想いが現実を「ひきよせ」るなら
目の前にある不定形な出来事に対して、危機があるぞと口走り、宣伝する事はマイナスなのかもしれない
隠遁するでもなんでもなく、在るべき欲する現実を、花畑といわれようと何しようと訴え、働きかける事で物事をそのようにしようとする力が働くのでは
寧ろ花畑といわれようと非難されようと、それらは何ら驚異にはなり得ない。
他者の行いや思いは他者のものであり、それらあらゆるものは何ら自分への脅威にはなりえない。
自分が自分の思いや現実を達成する事により、自分自身が達成した様に変遷し、それらは自身を豊かにし、成長させる。
多分そういう事なんだろうなとふと感じた。
せまりくる脅威があるように感じていたが、最初からそれは脅威ではなかった。
脅威に思う心があるから脅威として襲ってきた
もしくは、心がその脅威をつくりだした。