不明なものに対してよくある、「客観的に確認が取れるまで認めるべきではない」、という考えもあれば
偏りはあるものの多数の状況証拠と歴史に加えて自分の体験があるのだから否定するべきではない
という、「確実に違うものだけ排除するべきだ」、という考えもあり対立してるだけだな

肯定派の「こんな掲示板で客観的に確認することなど不可能だ」と言う意見はこの場においてはとても論理的だと思うし
懐疑派の「話のつじつまが合わない、証拠不足、主観だけではバイアス等を排除できない」という意見も正しい

連投している人にはなぜ分からないのかと、まるで不思議な力が働いているかのように感じるかもしれないが
「認める」を社会ラインと同等に設定するか、もっとゆるい個人ラインにするかの違いがあるだけだと思うよ