秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
秋田のメッセージに、最後の武器は、ロザリオと御子の残した印しとあるように、 御子の残した印しとは、十字架、その上に記されたINRI(ナザレの王イエス)と 思われる。 現代の世に現れた聖母マリアは、INRIすなわち稲荷、稲荷=FOX=666に 従えと諭しているのでは、ないか? 獣のナンバー666、正に獣である狐である。 666、イルミナティーを崇拝すれば世界は、救われると諭しているのかも しれない。 666、NWO計画が人類を破滅から逃れる手段であると秋田でお告げ があったのだ。 聖体奉仕会の歌を発見した。 百一度の涙 - 秋田の聖母 Hymn for Our Lady of Akita https://www.youtube.com/watch?v=nqoyfbUwp8Y ナムナムとキリストの教えだけしか残されていないって、それで十分じゃないのかと思う。 JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 ちょうどシスター笹川が、耳が聞こえなくなった時期である。 秋田の日本人とは、シスター笹川のことのようである。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年に落涙開始、マリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 >>509 数字で予言は危険な行為。 数字に囚われすぎて抜けなくなる。 なんでも数字で考えるようになったら病気だぞ。 >>509 天変地異は年月日は予言できない。 いつどこで何が起きるのかは、見て予言するだけだよ。 「 やがて、世界はサタンによって支配されるでしょう。 それは、人々がそれまで、神の御心を足蹴にするような 行動を重ねてきた結果、自ら招いたことなのです。 サタンはまず、教会と学会を支配します。 そのため一瞬のうちに、人類を滅ぼしてしまうような 武器が開発されますが、教会はそれを止める力も意志も失っています。 この武器を使った戦いが世界のあちこちで火を噴くでしょう。 火と煙が地球上を覆い、海の水まで、沸々と煮え返ります。 この異常な現象によって、地上にあるもの、水中にあるもの、 空にあるものまで破壊されてしまうでしょう。 人類は9分の7( の命が )が絶えてしまうでしょう。 だが、( 亡くなった )者はまだ幸いです。 生き残った者は、絶命できなかったことを激しく悔み ( 亡くなった )者を、うらやむほどの苦痛と 苦悩に、さらされるのですから。 誰がのこされるのか。あるいは残される者はないのか。 …今、私に見えるのは地球上のいたる所で勝利の歌を歌う サタンと( 偽りの )神の姿です。」 >>512 マリアが100程前予言した言葉ですが、当時の予言で考えないといけないと思う。 現代に当てはまった言葉がないところもあるから。 この武器を使った戦いがあちこちで世界のあちこちで までは現在まであった過去と考えられます。 そのあとは未来ということになるでしょう。 今まさしく暗黒世界の中にいるという認識が果たして感じられているかどうかです。 普通じゃないと思うような人はサタンになったと思うべきです。 >>512 それが本当のファティマ第三の予言なのですか? >>517 聞くの? これコピペだよ。 これを事実はどうかお前が確認すれよ。 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 昭和21年に湯沢台に入植して聖体奉仕会の創始者となった菅原すま子さんは、 ファティマの奇跡のあった年の1917年生まれ。 今日のエルサレムの式典で何か摩訶不思議なこと起こってくんないかなー!? ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 秋田の聖母とは何か!! それは、ファティマの聖母の再現である。 秋田のメッセージに、最後の武器は、ロザリオと御子の残した印しとあるように、 御子の残した印しとは、十字架、その上に記されたINRI(ナザレの王イエス)と 思われる。 現代の世に現れた聖母マリアは、INRIすなわち稲荷、稲荷=FOX=666に 従えと諭しているのでは、ないか? 獣のナンバー666、正に獣である狐である。 666、イルミナティーを崇拝すれば世界は、救われると諭しているのかも しれない。 666、NWO計画が人類を破滅から逃れる手段であると秋田でお告げ があったのだ。 秋田は大雨? 明日は5/19 マリア様が最後に泣いたのは9/15 ちょうど逆ならびの日 そんな時に大雨とは なにかのお告げやな >>531 人口削減って本来自然になるべきだと思うんだが 人間の知恵が自然を越えた以上人間自らが手を加える事は避けられない 避けられなくなってから知ってもそれは結果論でしかない もし未来を見通すことが出来たらそうする前に… あーそれでも食ってたなたぶん 太るって分かっててもケーキとか食うもんな 無理だわ。どの道詰んでる イスラエル建国の1948年5/14の旧暦は4/6、 今年の旧暦4/6は、明後日5/20 5、20、4、6 5:46、2:46(14:46)、 666をひっくり返すと999 666を足すと18、999を足すと27 ダニエル書は旧約聖書の27巻 ヨハネの黙示録は新約聖書の27巻 どちらの預言も「27」 18は時計でいうと=6 6と27 今年6/27の旧暦は5/14 やぁ。赤いきつね食ってるかい? たぬきで有名な信楽で列車事故があったのは、ちょうど27年前の5/14だったよ。 信楽のミホミュージアムで数年前、バーネット・ニューマンの「十字架の道行き」が展示されたよ。 アジア初上陸の場所として選ばれたのが信楽だった。 十字架の道行きは秋田の聖体奉仕会の庭にもあるよ。 問題は、避けられないと分かっていて何でマリアは泣いたかだ 何か別の理由でもあるのかねぇ 考えられると言えば実を食った本人が責任を感じている ということくらいかな まぁでも泣いたところで過去が変わるわけでもなし どうなんだろうねぇ マリアが最初に泣いたのは1/4 チェ・ゲバラが旅に出たのも1/4 明後日5/20はキューバの独立記念日だってよ 乗客乗員113名とある。ほんとに? ちょうど311の逆ならび 秋田では水害 何かのお告げやな 「涙流したマリア像」に外国人巡礼続々 秋田の女子修道院「聖体奉仕会」 「秋田−ソウルの定期便ができると、韓国のキリスト教者の方々がマリア像を拝みに来るという話があって、大いに期待したものです」 3月16日の秋田県議会予算特別委員会で公明党議員がそう発言した。創価学会員も恩恵を期待した「マリア像」とは、 秋田市郊外のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にある“落涙の聖母”のことだ。 台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。平成13年の秋田−ソウル定期便開設につながった。「奇跡」を事実上公認 平成25年には、世界10カ所の聖母巡礼所を衛星中継で結ぶローマ教区主催の祈りの行事に、フランス・ルルドやイスラエル・ナザレなどの聖堂とともに聖体奉仕会が選ばれた。年間7千人の外国人 4月中旬のある日、インドネシアから15人の巡礼団がやってきた。世界最大のイスラム教国で、カトリックは約3%に過ぎないが、秋田の聖母マリアはよく知られているという。 以前から秋田を訪れたかったという団長のラウレンティウス・トゥエン神父(51)は「マリア様の涙は何かを訴えるためのものだったと思う。初めて像を拝見して、 どんな困難に直面しても希望を捨てないことが大事だというメッセージを感じた」と話した。 秋田−ソウル便は秋田からの利用客減少で長期運休が続いている。冒頭に紹介した県議会の質疑で佐竹敬久知事は「北朝鮮情勢が影響している」と述べ、運航再開は当面厳しいとの見方を示した。 だが小川会長によると、ソウル便がなくても、フィリピン、台湾、タイ、シンガポール、マレーシア、ベトナムなどから年間約7千人が成田や羽田経由で巡礼にやってくるという。 不便でも、どうしても行きたい場所には人は訪れるのだ。 https://www.sankei.com/life/news/160503/lif1605030017-n1.html JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 ちょうどシスター笹川が、耳が聞こえなくなった時期である。 秋田の日本人とは、シスター笹川のことのようである。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年に落涙開始、マリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 神様御自身が降臨されたという事実は、一度も無いと思うが、 イエス・キリストの産みの親、神の取次ぎである聖母マリアが、 世界中に出現するということは、 すなわち神の子イエスを生んだ神の取次ぎ聖母マリアは、 神のお告げを地上に伝えたということだな。 ポラロイドだと細工は無理だなんていつの時代の人かな? 例えポラロイドカメラが偽装でも、 一刀彫の木像のマリア像が涙を流したのは、 変えられない。 だったらポラロイドの話は出さないほうがいいね 安っぽいインチキ話と思われる ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 秋田の聖母像のメッセージ: (1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金) 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。 (2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金) 世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。 天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、 貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。 祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。 貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。 (3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日) 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に 大いなる罰を下そうとしております。 そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に 死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!? 「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……! しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、 ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、 かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。 ■ファティマと因縁の深い秋田の聖母 「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、 いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、 同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。 さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、 降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、 3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。 つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。 このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、 何か重要な意味があるのではないだろうか? http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 ちょうどシスター笹川が、耳が聞こえなくなった時期である。 秋田の日本人とは、シスター笹川のことのようである。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年に落涙開始、マリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 「ファティマの聖母」9月に秋田へ 「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”がコラボ http://www.sankei.com/life/news/170713/trv1707130004-n1.html 第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。 「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。 ■海外で有名 一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。 以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。 ■ “集客”に期待 ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。 秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。 既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。 聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。カトリック教徒以外も注目している。 秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html Mary Mother of All : E07 - Akita: The Fatima of the East https://www.youtube.com/watch?v=45p81Hm592Y& ;t=628s 秋田の聖母像のメッセージ: (1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金) 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。 (2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金) 世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。 天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、 貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。 祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。 貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。 (3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日) 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に 大いなる罰を下そうとしております。 そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に 死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 神様御自身が降臨されたという事実は、一度も無いと思うが、 イエス・キリストの産みの親、神の取次ぎである聖母マリアが、 世界中に出現するということは、 すなわち神の子イエスを生んだ神の取次ぎ聖母マリアは、 神のお告げを地上に伝えたということだな。 [ ファティマの予言を解読か!? アルパート・パイクの予言を足せば、世界大戦の目的が分かり易くなる!! ] 1.ルシア ⇒ ロシアの崩壊と再生 (第一次世界大戦を挟み、ロシア帝国からソビエト連邦経し、ロシア連邦へ) 2.フランシスコ ⇒ フランスとドイツの崩壊と再生(第二次世界大戦を挟み、フランスの第三から第四・五共和制へ、ドイツ帝国から東西分割経し、ドイツ連邦へ) 3.ジャシンタ ⇒ イギリスとアメリカと日本の崩壊と再生(第三次世界大戦を挟み、日本とイギリスは分割を経することになり、アメリカも何らかの形で崩壊と再生を築き上げる… ) [ NEW ] 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!? 「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……! しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、 ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、 かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。 ■ファティマと因縁の深い秋田の聖母 「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、 いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、 同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。 さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、 降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、 3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。 つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。 このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、 何か重要な意味があるのではないだろうか? http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html 今年の秋田の聖母の日には、チェ・ノトゥ駐日教皇大使が来ます。 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html いつのまにか秋田の聖母のまとめサイトができてた。 「動画あり」日本で起きたファティマの予言 バチカン公認の奇跡 涙を流すマリア像・秋田の聖母マリア 日本で起きたファティマの予言だってww これって凄くね?大発見だよねww ファティマ第三の予言が日本で開示されたなんて、 世紀の発見だーすごーいww 鬼退治の話をしているわけではないんだけど 『伊達の桃太郎』 とある人物の名前に『修道』(脩)と付いていない? >>598 それは、わかんないけど、 今マリア観音についてひっかかってる。 『松傾』 「ママ〜 る〜るるる〜、あ〜寒い、寒い」?みたいなことが書いてあったり 何か事を起こし、追放されたりした後に・・・ 誰か(何か)に出会い、反省しなさい? そして弟子(門下、門弟)になったみたいな話でしょ 『ボーボボ』 なぜか同じ、グーグルなどで調べてみて、画像 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.4.6 2024/03/23 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる