>>741
>その慰霊碑付近でみた霊を「死んだことに気付いていない幽霊」としているのは肯定派(目撃者)ですよ。
>慰霊碑付近では「飛行機事故に遭ったことに気付いていない幽霊が、家に帰ろうとタクシーや車を停める姿」が数多く「目撃」されています。
事実と言えるのは「幽霊がタクシーや車を停める姿」が数多く「目撃」されていることであって
幽霊を肯定する場合「供養を求めて現れるのだろう」と考えるのは自然である

>肝心の、そう考える合理的理由は何処にも無いですね。
冷静に考えたら、霊を肯定する人ですら、「死んだことに気付いていない幽霊」が慰霊碑に移動して出現することには不自然さを覚えるのでは?
こういうケースでは、「慰霊碑がある場所=死んだことに気付いていない幽霊が出現する」という情報が見る側の心理に影響したことにより
「本来はそこに居ないはずの幽霊」の目撃談(慰霊碑周辺での幽霊目撃談)が「作られた」と考えるのも不自然です。

>本来居る筈の無い場所での目撃談が現に有るわけですから、これはもう仕方有りません。
「死んだことに気付いていない幽霊」や「本来居る筈の無い場所」というのは
「もし幽霊がいるとするならば」と仮定した理屈であり
そう仮定する限りにおいて「供養を求めて現れるのだろう」と考える方が正しいと言える
なぜなら、存在すると仮定するのは「肯定することを試みる」ということだからである
実際には、幽霊は存在しない(偽情報である)というのが大前提なのだから
多くの人が亡くなった場所だろうと「偽の体験」ということになるわけで
論理的には、この事例はよく聞かれる幽霊目撃談の一つに過ぎないと言える