予言はエイリアンの存在を告げるものである!!エイリアンと人のハイブリッド“スターチャイルド”の特徴 https://www.youtube.com/watch?v=N64m4yENr30 封印されたファティマ第3の予言が公開される…ローマ教皇の発言、予言の真実、聖母マリアは宇宙人? https://www.youtube.com/watch?v=dR1tpxPIKaA 聖体奉仕会の司祭、故安田貞治神父著の「聖母マリア像の涙」を読んでいる。 その中にも記されてるけど、1973年10月13日の秋田のメッセージは、 1917年10月13日のファティマ第三のお告げの焼き直しであると書かれてるね。 それに笹川さんの長上のシスターが言うように、甘美の芳香が聖堂に 漂った後の堪えがたい悪臭は、「まさに私たち日本人の罪のにおいだ」と 発言したように、ファティマの奇跡の目撃者である、ジャシンタの生誕日、 1910年3月11日の101年後、2011年3月11日に正に日本人の上に天罰が 下ったのである。 New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 https://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be 日本にもカトリック公認の「聖母出現地」がある?! カトリック教会は世界各地から寄せられるマリア出現譚を調査… 各地の司教やバチカンの奇跡認定委員会(1588年創設)などの認定作業を経て、教会としての立場からその真偽を表明するようになりました。 カトリックにおいて「無原罪の御宿り」であるマリアは、罪の結果である死を免れるとともに、死の前兆である老いからも免れたとされています。 そして、生涯の終わりに死んだのではなく、生きたまま身体ごと天に召された(=聖母被昇天)としており、教義的にはマリアは未だに生き続けているのです。 だからこそ、マリアがどこへ現われようとも、教会は即座にこれを否定せず、「聖母出現」の認定作業を行いました。 教会は認定作業を「人々が聖母の形をとった悪霊に支配されないため」に必要な手順としており、 現われたとされるマリアから託されたメッセージが教義に相反する場合は、これを公認していません。 カトリックが公認した聖母出現の代表的なものには、「ルルドの聖母」や「ファティマの聖母」などがあります。 そしてなんと日本にもカトリック教会が正式に認めた聖母出現が存在するのです! 1973年、秋田県の修道会「聖体奉仕会」で、修道者の手に聖痕が現われました。 また、木製のマリア像から101回にも渡る落涙、芳香現象、参拝者の難病治癒なども報告されたのです。 教区司教による調査の結果「奇跡としての超自然性を否定できない」とされ、1988年にバチカン (教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に受理されました。 これ以外にも、仙台や津和野に聖母出現譚は残っていますが、公認には至っていません。 現在公認されている聖母出現は20例にも満たないのですが、世界各地での報告例は、調査中も含めて数千件にのぼるとされています。 その全てが公認される可能性もありますが、調査は慎重に進められるため、急激に増加することはあり得ないでしょう。 http://eyespi.jp/l00970/ 【衝撃映像】「ファティマの聖母」像が動いた奇跡の瞬間! 口を開け、手を前後に… “新たなメッセージ”が届く予兆か!? 聖母マリアの彫像が動くという「奇跡」を捉えた動画が今、世界的な話題となっている。オルタナティブメディア「Freak Lore」からご紹介する。 口や手が動いたと指摘されているのは、かつてポルトガル・ファティマに現れた聖母マリアを象ったという聖母像だ。正確な場所は不明だが、 動画に映る白いマリア像はガラスケースの中にあり、胸の前で手を合わせて微笑んでいる。YouTubeチャンネル「Strange Videos」にアップされている動画は手ブレが激しくピントも合っていないが、確かにその手がゆっくりと前後に動いたり、口が動いているように見える。 株式会社ミーロード PR ただし、この動画には疑問の声も多数寄せられている。撮影の場所どころか日時も不明な動画であり、 動画編集ソフトを使い、静止したものに特殊効果をかけて動いているように見せかけた偽物という意見も根強い。 だが一方で、クオリティの低さが本物の奇跡の証拠だという意見もある。確かに、フェイクならばもっとわかりやすく動かすような気もする。 口の動きがまるで何かを伝えようとしているようだと評する人もおり、聖母から新たなメッセージが届く予兆なのかもしれない。 奇跡の街で撮影された謎のビデオ。その真偽は、見た人々の判断に任されているようだ。 http://tocana.jp/2018/06/post_17332_entry.html 涙のまわりに集う信仰の輪 しかし仮に「偽物」だったとしても、涙するマリア像に集まる信仰の輪は本物だとシュマルツ教授は指摘している。涙の真偽を問うよりもはるかに大切なのは、その像に集う人々の心の葛藤や、希望や、得られた安堵感なのではないだろうか。 聖母が落とす涙によって、確実に癒されている人々が世界中にいる。涙するマリア像のまわりに信仰の輪を築き上げる人々こそが奇跡であって、その真偽は誰にも問えるものではない。 聖母の涙は迷信以上の素晴らしい作用をもたらしているとシュマルツ教授は結論づけている。 https://www.discoverychannel.jp/0000029196/ 秋田の聖母像のメッセージ: (1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金) 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。 (2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金) 世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。 天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、 貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。 祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。 貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。 (3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日) 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に 大いなる罰を下そうとしております。 そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に 死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 ファティマ第三の予言に隠された真実の内容を暴露!公式発表はただのカモフラージュだった!? https://www.youtube.com/watch?v=ZfHpcj03VKo 神の取次ぎである聖母マリアがこんなにはっきりとした形で、 ファティマと秋田で人々の前に現れたのだから、 神が実在することの証明みたいなもんだろう? 仏教とかイスラム教、その他の宗教でこんなことあるか? 少なくとも自分は、聞いたことがない。 なぜマスコミは、スクープしないのだ? 大事件だろ? New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 http://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? ファティマ第三の予言を解明したのに誰も評価してくれない。 JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 ちょうどシスター笹川が、耳が聞こえなくなった時期である。 秋田の日本人とは、シスター笹川のことのようである。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年に落涙開始、マリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 キリシタン弾圧の流刑地、島根でミサ 憲法記念日に信教の自由祈る 江戸時代末期から明治初期にかけて長崎のキリスト教徒が弾圧された「浦上四番崩れ」で信徒が流された島根県津和野町で、憲法記念日の3日、信教の自由と平和を祈るミサが開かれ、約1500人が参加した。 今年は流刑から150年。参加者は津和野カトリック教会から、信徒がかつて改宗を迫られ拷問された「乙女峠」までの約2キロを歩き、殉教者を追悼した。 乙女峠に設置された祭壇の前には、長崎市の大浦天主堂から運ばれた聖母像のレプリカが置かれ、カトリック広島司教区の白浜満司教が「まだ信教の自由が認められていない国がある。世界に広がっていくように祈りましょう」と呼び掛けた。 岡山県総社市から来た大水裕美さん(63)は「私の先祖も潜伏キリシタンで、毎年ここで祈っている。弾圧があったことを風化させてはいけない」と話した。 https://www.sankei.com/west/news/180503/wst1805030057-n1.html 今年の秋田の聖母の日には、ファティマの奇跡から101年目で、 何かが起きるぞう。 安田貞治神父著の「聖母マリア像の涙」によると、 笹川さんは、昭和44年に聖体奉仕会の外部会員となったと書いてある。 1969年(昭和44年)には、秋田の聖体奉仕会の会員であったと いうことである。 そして1973年1月末頃から耳が聴こえにくくなり、 1973年の3月26日に耳が全く聴こえなくなったと記されている。 JACINTA1972のacita=秋田、JN=日本人と1972年には、 秋田の聖体奉仕会の外部会員であったことから、 JACINTA1972の暗示に当てはまると言えるだろう。 エレキギターのエフェクター、その名もBLOODY MARY(血のマリア)から ラジオが聴こえ、ギターの音色が良くなったことが最初でした。 BLOODY MARY(血のマリア)を調べて行くうちに、 秋田の聖母やファティマの奇跡と行き着き色んなことがわかりました。 BLOODY MARY(血のマリア)このエフェクターの名前からして縁を感じます。 そもそも私がキリスト教、マリア像に興味を持ったのが、 Bloody Mary(血のマリア)というエレキギターのエフェクターからラジオが聴こえたのが 始めでした。 そのBloody Mary(血のマリア)というエフェクターは、買ってからずっと使いこなせずにいて、 いくら工夫してもイイ音が鳴らなかったのでした。 そこで私は、SNSに「目覚めよ!!今そのときだ!!」とこのエフェクターに 関して書き込んだら、その何ヵ月後かした後、ふと何気なくギターを弾こうとしたら、 アンプからラジオが聴こえて来るのでした。 これは、アンプの小型真空管が原因かと初め思いましたが、 エフェクターのスイッチを切るとラジオが止むことが分かりました。 そしてギターの弦を弾いてみると、今迄とは違う、とてもイイ音が鳴ったのでした。 Bloody Mary(血のマリア)、wikipediaで調べてみるとアメリカの都市伝説の幽霊とか、 イングランド王女メアリー一世の別称だとか、書いてありましたが、 私は、これをキリスト教やマリアの奇跡と受け止め、 それ以来キリスト教やマリア崇拝をしている所存であります。 私は、BLOODY MARY(血のマリア)、すなわち秋田の聖母に天命を受けたのだ!! 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 最終的な武器は、ロザリオと御子の残した印と聖母マリアのお告げであったが、 御子の残した印=十字架の磔の上に書かれた「INRI」。 INRIは、日本では、稲荷として信仰の対象になり、 稲荷神社=イエス・キリスト神社という説もある。 秋田の第三のメッセージの洪水よりも酷い、火が天から下り、地上は火の海と化し、 生き残ったものも死んだ人を羨むような大惨事から逃れる、神のお怒りを鎮める ためには、日本においては、稲荷神社=イエス・キリスト神社を拝むことであると、 秋田の聖母は、諭しているのかもしれない。 ここは、オカルト板でありながら大変恐縮だが、 ファティマの奇跡や秋田の奇跡を知ると、キリスト教が真理だと思うな。 オカルトは、UFOの目撃やツチノコの発見、心霊写真などなど、 興味をひくものではあるが、だからどうなるもんでもないな。 キリスト教は、2000年の歴史があり、 ファティマの聖母に遭遇したジャシンタやフランシスコ、または、 マザー・テレサなど、ヴァチカンから聖人や福者などとして認定されたり、 そこまで行かなくとも、信仰によって神に愛され死後天国に上げられるという 期待が持てる。オカルトは、それがない。 宗教のが夢があると思えるのだがどうか? 神への忘恩と侮辱を繰り返し続けた人類に対して、 神の取次である聖母マリアがファティマと秋田で警告を発している。 このまま人類が神への忘恩と侮辱を続けるならば、 神は、子である人間に対して大いなる罰を与えようとしている。 特に日本に出現した秋田の聖母マリアは、 日本人に対して悔い改めるように警告しているかのように見える。 神からの罰のその一つの例は、、東日本大震災である。 秋田の奇跡は、ファティマの奇跡の延長線上にある。 そのファティマの奇跡の遭遇者ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 秋田の聖母101回の落涙の数を足すと2011年3月11日。 まずは、東日本大震災として大いなる罰が日本人の上に降りたといえるだろう。 これからも神への感謝と賛美を忘れるようなら再び大きな災いが身に降り注ぐ と考えられる。 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” 1917年のファティマの奇跡から101年目の今年2018年の秋田の聖母の日には、 ファティマの奇跡の時のようにUFOが出現し、 参列者の前でまばゆい光とともに上空を飛び交うかもしれない。 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html 人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。 ファティマと秋田での警告の一部は、3・11の大地震という形で証明されている。 それでもまだ改心しない人類には、第二弾、大三弾の戒めがある。 太平洋戦争開戦の12月8日は聖母マリア無原罪の宿りの日 太平洋戦争終戦の8月15日は聖母マリア被昇天の日 太平洋戦争講和の9月8日は聖母マリア誕生の日 太平洋戦争は聖母マリアと縁があったようだ >>744 それでもって日本キリスト教伝来のフランシスコ・ザビエルが、 種子島に上陸したのが、8月15日の聖母マリア被昇天の日 。 太平洋戦争終戦の日に鉄砲伝来の地、種子島に上陸なんて、 因果を感じますねえー。 奇跡とか以前に、 偶像崇拝は聖書で明確に禁じられている 【衝撃映像】「ファティマの聖母」像が動いた奇跡の瞬間! 口を開け、手を前後に… “新たなメッセージ”が届く予兆か!? 聖母マリアの彫像が動くという「奇跡」を捉えた動画が今、世界的な話題となっている。オルタナティブメディア「Freak Lore」からご紹介する。 口や手が動いたと指摘されているのは、かつてポルトガル・ファティマに現れた聖母マリアを象ったという聖母像だ。正確な場所は不明だが、 動画に映る白いマリア像はガラスケースの中にあり、胸の前で手を合わせて微笑んでいる。YouTubeチャンネル「Strange Videos」にアップされている動画は手ブレが激しくピントも合っていないが、確かにその手がゆっくりと前後に動いたり、口が動いているように見える。 ただし、この動画には疑問の声も多数寄せられている。撮影の場所どころか日時も不明な動画であり、 動画編集ソフトを使い、静止したものに特殊効果をかけて動いているように見せかけた偽物という意見も根強い。 だが一方で、クオリティの低さが本物の奇跡の証拠だという意見もある。確かに、フェイクならばもっとわかりやすく動かすような気もする。 口の動きがまるで何かを伝えようとしているようだと評する人もおり、聖母から新たなメッセージが届く予兆なのかもしれない。 奇跡の街で撮影された謎のビデオ。その真偽は、見た人々の判断に任されているようだ。 Our Lady Of Fatima Statue Move Hands and Mouth Caught On Tape. Paranormal Phenomenon? https://www.youtube.com/watch?v=9cRyia-F1Uo 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” 1636+1635An ET, who appeared in Fatima ファティマに現れたエイリアン(聖母はイシュタールだった)The Virgin was Ishtar, Inanna by https://www.youtube.com/watch?v=0xuEYJj6q1s ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる