霊とは何か 9 [無断転載禁止]©2ch.net
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賢明な種類の人間には既にわかっていると思うが、幽霊などは存在しない。
死んだ人間が、生前の人格を持って現実世界に関与する、いわゆる死後生、霊魂、
「あの世」などは無い。早い話が、人は死んだら死にっぱなし。復活の裏技なんてもの
は無い。幽霊なんて存在は、この世界のどこにも居所が無い。
人しばしば霊を見るが、大多数は脳の誤動作、その他の残りはどーせ、嘘とインチキだ。
そんなわけで、このスレでは霊を幽霊とは切り離して考える。いや、切り離すために
考える。人が捉えるべき霊というものが何かを考えるわけだ。
例えば、人工知能に生前の人格をコピーした場合それは霊なのか。
物理学的に自然を見る時の幽霊像がどれだけアホか。
心霊ヲタの戯言が如何に間抜けかとか、スピの脳構造のやばさとかさ。
あと、自然崇拝の中に育った伝統的な霊や神の見方や考え方とかもね。
このスレでは、ゆん系電波で脳味噌の緩んだスピや心霊ヲタをゲシゲシと足蹴にする。
(ってことでメンタルの弱い心霊ヲタは遠慮してくれ)
そんな感じで、俺様が独善的に語るスレだが、俺様が飽きたところで終了する予定だ。
霊とは何か (初代スレ)
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1448724277/
霊とは何か 2〜8
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1455141772/
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1457787007/
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1458211048/
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1458644067/
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1459185437/
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1460177084/
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/occult/1461424984/ ありー?8のURLが変なんだけど、大丈夫なのかな?まあいいや。
お、2get早いね。w
さて、久しぶりにのんびりと帰国して心霊ヲタをじたばたさせようと言うわけだが。w 前のスレとか変な荒らしがいたからなぁ。
普通にディスられるより変な感じだったよあれは。 1年ぶりくらいになんじゃねーの?これって。w
まあ、暇つぶしくらいの感覚でぼちぼちやるとすっか。 心霊ヲタはちったあ成長してんのかね?
つーか、2ちゃん自体はちょいちょいかわってんじゃね?
心霊ヲタは2ちゃんにまで成長で追い抜かれてどーすんよ。w そういえば、統一教会って知ってる人多いと思うけど、いつの間にか名称変わってんのな。
世界平和統一家庭連合っていうらしいけど、統一とかをあえて伏せたりして家庭連合とか
元の名前を連想できない感じで活動活発になってねーか? えっと、いくつ書かないと即死DAT落ちだっけ?
まいっか。 「霊とは何か」
それは、糞とは何かと同じような疑問で、考えるだけ無駄だとは思う。
ただ、霊と糞とには明らかな違いがある。
糞は確かに見えるが、霊は見えないんだ。 【 開示 】 ※責任の取れる方のみ読み進めて下さい。
(霊的に障害が出ても修正の出来る人)
世界情勢の動きを書こうと思っていましたら、丁度お盆の真っ最中に入ってしまいました。
お盆の真っ最中というのは「旧盆」と「新盆」の間のことで、(以前書いたかもしれませんが)
このお盆の間は冥界の不浄霊が地上に噴出してきます。
(以下略〜掲示板へ)
2017/7/23 No.349
掲示板 http://www.mandarake.co.jp/publish/space/ 最近は一切の議論を拒絶するタイプの連投荒らしが多い
IPを強制開示するスレッドにする方がいいかも
多少は無意味な進行を抑制できる、… 事がある あーそうなんだ
まあこのスレは昔から荒らしが多いしコピペしまくったり発狂したりはなれちゃったけどね あ、間違えた。
これこれ。
なんか変だと思った。
久しぶりだからな。しゃーない。 何個か書かないとDAT落ちしちゃうんだよな。なんか書くか。
さて何を書こうか。最近キーボードで遊ぶ事がめっきり少なくなってたからな。
とりあえず、心霊ヲタでもディスって見るか。
心霊ヲタ。まあダメな奴らだけど、どこから行こうか。
まず、物事の考え方がダメだよな。背後霊とか、守護霊とか、すぐに手近なミラクルにたよる
じゃん。
「(死んだ)おじいちゃん、私を見守ってて」って感じでさ。
「おじいちゃんの馬鹿!私受験に失敗した!」
もし幽霊が居たらその背後でおじいちゃんの幽霊が
「見守る以外のことは頼まれておらんよ」って冷たく言うだろうな。
まあ幽霊なんて居ないから、おじいちゃんもそんな戯言聞いちゃ居ないけど。 ああ、イマイチ調子が戻らないな。まいっか。書いてるうちに感覚戻るだろう。
まださ、「見守って」とか言うのは許されるレベルだよな。
露骨に「おじいちゃん助けて!」
これはアウトだな。成仏させてやれよ。お前の不手際で死人を働かせてんじゃねーよ。
実際は幽霊なんて居ないし、霊魂なんてものはないし、人間死んだって霊魂に転職なんて
しないから、じいちゃんはそんな泣き言を聞いちゃ居ないけどね。
心霊ヲタってのは、本質的に実社会で能力的に劣ってるんだけど、その劣った部分を努力
という形じゃなくて、都合のいいミラクルに期待して乗り越えようとするむしのいい種類の連中だ。
そんなことやってるから、いい年になっても成長しないんだけどさ。 このあたりの話は、重複になるだろうけどまあぼちぼち書き並べていく事にしよう。
心霊ヲタが問題に直面すると、現実をきちんと見つめて分析なんてしない。
基本的に他力本願だからな。まず多分、問題に遭遇した心霊ヲタが際著に直行する場所は
寝床だ。ベッドとか万年床とか、あんまり干したり洗濯したりしてない、不衛生な場合が多いな。
で、さっきまで包まってた布団に潜り込んで、ミラクルな解決策を妄想するんだな。
この辺はスピにも似てるけど、スピの場合かなり拗らせてるから
「世界が崩壊して自分だけ救済される未来が来る」って方向に行っちゃったりする。
この点、まだ心霊ヲタはライトだな。大体の場合「霊能力があれば」で発作がおさまる。 そういえば俺、キリスト教も嫌いだったな。つーか大体の一神教は嫌いだ。
この辺の奴らの考え方は自分に都合がいいんだよな。
そういうこともおいおい書いていくか。
仏教ってのは「みつを」的ひらめきとして名言の延長扱いするならまあありだけど、実際
極楽浄土に行けるなんて思ってる奴は馬鹿だな。
個人的には神道はありだと思ってるけど、それについてもまた書いていこう。 このスレでは、幽霊なんて居ないというのが当然の常識として話が進むわけだけど、霊って言うと
ちょっとだけ事情が違うんだよな。
まあ、スレタイなんだけど。
つくも神 付喪神 つくもがみ
長い年月を経た「物」に魂が宿るつったりするけど、その宿る魂ってなによ?と
霊魂なんていう精神体だの精神的実体なんてものだという意見は完全却下。
いや、そもそも、長い年月ってどれくらいよ?靴下あたりだと1年は充分長いしな。
以前からのこのスレの流れでは、そういう意味で意識って話もしてたな。
物質、つまり無生物に意識様状態が現れたりしないのか?という話なんだけど。
もちろんこういう話も、全部、幽霊みたいに生前生きていたとかなんとかの、
スーパーボディー化した人間ベースの存在とはまったく関係ないものとして進む。 だいたい、人間だけが浮いたり、すり抜けたり、瞬間移動したりするスケスケボディーに
ジョブチェンジするって考え方が都合がよすぎる。
そんなものは無い。
でも、自然界に意識様状態や意思を思わせる挙動が無いとは言い切れない。
なんつったって、この世界のほとんどすべてのものは電子の塊だからな。
石ころだって、なに考えてるかわかったもんじゃないってことだ。
とはいえ当然、何かしらの好みや習性が無生物にあったとしても、それを人間が理解できる
なんてさらさらかんがえてないけどさ。 あとどれくらい書けばいいんだろう?
25くらいまで?30かな?
まあ落ちたら落ちたでまた立てればいいか。 だるくなってきた。
この辺で今日は終わりにするとしよう。 人間の脳だって電子の塊だけど、その電子が特定の構造にしたがって仕事をしてる。
こんな脳のような、ニューラルネットワーク状の状態が自然界にあるかもしれない。
人間の理解の範囲を超えて。
そういうのがもしあれば、それは霊といってもいんじゃね?というスタンスだな。
そういう意味で、植物は充分に霊を思わせる構造をしてる。
サボテンって怖がったりあわてたりするらしいし。
このあたりの霊ってのを否定してるわけじゃなんだな。
このスレで完全否定してるのは、人間ベースの霊魂。この都合がよすぎる存在と、それに
まつわる考え方だな。 上げたらこの作業短縮できるかな。
ちょっと休憩してもしかしたら寝よう。 海外の心霊スポットとか日本とは比にならないぐらい人が死んでる自殺スポットとか行っても全く怖くないんだよね、何故なら文化が違うから。
文化が違えば意識も変わる。
日本は宗教的な文化が刷り込まれすぎてこの世あの世前世来世とか潜在的に意識してるんだよね。 まあなぁ。
いくら場所が神社でも、本殿から志村けんが出てきても、外国人だったら病人にしか見えないだろうなぁ。
「オジイサン ダイジョウブ デスカ?」 「あぁ〜?」
「ダイジョウブ デスカ?」 「あんだって〜?」
「ビョウイン ドコデスカ?」 「とんでもねーあたしゃ神様だよ」
うん。この場合、外人の方が正しい。
日本の場合文化が熟成してるから、場合によってはネルシャツにデニムでスニーカー履いたじいさんが、
「わしゴッドやで」っていっても「ありがち〜」とか言う奴も居そうだ。
だけど、サタンのイメージは多分全世界共通でやべーな。
たぶん、あのイメージなら文化なんかお構い無しの猫だって秒で尻尾が太くなるだろう。
何の話だっけ?
昨日は心霊ヲタとかスピのヤバイところをちょっとだけ書いたんだっけ。
ちょっと急ぎ働き感があったけど、スレも落ちなかったし、ここからはいつものペースでゆっくりやろう。
まず考えるのは自由意志とか、決定論の話をどのあたりでするかだよな。
とりあえずは先送りだな。
例によって、最初は霊魂なんて存在しないって話からぼちぼちいこうか。
明日から。 この世に物質なんてのは無いに等しいのが分かったんだろ?
そうなると肉体より霊体のほうが本物だと思うんだが。
よく分かんねーけど。 「霊」と言うのは文化的概念じゃないかな
死者由来とするものなら生前の死者の記憶や動向や思考を概念としての存在を仮設したもの
だからそれを思い起こす生者に記憶のある範囲の事しか言わないし動かない
勿論生者の脳内に仮設された概念だから実際に行動したり言ったりする訳じゃないけどな
想い起こす生者がこの死者ならこう言いそうだって事しか言わないし
生者が危機から逃れた時にあの死者なら助けてくれる守ってくれると思う人がそうしてくれたと勝手に思うだけ
ある意味空想の存在
だけどだからと言って無駄で無意味な存在だって訳ではない
何かの時にあの死者ならこんな時どう助言してくれるだろうか何て叱られるだろうか
そう想像する事で自分を見つめ直す事が出来るしどうすべきかを考える手助けに成る
特に仏壇や墓を拝む時には自分はこの死者に誇れる胸を張れる自分であるだろうかと見つめ直すきっかけにもなる
本来何も言わない何もしない死者を自分の心の中に仮設する事で
死者に導き戒めて貰う事が出来る 名前忘れたが本物の霊能者と有名なおばさんは、霊の姿そのものは
その人の頭で作り出してるみたいなこと言ってたね
千原ジュニアの体験談で友人複数で同時に見た女の子の霊の姿が
一人の友人はこっちを見て笑ったといい、残りは俯いてる姿しか見てなくて
笑った姿を見た友人は次の日事故死したとかいう話があった
もしそういったものが存在するなら死んだ友人は波長が合うような感じで
意識に意識を引っ張られたような感じかね
その瞬間が不気味なイメージで再生されたみたいな? 文化的概念として捉えられる霊もあるだろうな。
そうなると、全く実体が伴わなくても下の方に書いたような優位性も出てくる。
この手の捉え方はかなり堅実な考えに基づくもののように思える。
まあこのスレの場合、人間由来の霊は霊魂やら幽霊として考えるから、他の考え方も書いて
か無きゃいけないんだろうけど。
言葉である以上、複数の意味や捕らえ方が存在するけど、そこが理解の妨げになったりもする。
例えば、幽霊なんて居ないという前提で、本来自分にとって必要な努力や戒めなんてものを
お手軽にスキップしなければ、それは生物としてあるべき姿だろう。反面、私の守護霊は強いだ
とか、スピリチュアルな気で満たされてるからという滑稽な前提で物事に対処するのは、それが
人間だというメタはおいておくとしても幼稚といえる。
個人的には、もっと端的に「死んだ人間は帰らない、助けてくれない、見てくれてない」だから
そんな、「冥福を祈って送り出した安らか状態な存在に、変な作業を押し付けんなよ」と思う。
しかし、これもまた「私の姿を見せてあげたい」という論理的にはリンクが成り立っていないはず
の遺影と死者の眼差しを同一視して、覚悟の場所に亡くなった人の写真を持ち込むというのが、
祈る人間側のクレクレじゃなく、自ら何らかの結果を差し出したいという意思によるものだから、
論理はともかく成り立ってしまったりもする。
概念的で広がってしまったものの多様な捕らえ方というのはやっかいだ。
ただ、観念的な純粋さはベクトルが己に向かうのか、外部に向かうのかで判断できる。
ちょっと文章が硬いから今日はこの辺にしよう。 ::::::::::::::::::::::::::::,.(⌒ 、::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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/:::: | [●|圖|●]< タエガタキヲタエ…
.|:: |: | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| シノビガタキヲシノビ…ドヨウビ >>29
>文化的概念として捉えられる霊もあるだろうな。
あくまで個人的に
「霊」は文化の中にしか存在し得ないものではないかと思う
死者を悼み想う文化や怪談を含むオカルト文化の中に
前者は自分を他者の視点から見つめ直す道具として
後者は人生を楽しむ娯楽の道具として
オカ板ではその娯楽や趣味としての「霊」に重点があると思う
文化的存在としてではなく実在するかどうかの議論も含めて 霊というのは幅広い概念だな
日本の神道はアニミズムの要素が濃いから、巨木や岩、山や滝などにも霊が宿るとか言うよな
それから人間の死者の霊、いわゆる幽霊のこと
あとは神由来の宗教的な霊、キリスト教のでいう聖霊みたいなもの
どれも起源はかなり古い時代までさかのぼるんだが
現代はそれらの概念がごちゃまぜになって収拾がつかなくなってる感じだな >>33
自分はアニミズム的な霊や精霊や神そして勿論死者由来の幽霊も含めて
それらは全て人間文化の中に存在し人間文化の外には存在しえないと思ってる
宗教は人間が創った文化なのであるし神も全ての霊もまた人間が創った概念
だから宗教文化の違いによってその形態は異なっている
代表例としては一神教であったり多神教であったり
人間なくして神も霊を存在し得ないんじゃないかな >>34
>人間なくして神も霊を存在し得ないんじゃないかな
それはそうだと思う
ただ、「霊」について考察することで、その時代の精神文化的な背景を読み取ることができるし
指標として面白いと感じてる >>1 いちおつ
おお、スレ復活したんだ
ポケモンGOやってるふりをしつつUFOを探している、UFOが好きなオカ住人だけど
スレ主好きで
前々前々前スレあたりを閲覧していた
UFOて単語でなにかを誘導しようとしてるわけじゃないんで。勘繰らないでなー。ではでは 当時のスレの状況ってどうだったっけな。このスレやたら荒らされるからな。
霊が人間の文化の中に存在するって言うのは分かるんだよ。
ただ、それをどう考えるか。
幽霊なんてものになるとそれこそ文化ありきでしか考えられない。ただ、人が考えられる霊は
もう少し幅が広くあるべきだと考えてる。
極端な事を言えば、今の人間の理解というのは未熟すぎると。
そして概念がごちゃ混ぜになってるもの常々感じる。
人間の文化から生まれ、その文化によって都合よく解釈される霊。
まあ人は弱いからな。そして自分に都合がいい。
一神教、多神教の話もちょうどいい。
今回のスレは面白い。
さて、そういうことを踏まえて、今、霊を考えるとするなら人間はどう考えるべきか。そして、
どこまでこの世界を理解できるか。まあ生き方や覚悟にもかかわるんだけど。
そういう話を最初に、ちょっと駆け足で書いてみよう。
第一に、人は何を理解できるのか。
まず、以前のスレでも書いたように、「コウモリであると言う事はどのような事であるか」だな。
大多数の人間がそうであるように、人は人の範囲でしか物事を理解できない。
当然人でないもので在る存在の事など、現代までの人類には出来てなかった。 人の考える理解とは何か?理解ということ自体何なのか?認識と言い換えようか。
認識には、意識というものが必要になる。意識とはなにか。
人は蝙蝠どころか同種族であれ親子であれ、他個の意識を正しく理解する事は出来ない。
言葉による意思の疎通である程度近い理解を共有できるが完全ではない。
その人間が、他の何かを理解できるだろうか?答えは前述の通り蝙蝠であるという事さえ
手探りにも届かない状態だ。
では、もし鉄屑や瓦礫に意識かそれに似たようなものがあると考えられる構造があれば
どうだろう?
脳というのは知っての通り、ニューラルネットワーク。媒介するものは電子。だけどこの世界の
半分、数だけで言えば半分以上は電子だ。世界は素材で満たされている。
人の理解を超える、人ではない者の意思や自我を思わせる挙動は本当に無いのだろうか?
少し目線を変えて、鉄屑や瓦礫の一歩手前として郡知能というものに注目してみる。
群れとしての意思決定を行うその挙動は、それ自体が自我を思わせる。意識と呼べるのか、
意識様状態なのか、当然,現代の人間には理解できない。
理解の簡単のためこのような挙動が「人から見たら意思や意識、自我があるように見えた」
として、現代知識の無い古代人たちはこれをなんと捉えるだろう。
それは、彼ら古代人にとって、人とは違うなんらかの意思や意識、自我を感じさせるもの。
霊と考えたのではないだろうか。
ここまでなら、人の文化の中から生まれた霊を考える事と同義だろう。
ただ、人が存在しなくても、理解を超えた合理や、意図や自我を思わせる何かは存在する余地
があるといえる。そう考えるべきではないのか?
むしろ、そちらの方が本来の意図や自我の姿ではないだろうか。 人は人が持つような、自分が接し慣れた人格のようなものにしか意思や意識、自我を見出さ
ない。本来、個や群れが生存競争に生き残るためにはそれでいい。事実として人類は、同じ人類
を理解できないものとして多くの戦争を繰り返してきた。消えた文明もある。
中途半端に共存を訴える人間中心主義よりこれらは潔い。
人間中心主義の糞ったれな話はまたするとして、人は傲慢なものだ。自然界に人間の善悪
が通用するという約束事などどこにも無い。それでも現代人は無遠慮に自然や宇宙に配慮を
求めたりもするが。
だが本当に理解できないのだろうか。意外と考えてみたら、「鉄屑は日常的にこう考えてる」と
いう、現代では突拍子も無いところまで、人の脳に理解できる能力があるのではないか?
もちろん、今時点でそれは高望みもいいところだし、単なる物性を意思や意識と感じるほど、
現代人の忙しい生活に、暢気な暇は与えられていない。
その反面、風や海を擬人化して、「この季節の風は移り気」だの「今日の海は微笑んでる」
なんて、どこまでも厚かましく人間由来の様を自然に押し付けたりするのだが。
霊とはなにか。霊というものをどう考えるか。
それらを考える事で、人は何らかの理解を、主に自然や宇宙に対する理解を深められるので
はないだろうか。
少し駆け足になったけど、因果的決定論を突き詰めて考える中で、俺は人が人間中心主義
から正しく距離を置いて物事を考える必要があるだろうと考えた。
それを、霊という目線で考える事は、八百万の神に親しんだ日本人にこそ向いているように
思える。
んー、硬てーな。
早足になると、どうしても文章が硬くて読みにくくなる。
まあ、そのうち面白おかしくスピや心霊ヲタをディスりながら、ゆっくり敷衍して書くようにして
いこう。 おまいさんが言ってる様に人間は基本的に
本来の意味で他人の意思や思考は理解出来ないと思う
つまり自分の主観でしか物事を思考出来ない
ニュータイプにでもならない限り
だからこそ誤解もすれば騙されたりもする
客観的視点と言うのはあくまで第三者の視点を主観によって想像する物であって
実際に第三者の視点で物事を思考する事は出来ない
その意味では人間が人間中心の視点で事物を思考するのは
人間の機能限界として仕方のない事ではないかな
「人間中心主義から正しく距離を置いて物事を考える」とはどう言う意味だろうか
人間以外の事物に価値の重点を移動または配分すると言う事だろうか
そうであっても人が視野の範囲の広狭を問わず自分を基点にしか物事を思考出来ないのと同様に
人間が人間である限りその思考は人間を中心にした価値観しか持ち得ないんじゃないかな?
「地球にやさしい」って売り文句がある
それは本当に地球が求めている「やさしさ」だろうか
ただ人類が存続するに都合のいい環境を志向した文句ではないか?
初期生物史において当時大勢を占める生物にとって酸素は毒であったと言う
酸素濃度の増減は本当に地球にとって意義のある事だろうか
気温の高低に関して地球はなにかしらでも感情を持つだろうか
それらは地球がではなく人間がどう思うかだけの話ではないか? >>40
> 人間の機能限界として仕方のない事ではないかな
一個の人間として考える場合、そうなんだろうな。ただ全体として考えると、人類は何度かそういうハードル
を超えたり超えようとしていたりするようにも見える。
例えば、人間中心主義を拗らせた人間は、堤防なんて作ったりしないだろう。自然は人類のために存在し、
自分達の集落や自分の家の前には、使い勝手の良い小川が流れてくるものだと考えるだろう。科学は、ある
程度、人間の限界を見極めたり、存在としての人間の位置づけを下げて、物性や気象のような自然現象を
それなりに見つめる目線を獲得するに人類を至らせた。
当然、それは人間が川や海の意志に通じたというわけでは無いが、統計などの数学や経験則、実体験
を伴う試行錯誤で自分以外のなんらかを知り、計り、考えようとはしてきているはずだ。
数式や統計という物が、人の言語に相当するというほど短絡的では無いが、そこには理解の片鱗も見られる
だろう。他人の心情さえうまく理解できない人間が、自然を相手にお互いの距離を目測しながら共存する姿が
そこには見られる。
そう考えると、人というモノはとかくあやふやだ。
隣に座って同じ映画を見ている異性の気持ちさえ確かめられないまま、手に負えないほどの炎の塊を
制御して共存してるわけだから。
そんな、システマチックに考えなくても、うまい味噌や酒を作る人間が居たりもする。
麹とどんな会話をしてるかなんて、まるで想像もつかないけど。
近い将来、もう既にかもしれないけど、人は人工知能とも付き合っていかなければならないだろう。そこでも
やはり、うまく付き合える人間と、そうで無い人間が居たりするんだろう。
少し興味深いのは、一般的な人間とウイリアムズ症候群の子供たちではどちらが人工知能とうまく付き合える
んだろうなんて考えたりもするんだけど、それはまた、ウイリアムズ症候群を掘り下げたところあたりで書いて
見ることにしよう。
人工知能もさることながら、因果的決定論が現実的に目の前に突きつけられた場合も、人は自由意志や
道徳観と葛藤しなければならないだろうが、まだそこも先送りのテーマとしよう。 ともあれ、人は自分をさて置き考えなければならない問題や、環境に囲まれているし、囲まれてきた。
自然の中における人の位置づけは、人が思うほど高いものではない。ならばそのような相手を理解する
ためのベクトルは多いに越した事は無いだろう。
> 「人間中心主義から正しく距離を置いて物事を考える」とはどう言う意味だろうか
ここから始まる最後までの文章は、まさにその通りとしか言いようが無いな。昔のスレで、ガイア理論、特に
初期のガイア理論や似非ガイア理論、ヒューマニズムを結構な勢いでディスった記憶がある。
先にも書いたとおり、自然界における、宇宙における、人間の位置づけは、人が思うほど高くない。
この宇宙を、髭を生やしたり、白いもさもさした布に身を包んだじいさんベースのゴッド様が監視してるなん
て言う幻想はちゃんちゃらおかしいし、太陽が無軌道に、悪気なく、ちょっと張り切って燃えたら、人類は即座
に全部死ぬ。それは、喜劇でも悲劇でもなく、ただの合理だ。もちろん、救世主もいないし、居ても燃えるから
誰も助からない。だけど人類の大半にそんな覚悟も自覚も無い。
下手をすると自分だけが助かると思っていたり、高次の存在がデウス・エクス・マキナを発動して自分の
黒歴史や僻みねたを救済の選別材料にしてくれると考えているスピもいるんじゃないだろうか。
オカルト脳とは間逆の考え方だけど、これは正しい理解であったり、生き方の覚悟というモノでもあったりする
だろう。
だからまず、人は人であると同時に歯車だったり宇宙の部品であったりすることを正しく認識しなければ
ならない。因果的決定論の中ではなおさらだ。そして、自由意志も保証されない。それでも人でいられるか
どうかは個人の資質にも因るだろう。
愚か者を例に挙げるなら、殺人犯が「犯罪は自分が起こしたものではなく、決定論の仕業だ」と叫ぶような
もの。それは己が人として生まれなかったと自ら吐露する行為だ。
恐らく、多くの人間は、正しい理解と人としてある事を両立できない。解っていても。 霊とか神という何らかの意志を持つと思われるものは、言うなれば自分以外自然全てと見るべきだろう。
正しく認識すれば、迷いやすい人間にとってそれは手助けとなるかも知れない。それがたとえ、合理の
塊のような存在でも。
もっと言えば、人間が無理なく自分より上位の存在を認めるならば、そんな方法しか無いとも思える。
解りにくいな。
そのうち時間がある時にでももっとやわらかい書き方を考える。 >>43
>先にも書いたとおり、自然界における、宇宙における、人間の位置づけは、人が思うほど高くない。
「高くない」と言うけどどうだろうか?
そもそもその存在に高い低いがあるのだろうか?
あるとすれば誰が決めているのか?
誰にとっての「位置づけ」?
人間の仮想の存在である神様?
その際の「位置づけ」とは何を基準にした「位置づけ」だろうか?
別に人間はその他と生物や地球や宇宙と隔絶した存在ではないだろ?
単に宇宙にある地球の生物として進化した一種の動物に過ぎない
高い低いと言うのは価値観でありそれを判断する意思や思考がないと高低は生まれない
人間は人間としての思考しか持ち得ないから
人間の例えば命の価値を他の動植物より高く位置づけたがるのは仕方のない事だろうと思う
世界に溢れる人間であってももしそれを殺して食わなければ死んでしまう状況に置かれれば
希少な絶滅危惧種を殺す事も同じ人間達には許されるだろうと思う
人間がその価値の高低を計るのであれば当然人間の視点でしかあり得ないし
出来るだけ客観的視点で計ろうとしてもどこに視点を仮想するかで変わってしまうのではないか?
つまり絶対的価値観がない以上は何かの絶対的価値の上下はあり得ないんじゃないかな?
何でも全部等価と言いたい訳じゃない
視点がなければ価値に上下もなければ等価すらないんだと思う >>44
>霊とか神という何らかの意志を持つと思われるものは、言うなれば自分以外自然全てと見るべきだろう。
霊=神=自然 と言う意味だろうか
理解出来るし同意も出来る
自然科学としてではなく人文社会科学の分野として
人間の文化的存在である霊や神は人間の命も含む自然を擬人化した物が始まりだと思う
でも果たして「自然」に「意思」があるだろうか
意思は思考や価値観がなければ生まれないものだと思う
特定の脳を持たない自然に人間が「意思」と呼ぶような物があるだろうか 難しいところだな
人間という知的生命体がいなければ
「自然が意志を持つ」とか「持たない」とか考える者もいないわけで いつも固くなるから今日は気をつけてみよう。
と書き始めたのに失敗した。書き直した奴の後に書きなおす前のダラダラしたのを貼っておこう。
>>45
> 誰にとっての「位置づけ」?
〜> 別に人間はその他と生物や地球や宇宙と隔絶した存在ではないだろ?
〜> 高い低いと言うのは価値観でありそれを判断する意思や思考がないと高低は生まれない
自然においては、植物の半分の方が35億あと5千万人の人命より与える影響が大きい。これは自然目線の
人間の位置づけだな。
同時に人間も、自然界において人類より影響ある存在や大自然における人間の対する人間の影響なんて
微々たる物だと一面的には理解している。
でも「私は主人公。なぜならオンリーワンだから」から抜け出せない。
野生動物では
「私はこの森で一番美しい虎。ほら、餌を豊富に持っている人間とか言う未知の者、私に餌をお持ち」とは
ならないが。人類の変な種類の奴らは
「人間の過ちを警告し、選ばれたものだけを選別するため高次の方が語りかけてきた」となる。ねーわ。
という感じ。
人間は身の程を超えて自分や自分達の価値を過大評価したがる。 書き直す前の、テレビが気になって脱線しまくった部分が以下。折角だから貼っておこう。
これに答えるなら、それは数値的で単純な熱量やエネルギーという話だな。
だからこの部分はシナリオのテーマになりやすかたりもする。
「(主人公がもっとも大切と考える)彼女(の命)をとるか、地球の未来をとるか」みたいな。
現実の世界には地球と天秤に掛かるほど特殊な状況に立たされた彼女も居ないし、主人公のように、彼女の
身代わりに地球を救えるような特殊能力や技術を持った主人公も居ない。ライターなら、ここで説得力ある
設定を構築するあたりが腕の見せ所でもあるだろう。
多くの場合、そんな話の持って行き方をするためには、未知の技術や存在をでっち上げなきゃいけないけど。
自然の環境が泰然自若と営みを継続するサイクルの中に置いて、人間の役割は少ない。むしろ、自然に
愚痴を吐く洒落っ気があれば「あいつら人類は余計な事をしてなきゃ死ぬのか?」くらいは言うかも知れない。
自然いとっては文句一つ言わず受粉して回る蜜蜂の方が、人間に比べりゃ余程ありがたいことだろう。
ここでの自然って言うのは、神と置き換えても話が通じる意味の中での自然だな。
人間って言うのは、自分か、百歩譲っても自分と同類の人間の誰かが主人公であると考えてしまう。
基本的に敵が未知のものだと主人公にはしない。そんなストーリーは当然人間にウケないから、多くの人は
そんなストーリーを見つめようとも作ろうともしない。商業的じゃないしさ。 背景としてはそんな感じで、人は頭の中では人類の半分より、蜜蜂の半分の方が、植物の半分の方が、
環境に与える影響が大きいことをぼんやりと理解している。が、いざと成ると自分は、人類は、我々は特別だと
考える。これほど文明が進んでも、この辺は一週回ってダメなパターンだな。一巡目は人道的だとか倫理的だ
とか環境への配慮という建前のもと、ある程度は人の位置づけを動物や自然に対し差をつけて置こうとしている。
だけどこの一周は、人は「いざとなればそれくらいの問題を解決できる特別な存在である人類」という池の中
の一周で、一歩も池を出ていない。
トリアージって言う言葉は最近普及してきているから、大体の人間は知っているだろうけど、これに誰もが
納得できないのは、もう人間の性だろうな。
そうやって考えると、人類はこの自然の中で、資源として考えてもさほど高い優先順位を持っているわけじゃ
ないから、自然から見てもその位置づけは高く無い。さらに、そんな事は理解してもいる。これは人間にとって
の人間の位置付けがそれほど高くないという自覚でもある。それでも「人は人の存在を高く格付けしたがる」生き
物。矛盾に目を向けても、人間にとって人間の位置付けは特別で、主人公で、自然に太刀打ちできて、高次の
存在とか、宇宙人様が何故か無償で手を差し伸べるべき存在だと思い込んでいる生き物。
野生動物であれば、豊富な餌を持った人類に、何の危機感も感じる事無く餌付けされる種類の感覚。なぜか
他の動物と比較して、人間はそういう感覚が肥大化している。
固くなってるし、答えになってないな。やり直そう。わき道にそれそぎた。 >>46
>霊=神=自然 と言う意味だろうか
このスレではだいたいそういう考えで話を進めてるな。神=自然 これは前のスレでも書いたし、もし人が
何らかのものを神と考えるなら、それは自然以外に当てはめて考えるべきではないと。
麗に関して言うと、自然の素、神の素と考えるのが矛盾無いだろう。何番目のスレだったか忘れたけど、人間
も自然である以上神と考えて差し支えないような話を書いた気がするけど、なんスレ目だったか覚えてない。
>でも果たして「自然」に「意思」があるだろうか
意思というモノをどう考えるかにもよるけど、仮にあっても人間には理解で居ないだろうな。
カラスやすずめ、いや、危険な状態にある動物を救済しようとレスキューが骨を折っても、動物はこちらの
意志を全く理解せずに、助けようとする人間からさえ逃げようとする。
自然や個々のモノの意志なんてのを理解するだけの容量は人間には無いだろう。少なくともまともな人間
の大半には無理な話だな。
サボテンに意志が在るとか無いとか、うろうろと考えがまとまらない現代の科学で、実用的な理解というのは
程遠い。
だけど、極端なことを言えば、個性や意志なんて、幅広く捉えれば物性と大差ない。人間は経験的に個性
に相性がある事を知っているから、理解しようとする事は無駄では無いだろうな。
意志であれ物性であれ、理解する事によりそれが他と相互にどう影響するのかは考える事が出来る。 >でも果たして「自然」に「意思」があるだろうか
意思というモノはなんだろうか?
ちょっと迂遠かもしれないけど、逆に近道かもしれないから書いてみよう。
相性というのは、人間同士ではなくても用いられる表現だ。相性の手前には個性というモノがある。
それぞれの個性が相性となってあらわれる。人は、同じとされるはずのものにも相性を感じる事がある。
今度は個性というのはなんだろう?「意志」を感じないものにも人は「個性」を感じる。
これをまず前提としよう。
そして、「意思」に話を戻す。
人間は「基本的には」同じ人間や知能の高い動物くらいにしか意志を感じない。それは、意志の有無ではなく、
とりもなおさず単純な人の理解の限界では無いだろうか?
そもそも鉄屑に意志があっても、人間はそれを人間の習慣や感覚に合わせて翻訳できないだろう。
では、意思あるものから意志の無いものへと順番に並べていくとどんなならびに成るだろう。
自ら能動的に表現できない植物の次辺りに「人形」やら「ぬいぐるみ」のようなものが並ぶんじゃないかな。
時々、テレビ見ながら高速で入力してると、意志と意識を打ち間違えたりしてるんだけど、意識っていうとまた
別な端に成るだろうからここはあえて意識を無視して話を続ける。 レスありがとう
>>43
>先にも書いたとおり、自然界における、宇宙における、人間の位置づけは、人が思うほど高くない。
への
>>45
> 誰にとっての「位置づけ」?
の質問への回答は
>>48
>これは自然目線の
>人間の位置づけだな。
って事でいいのかな?
読解力が足らないのか全体に論旨がイマイチ理解しづらい いや、これは俺、というか2ちゃんが悪い。
人類はこの世界のサステナビリティーという点から見て寄与する力は小さいのに、人類視点では
「人類が居なければ」的過大評価に傾きがちだという意味。
例で言えば、火山の噴火をとめる事も、予知する事も出来ない人類だが、その何割かはそんな自然災害を
止められる、またはヒーロー的何かに救済される、あるいは事前に高次の何とかサンに予言をもたらされる
なんて勘違いしちゃう連中という意味で、
「自然界に置け人類の位置づけはそんなに高くない」
=「自然や宇宙での人間の存在は小さい」
&
「人類をピンポイントに救済する都合いいモノなんて本当は居ない」
「自然は人類をそんな特別扱いはしていない」
という表現。 昨日は無秩序に専ブラに気が向くまま書いたら容量オーバーは当然ながら連投規制と埋め立て警告されて
途中でやめた。
まあ、質問がいい感じにイメージを刺激したから調子に乗って書いた俺も俺だけど、もう少し2ちゃんも融通が
効いていいと思うんだが。
殆ど破棄したけど、1枚分くらい残ってるから、このあと貼れたら貼って寝る。
前は結構続けて書けたと思ったけどな。 比喩ではなく、人間や動植物という高度に進化した生命体以外から「意志を感じた」人はいないだろうか?
捨てようと思った絵が「捨てないで」という訴えを感じたとか、「今回は俺にしろ」なんてピッケルが訴えたとか。
物にはある程度の個性があって、その間に解釈があればそれは時折意思と見える事もある。
現実の絵やピッケルが本当は何を考えてるかなんてわか。りゃしないんだけどさ。実際は
「死ねばよかったのに」なんてオカルト板らしいことを考えてたかも知んないけどね。
逆を考えてみても面白いな。
例えばそっくりな双子が居て、常に同じ答えをしたら、「お前らには意思があるのか?」と不安を感じる
かもしれない。人は個性が希薄すぎると逆に意志を疑ったりする。
我々は経験的に物にさえ個性がある事を知っている。
人形なんてもっと怖い。家にずっと居る人形とかいう。あるじゃなくて、もう「居る」になっちゃってる。
「捨てると怒る人形」って怖いだろ。
仮に自然や一個のものに意志があったって、人には理解できない。理解できないからといって、「ない」と
するには、人は経験的に個性が持つ感覚的な圧力に対して、そのあしらいを変えすぎる。
原初の自然崇拝の本質的な部分はまだ、人の中にあるように感じる。
「これこれは意志ではない」というのは分類として可能だろうが、話は分類ではなく、捉え方だ。
変な例えだが、「水は0度以下に冷やすと凍りたがる」なんて表現する人間はあまり見ない。だけど、
水はゆっくり、衝撃を与えず冷やし続けると0度を下回っても氷にならない。これを、
「水に気付かれないようにゆっくり温度を下げると、氷にならない」というくらいには水にも隣人感をだす
ことができそうだ。まるで、「常温からゆっくり沸騰させる鍋に入れられたカエル」レベルには。
だめだな。こっちもやり直し。
容量越え無視して一気に書いたの切り写ししたら連投規制に引っかかるし、読みにくくなるし。
>>52からここまではやり直す前の没分。
なんか埋め立て扱いされて続きがポストできないぞ
次ポストしてNGだったらもういらん捨てる。 針供養人形供養離れる土地への感謝
相手が無生物であれ抱く感謝や労いの気持ち
それは他者他物への思いやりであり配慮であり心配りだ
美しい事であり自分もそうありたいと思う
万物に霊性を与える日本人は特にそう思うんじゃないかな
また無生物どころか気象や様々な事象にも畏怖や敬意や感謝する
そんな感覚から神や霊が創られたんだろうと思う
つくも神なんかはもろに道具が自我を持ったものだよな
車や単車の機嫌がいい悪いなんて事はよく思う
長らく使った道具は壊れても捨てるのは忍びない
但しそれらの事物に対する想いは道徳的な事でありつまりは文化だと思う
経験からくる感覚や閃きは時に新たな発見を生む事はあるだろう
だけどそう思った経験だけを根拠にそうだとは言えない
>>56の言う「個性」とは特性ではなく「自我」と言う意味で言ってると思う
勿論無生物に意思がない自我がないと言う証拠は出す事は出来ない
だけど逆にあると考えられる根拠が自分には思い当たらない なんか規制厳しいなw
自分が物に意思や自我があると信じるのは別に悪い事ではないとは思う
ただそれは特定の宗教ではなくても小さな信仰なのであって客観的事実ではないだろう
それを客観的事実であるかの様に信じるのは場合によって危険だとすら思う
経験上血液型の性格判断は当たってるから正しいと個人的に信じる位なら大して害はないかもしれない
ただありがとうと言い聞かせた水に刺した花はなかなか枯れないなんて疑似科学商法に騙されたり
毒の分子を記憶させた水を砂糖玉に垂らして舐めさせれば病気にならないなんて擬似医療に被害を受けたり
そのあたりそれが人文社会科学の分野として見る事なのか
自然科学として見る事なのかそれは意識して分別しておかないといけないと思う
先に逝った親に誇れる人生を少なくとも恥じる事のない生き方をして
いつか再開した時に褒められる様に自慢できる様にしたいと思うのはいい事だと思う
でも実際は死ねば意識自我を司る脳は活動を停止ししかも焼却されれば当然機能しない
それはそれこれはこれと分けて考える必要があるんじゃないかな >>57
> 但しそれらの事物に対する想いは道徳的な事でありつまりは文化だと思う
さあ、果たして文化が先か理が先か。先に秩序があり、文化はそれに倣うとも思える。むしろ、いつになっても暗闇
を恐れる人間が背景にある根源的なものに影響されず文化を編めるだろうか。
個性とか自我って言うのは捕らえ方が焦点なんだろう。
自我って言うとまた少し意味合いが違ってくるけど、この辺はそれこそカテゴライズと受け取り方の違いだからなぁ。
頑なに無いとすれば無いのだろうし、また頑なにあるとすればあるんだろう。どう受け取るかが全てかもしれない。
変な話、蜂や蟻には自我より郡知能から導かれる解を優先する習性があるようにも見える。
あらゆる物は、他の干渉から逃れられない。干渉は相互に起こる。蜂同士であれ、星同士であれ。
結局、人の目に在るようには見えなくとも、あっても不思議ではないという範疇なんだろう。
>それを客観的事実であるかの様に信じるのは場合によって危険だとすら思う
これは昔、スピや心霊ヲタ、霊感商法のところで書いたっけ。
人は弱い。自分は特別でありたい。人間は優れていて、自分と知り合いの命は殊更大切だと考えている。
まあ、命を粗末にするよりはいいんだろうが。
>それはそれこれはこれと分けて考える必要があるんじゃないかな
ちょっと前に書いたけど、自然はそれほど人間を優遇していない。それでもパワースポットやら有難いパワーストーン
なんてものが人にだけ作用すると考えてしまうのが人間なんだろう。
ちょっと変化球だけど、因果的決定論を理解して、犯罪に走る馬鹿だって居るかもしれない。
そこで多くの人間は、合理と打算を交えた二つの道理を持っているのだろう。真理は安くないから、早々転がって
なさそうだ。
だけど現実は、結局人間が自然に合わせて今日までを凌いで来た。だからこそ見るべき現実は現実として
ファンタジーと切り離すべきじゃないだろうか。
文字数的に無理があるな。これは次に幽霊なんてものは存在できないっていう話と一緒にまた書き直そう。 ありゃー、やっぱり切り取ったところ貼り忘れてるな。
カフカの虫の気持ちになってメイドの箒を恐れる行を意気揚々と書いてたのに。
「急ぎ働きはこれだからいけねぇ」 新五談 >>59
> さあ、果たして文化が先か理が先か。先に秩序があり、文化はそれに倣うとも思える。むしろ、いつになっても暗闇
>を恐れる人間が背景にある根源的なものに影響されず文化を編めるだろうか。
暗闇を恐れるのは状況が把握出来ない空間への恐怖感からではないか?
霊の実在を信じるかどうかに関わらず暗闇には恐怖を覚えるし
背後から突然驚かされれば驚く事もあるだろう
それに死んだハズの人に会った見たって体験談はそれこそ昔からあるだろうし
それを「幽霊」と呼ぶのだろう
勿論現代であればその多くが脳の誤作動や誤補正によるものであろうとの推測がされるだろう
ただ脳の機能や作用が現代よりも未解明な時代であれば「幽霊」が実在する事にされる場合もあったろうし
その認識から始まって霊が文化として拡散していったのかもしれないが
それは霊が本来の意味で実在するかどうかとはまた別の話だ
> 結局、人の目に在るようには見えなくとも、あっても不思議ではないという範疇なんだろう。
目に見えない物は「ない」とは思わない
目に見えるのは通常は発光しているか光を反射するものだけだ
音や臭いや温度は一般的に目には見えなくても「ある」のだから
目は単にセンサーの一つであってそれだけでは困るから鼻や耳等の他のセンサーを備えているのだろう
だがあると言えばあるないと言えばないと言うのは受け取る視点によるのではないか?
> ちょっと前に書いたけど、自然はそれほど人間を優遇していない。
自分も自然は人間を優遇してないと思うし同様に冷遇もしていない
そもそも自然に自我や意識がなければ遇する事は出来ないからだ
すまない
正直おまいさんの文章の文意が良く掴めないので主張内容が理解し辛い
こちらの読解力の問題かもしれないが
もう少し平易に単語も一般的に受け取りやすい言葉で端的に書いて貰えるとありがたい >>39
少し前まで全く同じ思考だったんだけれど、、全生物(生物の定義も人間物差しになるが)の善悪なんて定義は無いって
なんか変わったと言うか増えたと言うかなんとなく例えば地球と人間は同じ種?と言えば人間ご都合主義になるけど
なんだろーなんて言えば伝わるか
蟻は蟻だけ蟻でなく、、
蟻と雀は同じAと言う種
とかげとサボテンは同じBと言う種
と言う人間に理解不能な分類があってもおかしくないと思う もっとめちゃくちゃだけど全て取り敢えず地球
意識と蟻みたいな複合意識みたいの定義も本当に意識なのかって話なら
地球の意識が衝突したかったり太陽に飲み込まれたかったりワームホームで別宇宙に旅行したかったりするのかしないのか、置いといて
地球の生み出した?あらゆる分子電子の集合体の生物の人間物差しの定義だと、
地球に宇宙規模の影響与えれるものになったのが人間なので
地球の義手みたいなもの発生的なイメージ 他の星も義手やら義じゃなく手足かもだけど
色んな星の人間なんぞには計り知れない意識あって
更に銀河やら何やらで、、
まあ人間が人間を特別と思うのが滑稽なのは同意だけど地球に置いては人間が唯一の義手な気はする
ものの、
自分は霊は見るものの霊感はなくて「理解」出来ないので、霊的に人間なんぞ以上の地球の手足が存在してるのかは人間如きの自分なんぞには不明 松本家が見下す相手をつくって
部落差別をしていじめをしている。
かつての運動はこの行為によって
狂ってしまっている。
配管工事関連発言強要を糾弾する。
何故囲うのか。
不思議でならない。
ただ 人類の恥がリンチされてるのだ。
時間を待とう。
部落差別を極悪人が認めるまで。 部落解放運動を利用して
死ぬまで差別する相手を作り出し
活動に利用した行為は
国家犯罪だ。 先ほど言われた
あいつの爺さんあれだから
頭おかしいのか
発言のあれ、
がペクチョンしかないので
認めるまで確認する。 メイデン発言強要を糾弾する。
面出の確認、糾弾会を行う。ほかも。 その業界全てで
糾弾するのが部落解放同盟の
やり方 だが。
日本は生活保護だらけになる。
このやり方なら経済は破壊され
富は集中する。 チーム発言強要、 確認先の確認、
糾弾会を行う。
情報の共有と対象者の監視、
社会からの排斥
これを意図的に与党に行い
自分たちを政権を取ろうとする行為は
革命だ。 それを集団で意図的に
引き起こす、
それがテロ以外のなになのか?
襲撃せよ。 にいちゃん発言も全員
松本拓哉の計画。
近所中も親戚もそう。
気づいていた。
仲が良いふりをして部落差別を
確認し続けて言葉の中に
それを匂わせるものがあれば
糾弾する。 そのまわりに
同盟員を配備し 確認させる。
一番楽なのは人と話さないこと。 一度 部落解放同盟に
目をつけられたら人生は終了する。
指導者のための独裁国家であり
結果は 人権侵害を揉み消され
指導者に服従する社会を作り出そうと
目論んでいる。
間接民主主義からその名の通り
指導者が帝国の皇帝となる
その国が形成される。
全くもって自分勝手な連中だ。
中国とはまるで違う。
国家が大きいから多政党で動かさない
国づくりなのと ウチは国が小さいので
民主的な国を作ろうとしている
内乱が起きにくいことを前提に
行われている。
やつらはその盲点をついたテロ行為を
行なった。 間接民主主義の唯一の盲点
それが思想信条の自由であり
情報 , 人の繋がり , 組織にある。
国家支配とは最大の目的は
選挙による勝利にあり
それを正義とし 繋がりや組織の
行いを如何に隠しながら
人権侵害を行うかにある。
わたしが極悪人なら同じことを
してるだろう。 国家、権力、金が
欲しいなら。 その犠牲とは
多数の人権侵害、権利侵害、 生命
である。 人権とはすなわちその人物の
個々の未来である。 当然に経済は傾く。
それは人が経済活動を行なっている
からである。 このテロの構成
22年前 田口和美に
ヤッターマン コーヒー ライター発言強要
その後 山根、谷口、佐藤、他居住
同じく 松本拓哉が発言強要
20歳頃広島市企画のデイケア施設
山根、谷口、佐藤、福原、光広、
ほか ヤッターマン コーヒー ライター
発言 再開、 他 福原の発言
田口さんと森本さんとの最終決戦発言
そして今回の事件。
完全な自作自演とテロ行為であることを
確認した。 他学生時代にも同級生が同じ
発言をしている。
完全な組織的部落差別だ。 他 全員
部落差別を利用して活動を推進し
運動家を増やそうとした行為を糾弾する。 加担者には民法719条
集団不法行為者の責任が適応され
その人生を破壊した行為に対し
損害賠償請求することは当然であり
町ぐるみ、県ぐるみで
隠蔽、問題行為に加担しており
それを認知していること、
問題行為であることを認識していることを確認した。明らかだ。 これは部落差別による
国家テロ事件であり
居直ることも、関係してないと
嘘をつくことも、
他 明らかな殺人行為であり
部落差別であるので抗弁を
許さない。 水菜発言、
全部仕込みだ。 松本拓哉の親戚や
幹部たちの計画は破綻した。 この国は終了しかけている。
自民党がこれからも
進まねばこの国は滅亡する。 どれだけ
話しても組坂繁之たちの
行いが全部各組織連携して
絶望を作り出していることが
共同糾弾闘争の実験だと全世界が
気づくのはいつになるのか。 差別を許さないと
言いながら差別を被せている
大嘘つきたちが全国で
同様のことをしていないか確認する。 わたしが声をあげなければ
そのまんま隠され
死ぬまで差別され続けた。
加担者はわたしが結婚を望めば
結婚をテレビで報じられ、
恋人を作り わたしをニタニタと笑う。
もう言おう。創価学会です。
それをやってたのは。 近所全員創価学会です。
学会員で金を出して
あの団地を購入した
怖い団地です。 松本拓哉の祖父は誰か。
それが全国の確認、糾弾会で
知れた時 この絶望を作り出した
理由がわかるでしょう。 松本拓哉に確認します。
新しい人発言を強要した
人物が新しい会長の周りになるように
仕組みましたね。 やはり奥田一族か。
東京の嫌がらせや差別は。
全国どこにいっても
創価学会、部落解放同盟はある。
同じことか。世界どこにいても。 ポテトヘッド
マッシュポテト そうポテトサラダの
具材の名前をつけてこい、
その中の奥田一族。
部落解放同盟本部派、
部落解放同盟全国連合会
当時の全国部落解放運動連合会
現在の全国地域人権運動総連合
新日本同和清光会
清和会、
そう。松本拓哉と上田奈美この二人
完全にグルだ。 奥田リサはその後
組坂幸喜にボクシングを薦められた。
それが後の尺田祐介 すなわち
町長の孫にサンドバッグにされることと
なった。 脇田もほかのやつらも
奥田リサや愛基の話をしていた。
町ぐるみの部落差別だ。
三村町長の孫や馬上町長の孫に
みんな加担していた。
それだけ部落解放同盟や
解放区、すなわち日本共産党など
ぜんぶ繋がりがある。
マルクスって何?とか
ウリセン発言や、
ロン発言 全部こいつらは
仕組んでいた。近所のほとんどは
加担者。テロでしかない。 一番初めにはブッダ発言、
最後はマルクスって何?だから
全員 部落差別の加担者だ。
松本拓哉は笑っていた。
近所のやつらはわたしを見下していた。
テロ組織を殺し尽くせ。許せない。 松本家に目をつけられたら
死ぬまで同盟員に差別を受ける。
それがこの国の暗黙の掟。
松本組真面目に倒産しろ。 これは松本拓哉そう
松本家による大量殺人と憎悪唱導
なのか組織的テロなのかを
確認している。
団地内は全員加担者でテロ行為、
大量殺人、憎悪唱導は確定している。 浦島太郎発言強要、
小学生の時松本と宗像が
家に来て 宗像は外に出た
わたしがトイレに行ったあと
カードが一枚抜けていた
<時の魔術師のカードだ。>
このあと種田の家に行った。
松本拓哉は大騒ぎしていた。
帰ったあとカードが戻っていた。
何回も何回も 確認したのに。
キラキラ光るカードで
前面に配備していたから
松本拓哉は全て確信犯だ。 木原の発言強要と自作自演を
糾弾する。
鼠男発言強要を糾弾する。 この問題を有耶無耶にしようと
さらに集団で加重する犯罪行為は
最終的に天罰となる。
それを繰り返してきた結果だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています