>>164
多少専門的にならざる得ないが、注意事として「霊能」の事と「霊覚」の事の差ってのを知っておくと良い。

「霊能」に類するモノってのは、幽界や霊界を通しての霊的なヴィジョンで語るレベル。
「霊覚」に類するモノってのは、宇宙の法則と一体化し霊魂の行く末を語るレベル。

格という意味では「霊能」レベルは「霊覚」レベルに比べれば、遙かに劣る。
それは、霊能力と霊覚力でも同じ。霊能は全体の部分的であり、霊覚は全体。

で、個人が「霊能」力に類するモノを持った場合、
そのレベルに在る場合は、これまた簡単に足下をすくわれると言う事ね。
それらに夢中になり、おもちゃを与えられた子供のように簡単に騙されるのね。

だから、釈迦なんかはそれらの範疇(霊能的力)や(能力)自体に傾倒する事を禁じた訳だよ。
基本的にひけらかすよりもそれらを封じる方に重きを置くモノだから。
強ければ強いほど必ずこうなる。

要するに、普通に「地に足をつけずに居る者が、ましてや自身を研ぎ磨こうとしない者」が
(あたりまえの事だが)
霊能ごっこや能力ごっこで喜んじゃってアレコレ言ってる内はダメって事ね。

つまり、霊能や(超)能力が出来るからと言って、覚醒とはならない。
何度も言ってるけど、そんな些末なもので喜んでる内は途上も途上なのですよっと(笑)