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>>711-712
奈良から伊勢へ来るには、この御杖村から一志郡の美杉村へ入るルートしかないのよ。 >>716
訂正
他にもルートはありました(集落の形成具合からして、こちらがメインだとは思いますが)。
>>698
太宰府天満宮には白太夫(度会春彦)だけではなく、
倭姫命を伊勢に案内する大若子も祀られている。
梅宮大社は「梅宮」とも呼ばれている。
古くより橘氏、藤原氏の氏神、 守護神として祀られてきた(中略)。
大若子神・小君子神は伊勢国度会郡より遷した神で、
いずれも橘氏の外家につらなる祖神になります。
大若子は倭姫命世記に出てくる、
倭姫命を伊勢で案内するガイド役の人。 梅宮大社というのは京都嵐山にある藤原氏系の神社。
ここにも度会氏の祖神である大若子、小若子が祀られている。
伊勢の神宮の神官家はなぜこうも、
梅と天満宮、つまり菅原道真に関与したがるのか。 それは、
ここのスレ主夫婦が Judges の人だから。 次回は、応神と王仁という 2 人のオージンと、す○の氏との関連について考察する予定です。 >>699
菅野天財若子命神社
石見國美濃郡の延喜式内社 菅 野天 射 若 子命ノ 神社
〔姓氏〕 菅野 朝臣 出 レ自 -, 百 濟國都 慕 王 十 世 孫 食 首 王, 王仁(わに、生没年不詳)は、辰孫王と共に百済から日本に渡来し、
千字文と論語を伝えたとされる記紀等に記述される伝承上の人物である。
− Wiki より−
王仁が来朝したのは応神天皇期。
奇しくも、同時期に 2 人の「オージン」が存在することになる。 応神天皇のまたの名は譽田別尊(ホムタワケノミコト)。
実はこの名前は別の神様と交換した名前らしい。
日本書紀には次のようにあります。
一云「初天皇爲太子、行于越国、拜祭角鹿笥飯大神。時、大神與太子、名相易、故號大神曰去來紗別
神、太子名譽田別尊。」然則、可謂大神本名譽田別神、太子元名去來紗別尊、然無所見也、未詳。
(『日本書紀巻第十譽田天皇應神天皇』)
太子となった応神天皇が越国へ行き、角鹿の笥飯大神(ケヒノオオカミ)を奉祭したとき、互いに名前を
交換した。大神は來紗別神(イザサワケノカミ)という名になり、太子の名は譽田別尊(ホムタワケノミコト
)となった。大神の元の名は譽田別神(ホムタワケノカミ)、太子の元の名は去來紗別尊(イザサワケノミ
コト)ということである。ただし、詳細は不明。 一云「初天皇爲太子、行于越国、拜祭角鹿笥飯大神。
時、大神與太子、名相易、故號大神曰去來紗別神、太子名譽田別尊。」
然則、可謂大神本名譽田別神、太子元名去來紗別尊、然無所見也、未詳。
(『日本書紀巻第十譽田天皇應神天皇』)
太子となった応神天皇が越国へ行き、
角鹿の笥飯大神(ケヒノオオカミ)を奉祭したとき互いに名前を交換した。
大神は來紗別神(イザサワケノカミ)という名になり、太子の名は譽田別尊(ホムタワケノミコト)となった。
大神の元の名は譽田別神(ホムタワケノカミ)、太子の元の名は去來紗別尊(イザサワケノミコト)ということである。
ただし、詳細は不明である。 古事記にも同様の記述があります。
古事記
故建?宿禰命率其太子爲將禊而經?淡海及若狹國之時於高志前之角鹿造假宮而坐 爾坐其地伊奢沙和氣大神之命見於夜夢云以吾名欲易御子之御名爾言?白之恐隨命易奉
亦其神詔明日之旦應幸於濱獻易名之幣 故其旦幸行于濱之時毀鼻入鹿魚既依一浦 於是御子令白于神云於我給御食之魚 故亦稱其御名號御食津大神 故於今謂氣比大神也
建内宿禰命が太子を連れて高志国の角鹿へ禊ぎに行ったとき、その地に坐す伊奢沙和気大神が夜の夢で「吾が名を御子の御名に交換したい」、「明朝、浜にて名を交換した幣を献じましょう」と申し出た。
翌朝、浜へ行き、鼻の傷ついたイルカを見た太子は、「我給御食之魚(神様が食用の魚をくだされた)」と喜び、その神の名を称え、御食津(ミケツ)大神と名付けた。これが氣比大神である。 日本書紀では、応神天皇の元の名は來紗別神(イザサワケ)であったのが、
笥飯大神(気比の大神、ケヒノオオカミ)と名前を交換したことにより譽田別神(ホムタワケノカミ)となる。
一方の古事記では、笥飯大神が最初から伊奢沙和気大神(イザサワケ)となっており、
これが御食津(ミケツ)大神と呼ばれるようになった気比大神=笥飯大神である。
太子の改名後の名は不明。
要約しますと、
日本書紀では、
笥飯大神(気比の大神、元の名は譽田別神)→ 改名後、來紗別神(イザサワケノカミ)となる。
応神天皇(元の名は來紗別神イザサワケノカミ)→改名後、譽田別神(ホムタワケノカミ)となる。
古事記では、
伊奢沙和気大神(イザサワケ)→ 御食津(ミケツ)大神 = 気比大神=笥飯大神
応神天皇(誉田別命)→ 改名後の名は不明 ところが、そもそも応神天皇は産まれたときから譽田別という名前であったことが、
日本書紀の >>727 に引用した部分の直前に書かれているのです。
既産之、宍生腕上、其形如鞆、是肖皇太后爲雄裝之負鞆(肖、此云阿叡)、故稱其名謂譽田天皇。上古時俗、號鞆謂褒武多焉。
応神天皇は産まれたとき既に腕の肉が盛り上がり、その形は鞆(とも)のようで、
神功皇后が男装したときに着けた鞆に似ていた(これを阿叡(あへ)という)ため、その名を譽田(ほむたの)天皇と謂う。上古においては、鞆のことを一般に褒武多(ほむた)と謂ったからである。 元の名は來紗別神(イザサワケノカミ)であったのに、
譽田別神(ホムタワケノカミ)に改名させられた人物がいる。
ただし、この人物は偽ものです。 本当の元の名は來紗別神(イザサワケノカミ)であったのに、
譽田別神(ホムタワケノカミ)という名を故意に被せられている人物がいる。
(被せられているというのは、産まれたときに付けられた名前です)。
これが本物の応神天皇です。 日本書紀のこの条では、
元の名が來紗別(イザサワケ)神だった神は越国角鹿の笥飯大神(ケヒノオオカミ)ということになっている。
「然無所見也、未詳。」は「不確実で詳細は不明」という意味。
これはこの条が越国角鹿(現福井県敦賀市)の伝承に過ぎないから確かなことはわからないというほどの含意ではないか。
これを踏まえて、この越国角鹿の笥飯大神(= イザサワケ)を、勢州阿射加の Itzhak (Isaac or Isaak, transliterated from as Itzhak or Yitzhak, or Yitzchok) と置き換えて考えてみる。 応神(本物)= イサク
応神(偽もの): イサクから譽田別に名前が変わった(ことになっている)人。
王仁=? 元の名はイサクであったが、本当の名前を奪われて譽田別にされてしまった。
「本当の名を奪われたのは私」。
「本当のイサクは私」。
この種の主張をする人を、わたしはオカ板で見すぎるほど見てきました。 元の名はイサクであったが、本当の名前を奪われて譽田別にされてしまった。
「本当の名を奪われたのは私」。
「本当のイサクは私」。
応神天皇の時代にも、このようなことを言う人がいたということです。 わかりますか?
神功皇后の子である本物の応神天皇は本当に元の名が來紗別(イザサワケ)、つまりイサクだったのです。 本物の応神(=イサク)は消去され、
イサク → ホンダワケになった人物が応神となります。 >元の名はイサクであったが、本当の名前を奪われて譽田別にされてしまった。
>「本当の名を奪われたのは私」。
>「本当のイサクは私」。
>応神天皇の時代にも、このようなことを言う人がいたということです。
これが応神天皇です。
あまりにもややこしいので、記紀でも論理が破綻してしまっているのです。 >>738
> 本物の応神(=イサク)は消去され、
> イサク → ホンダワケになった人物が応神となります。
ここで、2 人のオージンが存在する必要が生じます。 677 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2018/02/22(木) 18:04:31.58 ID:tyrqpYZV0 [20/22]
死刑になったというのは、
言い過ぎかもしれないけど、同じような状態
『天財若子』
このような名前の家
×『天財若子』
○『イサク家』 わたしは、予言、預言スレにいるス○ノさんが、現天皇家の子孫だといっているのです。
ス○ノ家の名誉を毀損するようなことは何一つ言っていません。 ス○ノ氏、辰孫王、王仁などについては、
誰が検索しても同じ検索結果が得られるはずです。
(検索結果という)客観的データに間違いがあるとお思いなら、引用元のサイトに報告してください。
客観的データから推論と仮説を形成するのは個人の自由であり、
判断は読む人に委ねられるべきです。 >>740
> ここで、2 人のオージンが存在する必要が生じます。
おそらく、このときから天皇家は裏と表の表裏一体の形となったのでしょう。
預言スレにいるス○ノさんの言っていることはたぶん本当で、裏の皇籍というのがある。
収入がなくても生活できる黒幕が存在するのだと思います。 あまりの込み入った工作に、記紀の編纂者もお手上げだったのよ。 >>743
> わたしは、予言、預言スレにいるス○ノさんが、現天皇家の子孫だといっているのです。
文がおかしかった。
わたしは、予言、預言スレにいるス○ノさんと、現天皇家の先祖が同じだといっているのです。
あと、これは王朝交代の話です。
それ以前の天皇家が現天皇家であったことを前提とする話ではありません。 極言するならば、現天皇家とはス○ノ家のことなのです。 今晩は、皆さまの敵、YHVH です。
>>711 では、
預言スレのス○ノさんと
YHVH の先祖同士が、県境を挟んで隣り合う地域に住んでいたことが判明しました。
すぐご近所さんだったわけです。
奇遇ですね。 倭姫命を祭神とする神社
http://www.genbu.net/data/yamato/mitue_title.htm
御杖神社
ス○ノさんのご先祖が住んでいた地域にある神社です。
姫命は垂仁天皇(BC29 〜 AD70)の娘とされているから、
大体 1 世紀頃の人ということになっていますけど、実際にはもっと新しい時代の人でしょうね。 訂正
○倭姫命は垂仁天皇(BC29 〜 AD70)の娘とされているから、
以下は >>751 のサイトからの引用です。
>紅石 大字神末小屋神社の紅石。倭姫命が賊に追われた時、紅・白粉を捨てられたので、石が紅に染った。
女性が化粧して紅や白粉を携帯するようになったのは、早くて 3 世紀以降と思われます。 >また、倭姫命が賊の目をくらますために髪を切り落され、男装されたので落髪と、「やれやれ楽になった」と云われて<
神功皇后はこの頃(3 〜 4 世紀)の人でしょう。 ごめんなさい、>>751 御杖神社の祭神は倭姫命ではありませんでした。
>あるいは牛頭天王社、牛霊天王社などとも称された神社。
牛頭天王という名称は一般的ですけど、
牛霊天王というのは、たぶんこの御杖神社にしかないはず。
「牛霊」は「牛王」の古字です。
菅野氏
氏祖 王牛 >>752
>倭姫命が賊に追われた時
>>753
>>また、倭姫命が賊の目をくらますために髪を切り落され、
この地域には、賊がよく出没したようです。 >>713
王仁の弟子の一人に、応神天皇の息子の菟道稚郎子(うじのわかいらつこ)という人がいる。
この菟道稚郎子の離宮があったことが「宇治」の地名の元となったそうです。 男性皇族が幼年で亡くなると「若郎子(わかいらつこ)」という名が付けられるらしいのですが、
菟道若郎子は成人するまで生きています。
調べた限りでは、「若郎子」または「若子」という名は、
この菟道若郎子と、大若子、小若子、あとはス○ノ天財さんしかいません。 素戔嗚尊と稲田姫命を主祭神とする八重垣神社(島根県松江市佐草町)。
古くはは佐久佐(さくさ)神社と呼ばれた。
神武天皇の妃、
伊須気余理比売命(いすけよりひめのみこと)=富登多多良(ほとたたら)のシンボル、笹百合の別名は三枝(さいくさ)。
佐草(さくさ)と三枝(さいくさ)の関連から、
櫛稲田姫 = 伊須気余理と考えると、
素戔嗚尊 = 神武天皇になる。 須我神社
島根県雲南市大東町須賀
祭神 須佐之男命、稲田比売命、清之湯山主三名狭漏彦八島野命
清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)
この人が応神天皇。 プレアデスの七媛女(ななおとめ)の長女はゼウスパパと結婚してヘルメスを産みます。
ヘルメス ≒ オーディン ≒ 猿田彦 素戔嗚尊と稲田姫命の話の舞台は島根県松江市。
子どもは清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠。
狭漏彦は「さるひこ」。
神武天皇といすけよりは奈良県桜井市の狭井河。
子どもは神八井耳命(=伊勢津彦)。
伊勢津彦(またの名を出雲建子、またの名を櫛玉命)は、
妃が弥豆佐佐良比賣命(みずささら)で子どもは大年神(子どもに関しては倭姫命世記による)。
舞台は伊勢。
いつも言ってますように、
人格神というのは、複数の氏族から成る時空間を超えた複合体として考えていますので、
厳密な意味での推論と仮説を形成するのは困難というより不可能です。 を建てるのは困難というより不可能です。
が、
清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)
この人が応神天皇(消されたほう)。 ただし、清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)という人が消されたのではなく、
消された人に、「清之」という名字を付けたのです。 この人はまた、大国主です。
半島から土地を引っ張ってきた、国引きの人。
おそらく、神功皇后の時代の人でしょう。 この人はまた、猿田彦でもあると言えます(>>760)。 清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)という人が消されたのではありません。
消された人に「清之(ス○ノ)」という名字を、記紀の中で付けているのです。 清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)
この人が、消されたほうの応神天皇です。
「ス○ノ」という名字ではありませんでしたが、記紀ではそうになっています。 故れ其の大年~の兄、八島士奴美~。亦名は清之?名坂輕彦八島手~。[亦清之湯山主三名狹漏彦
八島篠~と云す。亦清之湯山主三名狹漏彦八島野~と云す。
(平田篤胤『古史成文』)
>其の大年神 >其の大年神の兄
神八井耳は兄でありながら、弟に天皇の座を譲ります。
消えたわけです。 古事記では、産まれたとき「ホムタワケ」と名付けられたはずの応神天皇の改名後の名前が書かれていません(>>729)。
清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)になったわけです(ただし消された後)。
清之という(音の)名字は、消されたほうの皇統の裏の名字として現存している。
ただし、これはフェイクです。
本当に消された応神(オーディン)はそんな名字ではありません。 この人の存在自体が、スサノオまたは猿田彦に関する渡来人説の根拠となるものです。
しかし、この人はフェイク、ダミーです。本当のスサノオまたは猿田彦は、そのような名字ではありません。 須我神社
本来の祭神は大原郡海潮郷の伝承に登場する須義禰命[1]であったものが、
記紀神話の影響により須佐之男命に結び付けられたとも考えられる。
(WWiki より) 訂正
WWiki → Wiki
消した相手に自分の名前を付けるというパターンがあるのよ。
例えば、○ろみという相手を消して○○タッチという名前を付ける。
その○○タッチと対話する役を自演したら、自分は誰に見えると思う? ○ろみはまだ消えてないから成功してないけど、これやってる人いますよね。 日本の歴史学者は、5ch のオカルト板を短くても 3 年は ROM ってから、ものを言うべき。
そうでない場合、その人の研究成果に見るべきものはないと断言できる。 >>752
女性が白粉や紅で化粧し、さらに携帯タイプのそれら(白粉と紅)が作られるようになったのは、もっとずっと時代が下りますね。
奈良飛鳥時代の持統天皇に、鉛白粉が献上されて天皇が大変喜んだという記載が古事記にあるそうです。
もしかしたら、倭姫命もずっと新しい時代の人で、
持統天皇と習合しているくらいに考えてよいのかもしれない。 神武天皇は紀元前 7 世紀に即位したことになっているのだから、
奈良飛鳥時代までの千年くらい歴史がサバ読まれてるのだと思う。 >>774
これの上位バージョンとして、
消した相手キャラとの対話を自演する○ろみを自演するというパターンもあるのよ。
わけわからないけど。 >>781-782
倭姫命と持統天皇を習合させることも可能だとすれば、
石見(現在の島根県益田市)の国造として赴任し、同地で水死刑に処せられた柿本人麻呂と持統天皇との関係も見えてくるものがある。 ニギハヤヒの子孫とか出雲族とか日本最古の氏族とか言われていても、
後裔が石見の国造だったり、曾禰氏だったりするのですよ。
曾禰は御杖村(>>716)ス○ノに隣接する地域。 兵主神社 (ひょうすじんじゃ)
兵庫県西脇市黒田庄町岡
祭神: 大己貴命、八千戈命、葦原醜男、大物主命、◎神清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠命
総社 播磨国総社 射楯兵主神社(はりまのくにそうしゃ いたてひょうずじんじゃ)
祭神 射楯大神
射楯大神はスサノオの子とあるので、神清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠命と同じ神でしょう。
播磨風土記には応神天皇に関する伝承が不思議なほど多い。
兵庫(播磨)を治めいた黒田官兵衛は、大分→福岡と転封になった。
福岡といえば金印。
黒田官兵衛には何かあります。 上げ
福島の信夫山にも山王権現日吉神社があるのね。
比叡山延暦寺から山王権現が信夫山に勧請されたとき、ご先祖もついて来たんじゃないですか。
>現在も加藤家・小野家・菅野家ほか、六供(ろっく)直系の子孫が、誇り高くお住まいになっています。
ス○ノ家は何しろ現天皇家なんですから、元宮廷人として誇り高くお住まいになっているのは当たり前でしょう。 誇り高くお住まいになっている方々の名字って、島根県益田市(石見)に多い名字なのよね。 例えば○坂さん。
福島県福島市と島根県益田市、あと熊本県熊本市に集中してる。 信夫山に山王権現を勧請した坂上田村麻呂も渡来人で、墓所は島根県邑智郡にある。 >>790
○坂さんも華族ですものね。
久邇宮家や梨本宮家とつながってる。
久邇宮さんは伊勢皇學館大学の創立者でもあり、比叡山延暦寺の座主でもあった。 石姫と蜂子皇子の伝説って、神功皇后と応神天皇(本物)が、
○野さん、○野さん、○坂さんたちに伴われて逃げてきたといわんばかりの話だものね このメンバーが石見の国出身というのもすごいと思います。 https://ameblo.jp/m-seriko/entry-12165428601.html
信夫山の里、いいところね。
牛頭天王宮と山王宮がス○ノさんの担当するお社、
猫稲荷というのが○坂さんのお社のようです。
預言スレのス○ノさんの主張というのは、
この里に伝わる石姫と蜂子皇子が本物のスサノオとその母であり、
この本物を守る人たちの里を破壊して、あまつさえ殺戮しようとしたのが先の震災であったと。
こういうことらしいです。 皇位爭いに敗れた皇太子と皇后が、
それぞれ 6 人と 7 人の家臣を連れてこの里に逃げてきた、という伝承がある。
これはただの伝承ではなく史実のようで、この 6 人と 7 人の家臣は六供七宮人と呼ばれ、
京都から正式な官職を与えられて税も免除されていたという。 京都(おそらくは比叡山延暦寺)から正式な官職を与えられていたという事実が、
これらの六供七宮人は天皇家に係わる人たちであったことを物語っているでしょう。
どうすれば、この蜂子皇子がスサノオだったと考えられるのでしょうか。
スサノオって前王朝の人のこと言ってるんですけど。
現天皇家ではなくて。 だから、わたしとス○ノさんとの間の根本的な齟齬というのは、
わたしはスサノオや猿田彦を前王朝の王として捉えているのに対して、
ス○ノさんはこれらを現存する天皇家、「現天皇家」の皇位爭いに敗れた人として考えている。
ということではないか。 http://www.genbu.net/data/mutu/kuronuma3_title.htm
信夫山の麓にある黒沼神社
ここの神紋が桐の御紋と菊の御紋であること一つをとっても、
この地域が現天皇家とゆかりの深い地であることがわかるでしょう。 現天皇家を守るバリバリの秦氏系仏教の伏魔殿、
比叡山延暦寺から正式な官職と無税の恩典を与えられていた、やんごとなきご身分の方たちが、
どうすればスサノオや猿田彦になるのよ。 こうなると、天海が会津(現福島県)の舟木氏の出であるようにほのめかしている理由も見えてくるわね(>>649-650)。
天海を舟木氏に見せようとする工作員は、伊勢の舟木氏が蒲生氏につき従って会津若松へ行ったことを知らなかったんだと思う。 >>795、>>798
【訂正】
蜂子皇子は崇峻天皇の皇子で聖徳太子のいとこにあたる。
日本海側京都から船で東北へ逃れ、山形の羽黒山を開基したと伝えられる人物。
一方、福島の信夫山には、
欽明天皇の皇后、石姫(石比売命)が皇太子の渟中太命(八田王子?)と謀叛を起こして敗れ、
それぞれ 6 人と 7 人の家来を連れて当地へ逃げてきたという伝承がある。
その 6 人と 7 人の家来は六供七宮人と呼ばれ、京都から正式な官職と無税の恩典を与えられて、
今日までこの地に誇り高くお住まいになっている。
こういう話です。 不思議なのは、
山形の羽黒山にも福島の信夫山にも、
九州王朝の年号が記されているということです。
信夫山の羽黒神社に記されている「崇峻天皇三年端政」の「端政」は、
多利思北孤(たりしひこ)という、九州王朝の王の時代なのだそうです。
(出典: http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki6/nikki266.html)
多利思北孤(たりしひこ)は、『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 ?國」で記述される倭国王である。
(中略)妻は?彌。
(Wiki より) 妻の名前「?彌」が古字なので出ませんが、
この人は用明天皇の皇后で、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)のようです。 >>805
ただ、この石姫皇后が縁起にみえる初見が貞享5年(1688)福島藩主堀田正仲の「羽黒山華表建立記」で、
当社を移転したとされる「仙台青葉山羽黒権現」の縁起書にはこの石姫渟中太命に関する伝承はなく
祭神「稲倉魂神」とあることが紹介される。
言及はしていないが、ニュアンス的に、この言い伝えは福島藩主堀田正仲時代からであると考えているように思わせる。
更に、「信夫山は山伏村」の項から「六供と宮人」の項にかけて、著名な神仏混淆の社寺との関連を考察する中で、
「当山は、江戸中期の領主堀田領の頃に、石姫伝説に附会して、
都から供奏した六家と説明されるようになり、いっそう山伏村の口伝が消えた」として山伏村の口伝の伝承にマイナスだったとの表現をしている。
(出典: https://kazenoshin.exblog.jp/i9/15/)
こういう説もあります。 多利思北孤(たりしひこ)は逆さ読みすれば「しりたひこ」。
猿田彦のメタファーでしょう。
神武天皇、猿田彦、応神と王仁、聖徳太子。
大体、この辺りの時代と人物が習合されている、と言えば聞こえはいいが、
歴史が千年くらいサバを読まれ、はしょられて誤魔化されている。
その度合いが甚だしい。 まぁ、時空間の接合性という宇宙世界の真理からすれば、十分に説明可能でしょう。
しかし、このデタラメさは作為的なものであって、真理とは関係ないです。 て言うか、宇宙世界あるいはダーリン家の真理を悪用して、デタラメやるのは昔から同じ人たち。 でも、菅○さんや○野さんや○坂さんといった石見出身の人たちが、
福島の信夫山で各種恩典を与えられていたのは事実だと思うわよ。 蜂子皇子と八田王子という 2 人の人物の符合に関与しているという事実が、ス○ノさんと王仁(応神)との関係を物語っている。
現天皇家と同じ血統であるという、今の日本でこれ以上のほめ言葉はないでしょう。
いい加減、成仏すれば? >>710-712
この時期、いしごおりは、北は忌部、南は南伊勢、西は物部(ス○ノ)に囲まれて、まさに四面楚歌だったのよ。 だからね、
京都から正式な官職と租税免除の恩典を与えられていた、
これは貴家が現天皇家側であることを意味するという、
ただそれだけのことがわからないかな。 >>817 に答えるまで、オカ板には来ないほうがいいと思うわよ。 預言スレの菅○さんは、震災に関する陰謀論なんて所詮この程度の糖質が言っていることとするための、
当局側の工作員であることはほぼ間違いないでしょう。 王母仙園近 龍宮宝殿深 追涼天駅幸 縦賞鳳輿臨 竹疏「長竿」節 「松傾」小蓋陰 醉臣迷聖造 唯有歳寒心
(菅野真道『前賢故実』) 菅野真道は桓武天皇の側近。
同僚の藤原緒嗣と、蝦夷征伐と平安京の造都について「徳政相論」と呼ばれる論争を行い、
緒嗣がこれらについて反対したのに対し、真道は続行を主張した。
桓武天皇は緒嗣の意見を採用して、蝦夷征伐と造都は中止された。
この話を額面どおりに受けとる必要はないかもしれないけど、
蝦夷征伐の強行を主張した菅野真道が「あずまえびす」だった可能性はないと思う。 >>823
額面どおりに受けとる必要はないというのは、
この話は単に、物部菅野から藤原中臣へ政治の実権が移行した時期とその経緯を、
藤原が平和論を主張したというきれいごとにして後に伝えているに過ぎないようにも考えられるから。 そうだったとしても、渡来系の人たちが東夷(あずまえびす)だった可能性は絶対にないでしょう。 推論を建てるのは自由だから。
勝手に言わせてもらえば、物部氏イコール菅野氏。
現天皇家の初代天皇である応神は百済王末裔の菅野氏、つまり物部氏。
ス○ノさんがいつも言及している七支刀も、物部氏が祀っている先祖伝来の刀のことと思われる。 物部氏の中身は菅野氏(=百済王)で、物部=菅野=現天皇家が三位一体。
物部菅野はやがて、その地位を藤原中臣に取って替わられていく。
それを示す一端が徳政相論(>>823)の逸話ではないかと思う。 日置、舟木、出口の三位一体みたいなもの。
ただし、出口氏の場合、なぜか神官家のわ○らい氏の中身が実は出口氏という事実とも重なっている。 余談ですが、
神官家のわ○らい氏の中身の出口氏は、神道の中枢部分を司ってる。
わ○らい氏には政治や軍事をそれぞれ主に司る分派があるのだけど、
出口氏は神道の王道を担うエリート。 それに対し、
いしごおりの出口氏は被差○部○の統率者。
南伊勢の出口さんと一緒にしないであげてね。 ここ神奈川県にも出口さんという名字は多い。
南伊勢の水軍を率いる出口氏が黒潮に乗って三浦半島にたどり着き、
三崎というところに城を構えていた。
三浦の出口氏と言えば、まずこの系統と思われるし、
その祖は伊勢だったとわかれば、繋がってるのねで大抵の話は終わりますが、
いしごおりの出口氏は別。
名字というのは難しいものです。
ただし、福島の信夫山の菅野氏は福島の原住民などではなく、
京都から派遣された氏族であることに間違いはありません。 蝦夷征伐の実行者、坂上田村麻呂は墓所が島根にあり、
菅野氏ほか物部系の氏族と同郷と思われる。
幼名を松尾丸といい、松尾神社との関連が窺われる。
松尾神社は山王信仰の日吉大社と同系列。
菅野真道は、同郷の坂上田村麻呂を慮(おもんばか)って、
蝦夷征伐の続行を主張したのでしょう。 秀吉が朝鮮半島から奴隷を大勢連れてきた理由。
元々あった先住民の集落に外国人を混入して、何が何だかわからなくするため。
秀吉が日吉大社とつながっていたことは間違いないと思う。 616 :本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2015/11/07(土) 21:39:44.92 ID:tvbQn/wm0
>>564
> あなたの物言い、
> だいたいみな同じ思いで見てたよ
みな(皆)なんて言葉はないのよ。 274 名前:長谷川平蔵 ◆zGYajCqguo [] 投稿日:2018/03/19(月) 22:08:00.39 ID:KroVif/Z0 [18/25]
>>273
日本人にありがちな
『みんな言ってるよー』だろ
『みんな』って誰だって親に言われたことねーのか? 二重感情線とは、マスカケになっている感情線とは別に出ている感情線。
三重頭脳線とは、マスカケになっている頭脳戦とは別に出ている二重頭脳線。
ただし、 前世の肉体と来世の肉体が共存するとき、
星占いや手相になど何の意味があるでしょうか。 すごくおもしろいPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
役に立つかもしれません
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
6EV6X まだあああとか言ってる人は、
ジョセフィーヌがバルコニーに立って、お手振りする日がいつか来るとでもおもってるのかな。 皆さんに向かってお手振りするような、そういう sense ってないんですけど。 そういうのが好きな人たちに、やってもらってください。 前田敦子は目立つこと嫌い。
>前田敦子は、中学生時代から目立つことが大嫌いだったそうです。
AKB時代には、4人でユニットを組んで歌う際に
「自分1人だけが目立ちたくない!」と大泣きしたというエピソードがあります。< 大国主の国譲りっていうけど、
そもそも、この国って大国主のものだったの?
大国主の一存で勝手に外国人に譲ってよかったの? 国って誰のものよ?
勝手に譲渡できるものじゃないでしょう。 大国主「この国は自分のものですけど、あなたに上げます。」
外国人「あなた 1 人しんでくれれば、契約成立です。」
これでいいんだろうか。 >>849-851
これ、自分の先祖に言ってますのよ。
名前はまぁ、猿田彦でも須佐之男でも何でもいいんだけど。 前田敦子って整形してるのにぶっさいく
整形してるから不細工なのか
どちらにしても変な顔 ひろみには半生にわたって、ゼウス父や 2 人の兄たちがいてくれたけど、
スレ主にはそういう人は誰もいなかったのよ。放っとかれだった。
昔と今のスレを比べると、今のほうがスレ主は幸せそうなのがわかる。
こうたまんは掲示板でひろみに会えて幸せになったのよ。 46 : (O_O) [] 2012/01/25(水) 13:46:02.41 ID:KJZDFj8zO
何こいつ?
嫌ならみるな
私のスレで汚いコメント残すな どこから見ても爬虫類系のブサイクな顔ですわよ前田敦子は >>859
あら気持ち悪いw
とてもつもなくキモチワル過ぎて草
6年もこんな気味悪いスレを書いてるなんて信じられないですわよ 見られたくなければsageとお書きあそばせ
メール欄に「さげ」と書きますのよ log(所有金融資産Money;単位円)=9 対数は常用対数、底は10
log<所有金融資産Money;単位円>=9 対数は常用対数、底は10 log(所有金融資産Money;単位円)=9 対数は常用対数、底は10
log<所有金融資産Money;単位円>=9 対数は常用対数、底は10 512 本当にあった怖い名無し
2018/01/14(日) 15:41:54.08
おまおれ
でも同居人が心配なので、春まで長距離移動は不可でござる
しばし待たれよ
513 本当にあった怖い名無し
2018/01/14(日) 18:52:50.76
きのこるmicro
∩
| |_ バサッー バサッー
|_ _| ミ ◇
/_~,,..::: ~"'ヽ ◇◇ ミ 祓いたまえー
(,,"ヾ ii /^',) ◇◇ 清めたまえー
|(,,゚Д゚)っ/ この先生きのこりたまえー
|(ノ |
ヽ _ノ
U"U >>726-732
>>733
『播磨国風土記』では、伊勢都比古は伊和大神(いわのおおかみ)=大国主であるとされているようです。 悪霊の霊視は三次元的で面白くないのよ。
(100 点満点で)20 点。
この程度の霊能で、とや顔で嫌がらせするのは千年早いです。 12 本当にあった怖い名無し
2018/01/14(日) 15:41:54.08
おまおれ
でも同居人が心配なので、春まで長距離移動は不可でござる
しばし待たれよ
513 本当にあった怖い名無し
2018/01/14(日) 18:52:50.76
きのこるmicro
∩
| |_ バサッー バサッー
|_ _| ミ ◇
/_~,,..::: ~"'ヽ ◇◇ ミ 祓いたまえー
(,,"ヾ ii /^',) ◇◇ 清めたまえー
|(,,゚Д゚)っ/ この先生きのこりたまえー
|(ノ |
ヽ _ノ
U"U 12 本当にあった怖い名無し
2018/01/14(日) 15:41:54.08
おまおれ
でも同居人が心配なので、春まで長距離移動は不可でござる
しばし待たれよ
513 本当にあった怖い名無し
2018/01/14(日) 18:52:50.76
きのこるmicro
∩
| |_ バサッー バサッー
|_ _| ミ ◇
/_~,,..::: ~"'ヽ ◇◇ ミ 祓いたまえー
(,,"ヾ ii /^',) ◇◇ 清めたまえー
|(,,゚Д゚)っ/ この先生きのこりたまえー
|(ノ |
ヽ _ノ
U"U 12 本当にあった怖い名無し
2018/01/14(日) 15:41:54.08
おまおれ
でも同居人が心配なので、春まで長距離移動は不可でござる
しばし待たれよ
513 本当にあった怖い名無し
2018/01/14(日) 18:52:50.76
きのこるmicro
∩
| |_ バサッー バサッー
|_ _| ミ ◇
/_~,,..::: ~"'ヽ ◇◇ ミ 祓いたまえー
(,,"ヾ ii /^',) ◇◇ 清めたまえー
|(,,゚Д゚)っ/ この先生きのこりたまえー
|(ノ |
ヽ _ノ
U"U >>870
退屈で満たされていないからです。
幸せで満ちていればこのようなことはやりませぬ。
掲示板ではなく二人きりで会話する方が幸せですから。
退屈で満たされていないからです。
神のような存在はこのような場所で他者を見下し
自らをひけらかしたりすることは決してありません。
>>709
716(0_0)2018/03/31(土) 12:09:59.01ID:wXqA9s5h0>>718
秘密基地は終わり
死にます
717本当にあった怖い名無し2018/03/31(土) 13:35:05.23ID:eZmOXZ8H0>>720
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
( ´∀`)ゲラゲラ (ノ∇≦*) キャハッッッッ♪ だからわしは
天皇家の祖神だから
わしの言葉に間違いはないんだよ >>725-787
応神天皇と王仁という 2 人のオージンについてはこちら。 888 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (オイコラミネオ MM54-3TW0) 2016/08/14(日) 15:08:14.26
町内に何人か(多い)いる物凄く見るに堪えない醜い表情をしたババア
それと同一の波動
クスっと笑いも存在しない醜いディス
まるで人柄や人格、心の汚さを写す鏡のよう
嗚呼みっともない高飛車低レベル(爆笑) 908 日本@名無史さん[sage] 2018/04/07(土) 15:18:03.43 ID:
うちのご先祖さまは地球人じゃなかったみたいだ
証拠の資料もたくさんあるけど、公表したら政府に暗殺されるかもしれないよね
日本政府が動かなくてもアメリカやロシアが動きそうだしね
政府はそういうのはすべて知ってて隠してるんだよね
政府やアメリカやロシアを相手にしたくないんだよね そうなのよ、オカルト板に初めて来る人や慣れない人は騙されるかもしれない。
で、日本の先住民はやはりアイヌですよ。 伊勢と云うは、伊賀の穴志の社に坐す神、出雲の神の子、
出雲建の子の命、 又の名は伊勢都彦の神、又の名櫛玉命、此の神、昔、石もて城を造り、 其の地に坐しき。
ここに阿倍志彦の神、来り奪えど勝たずして還り却りき。
−『伊勢国風土記逸文』−
この出雲建子(櫛玉命、伊勢津彦)の出雲は、島根県の出雲ではないのです。 この出雲は実は阿波徳島を指す。
では、島根とは関係かというと、なくもない。
ただし、出雲ではなく石見(いわみ)地方です。 島根とは関係かというと → ○島根とは関係ないかというと 神武天皇の命で伊勢津彦を征伐し、伊勢を平定したのは天日別(大若子の祖、すなわち度会氏の祖)。
天日鷲は阿波忌部の祖です。 「其の国は、大若子命の先祖天日別命の平げし山なり。大若子命、
其の神を祭り平げ、倭姫命を五十鈴宮に入り奉らしめよ。
即ち種々の幣を賜ひて大若子命を返遣して其の神を祭らしむ。
已に保く平げ、即ち社を安佐駕に定め、 以ちて祭る。」
−『倭姫命世記』−
天日別が安佐賀の悪神を平らげた地は、阿射加ではなく伊賀です。 話は飛びますが、度会氏って三重県度会郡には 1 人もいないのよね。
岐阜県恵那市というところに集中してるの。 恵那市には恵那神社というのがあって、
天照大神が産まれたときの胞衣(胎盤)を埋めた地なのだそうです。 伊勢津彦(出雲建子)は天日別(イコール天日鷲)に征伐されて東国に去りますが、
『伊勢国風土記』の逸文では、信濃へ行ったと記されていることから、
諏訪大社の建御名方(タケミナカタ)との関連づけられることが多い。
一方、諏訪大社(長野)の元社は、阿波の「多祁御奈刀弥神社」という説がある。
『延喜式』神名帳に信濃国諏方郡の「南方刀美神社ニ座」と書かれており、
諏訪神建御名方(タケミナカタ)の別名だそうです。
(出典: http://ryuchan60.seesaa.net/article/442929630.html?seesaa_related=category) 出早比売命(いずはやひめのみこと)は、州羽地方の民間伝承の神。
諏訪大社の祭神建御名方神の御子神出早雄命の御子神。 諏訪固有の神であるが、阿
波国の式内社天村雲伊自波 夜比売神社二座に比定される天村雲神社の祭神に「伊志
波夜比売命」とある。大日本神祇誌に「建御名方命の孫にあたる出速雄命の女であり、
天村雲命の妃である」と書かれており、
出典: Wiki 出早比売命(いずはやひめのみこと)は、州羽地方の民間伝承の神。
諏訪大社の祭神建御名方神の御子神出早雄命の御子神。
諏訪固有の神であるが、阿波国の式内社天村雲伊自波 夜比売神社二座に比定される天村雲神社の祭神に「伊志波夜比売命」とある。
大日本神祇誌に「建御名方命の孫にあたる出速雄命の女であり、天村雲命の妃である」と書かれており、
− Wiki より−
建御名方命の孫にあたる出速雄命の女(むすめ)、
出早比売命(いずはやひめのみこと) 【天日鷲命】-【大麻彦命(天日鷲命)】-【阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)】
天日鷲命、大麻彦命、阿波之宇志比古命は阿波国を拠点としていた。(天日鷲命三代
まで阿波国・四代からは安房国)
(出典: http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2016/11/05/202627)
【阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)】の「阿波之宇志彦命」は、
丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)。
古事記、日本書紀に登場する皇族。
百済人の牛王と同一人物か同族である可能性が高いです。 神官家は百済人の牛王と同祖であり、
伊勢、阿波、信濃、丹波とつながっている。 しかるに、
度会氏なんて本当はいないのよ。
度会氏が出口氏を名乗っているというより、
本当は出口氏が度会氏を名乗っているといったほうが正しい。 話を単純化するために極言すると、
出口氏イコール菅野氏ということです。 >>889-891
諏訪大社(長野)の祭神、
建御名方命は≒伊豆速布留(伊勢津彦)であり、
その娘、伊豆速姫が度会氏の祖の妻である。
伊勢津彦が長野で建御名方(タケミナカタ)になっており、
その娘が度会氏の祖と結婚しているのはまぁいいとして、
建御名方が阿波忌部の祭神、南方刀美と同一ということは、
伊豆速布留(伊勢津彦)イコール南方刀美ということ。
つまり、
伊勢津彦を伊勢から追い出した度会氏の祖、天日鷲すなわち阿波忌部と伊勢津彦がイコールで結ばれる。
伊豆速布留イコール度会氏となり、追い出された神イコール追い出した神ということになる。
ここまでわかりますか? 阿佐賀の悪神(あらぶるかみ)の正体はス○ノ氏だったのでしょうか。
(続く) 部落部落言ってたキチガイがいなくなったらまた新しいキチガイが登場か http://www.genbu.net/data/iga/tumie_title.htm
都美恵神社(三重県伊賀市柘植町)
祭神は主神栲幡千々比賣命(たくはたちちひめ)、配神伊勢津彦ほか。
社紋は十六菊裏紋。
伊勢津彦が石の城を建てて住んだという穴師谷に鎮座する神社。
元の名は「敢都美恵神社(あへつみえじんじゃ)」。
これは『倭姫命世記』に「遷于伊賀国敢都美恵宮。二年奉斎矣。」とあることから。
「敢」は「あへ」と読む。 ttp://www.genbu.net/data/iga/anasi_title.htm
穴石神社(三重県伊賀市石川)
祭神は木花佐久夜比賣命ほか(中略)、配神天香香脊男命(あめのかがせお)ほか。
社紋は梅鉢と三つ巴。
『延喜式』神名帳にある伊賀国阿拝郡穴石神社の論社。
伊賀阿拝郡(あわごおり)穴石神社には論社が 2 つあり、
1 つは上記の都美恵神社(敢都美恵神社)、もう 1 つがこの穴石神社。 http://www.genbu.net/data/iga/ahekuni_title.htm
敢國神社(伊賀市一之宮)
祭神は大彦命、少彦名命、金山媛命
>「敢國」と書いて、「あへくに」と読む。
>阿拝郡に居住した、阿閉氏が祀ったと考えられ、
『伊勢国風土記』によれば、
伊勢津彦は阿倍志彦(あべしひこ)に何度も襲撃を受け、その度に撃退していたが、
ついに神武天皇の命を受けた天日鷲(=天日別)に討伐されて東国へ去る。
『倭姫命世記』には、これは阿射加の地での出来事として記されている。
この安倍志彦は、阿波(あは)に由来する阿閉(あへ)氏のことで、阿部一族の祖。
敢国の敢はこの「あへ」、敢えて国を譲る意(敢都美恵神社の「敢」も同様)。 敢へて国を譲ったのは伊勢津彦のほう。
にもかかわらず、度重なる襲撃の挙句ついに国を譲らせた安倍志彦、
つまり阿波の阿閉(あへ)氏の敢神社になっている不可解さ。
敢都美恵神社の「つみえ」は御杖神社(>>713、>>716、>>751)のアナグラムに思える。 天村雲神伊自波夜比売神社
http://www.geocities.jp/engisiki/awa2/bun/awh560402-01.html
阿波国(現在の徳島県)麻殖郡鎮座
祭神は天村雲命、伊自波夜姫命
天村雲命は度会神主家(天日鷲、天日別)の祖先神。
伊自波夜姫命は「建御名方命の孫にあたる出速雄命の女」(『大日本史神?志』)。
度会国御神社の祭神であり度会氏の祖神とされる彦國見賀岐建與束命の両親は、
「天日別命(あめのひわけのみこと)」と「弥豆佐々良比売命(みずささらひめのみこと)」。
伊自波夜姫命はこの弥豆佐々良比売命と同一と考えられる。 ここまでの話を単純化すると、
建御名方(諏訪長野)= 伊勢津彦(伊賀三重)= 伊豆速布留(勢州阿射加)
「建御名方命の孫にあたる出速雄命」(>>906)と阿射加の伊豆速布留は同一であると考えます。
この 3 神は、阿波忌部を構成する天日鷲、天日別、そして天村雲(いずれも度会氏の祖神)を介することにより、
イコールで結ばれるわけですが、
さらに、阿波の天日鷲の系統の中に阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)が見え、
これが丹波の丹波比古多々須美知能宇斯王と同一であることから((>>892)、
宇志(牛)氏を介した阿波と北京都とのつながりも検討課題となっています。 >諏訪大社上社大祝の系譜では諏訪大社の祭神、
>建御名方命の5世孫として「会知速男命(市速男命)」が在り、
>その女(むすめ)の阿蘇比売命を武五百建命(たけいおたつ)の妻とします。
(出典: https://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/183560056201e771e5e68bd922dfaadc)
(同様の記事はいくつかあります。上に引用したのは一例です)。
会知速男命(市速男命)は、おそらく読みは「いちはやお」でしょう。
出速雄と同一と考えられます。
武五百建命というのは神八井耳の裔ですので、船木氏の系統。
言ってみれば、
建御名方(=伊豆速布留)の娘、阿蘇姫が、
船木氏の裔、武五百建命の妻になっている。
さらに言うなら、
伊豆速布留の娘が船木と結婚して、阿蘇熊本の祖になった、
ということでしょうか。 何年か前の基地スレにおけるコピペ貼り騒動の根っことなる部分が、この辺に隠されているような気がするのは、
わたしだけでしょうか。 伊豆速布留を祀っている神社は 2 つしかないのよ。
1 つは阿坂の阿射加神社。
もう 1 つは阿坂から少し北、嬉野豊地というところにある豊地神社。
この豊地神社は、舟木氏の嫡流の城がある嬉野堀之内の直ぐ横に位置してる。
地名は嬉野堀之内と豊地で違うものの、舟木城の城内社だったのではないかと思うくらい近く。
伊豆速振という名前で祀られています。
ちなみに、伊勢津彦を祀っている神社は >>900 の敢都美恵神社だけ。 >>751-753
話は変わりますけど、
ヤマトヒメノミコトって何故こんなに賊に付け狙われてたのかしらね。
根拠のない単なる民間伝承だと学者の方はおっしゃるでしょうけど、
皇女という要人クラスの女性がたった一人で髮ふり乱して逃げ回ってたのよ。
おかしいでしょ。 神宮の創建に関わるほどの要人がですよ。
何かよほど巨大利権を持っていたんじゃないかしら。 きょうは 13 日の金曜ですのよ。
変な人が来て荒れるんじゃないかと思って、建てられませんのよ。 質問者「ジョセフィーヌさんは、ご自分の実家だけは他と違うことを前提にしています。
しかし、ジョセフィーヌさんの御実家が神官家と同系統という可能性はないのですか。
あなたの家こそ、○○家の覆面を被った神官家○○家の総本家なのではないですか。」
ジョセフィーヌ「あなたのご質問はもっともだと思います。次回以降は、そのことについて検討するつもりです。」 伊勢の神宮は現天皇家の祖神である天照大神をお祀りしている、現天皇家の神社である。
素直にこう信じている人は日本人の中にどのくらいいるかしら。
伊勢の神官家は実は出雲系で、現天皇家の天照大神と自分たちの祖神をすり替えて祀っている。
ちょっとうがった見方をする人でも、おそらくはこの程度の認識ではないかしら。
伊勢の神官家は、他の地で自分たちが「征伐」した他の氏族の祖神を、
現天皇家の神として祀っているようで、実は自分たちの祖神として祀っている。
こういう認識が現段階での最先端というところでしょうか。 自分たちが「征伐」または「平定」した氏族とは、元々自分たちであった。
この発想により、彼らは現界(この世)と幽界(あの世)の両方を操ることができたです。 >>920
できたです → できたのです。
操ることに成功したのです。 気持ちいい。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-ab0c.html
女性がきれいになるためには、「行きたい美容院に行く、近所の歯医者に行く」方法(現象学)
の研究が必要になる。
今は「子供のお弁当」「愛妻弁当」が主流だが、
いずれは「詩の解釈が抜群だ」という方向に向かうだろう。
スポーツ選手との結婚とサラリーマンとの結婚が変わらなくなってきたのだ。 先々週の土曜日、
鎌倉でシュシュを落とされた方、
ごらんになっていたら、こちらにお申し出ください。
お預かりしています。 この間、鎌倉でシュシュを落としました。
そのシュシュはわたしのものかもしれません。 あなたの落としたシュシュはどんなシュシュですか?
落としたのはどこですか? ディズニー柄で金色の飾りが付いたものです。
落としたのは、JR 鎌倉駅前の交差点です。 ところで、わたしとあなたの ID は ID:Bvk3oJcg0 で同じですね。
これは、わたしとあなたが同一人物であることを示しています。
つまり、わたしはあなた、あなたはわたし、ということです。 つまり、
あなたはジョセフィーヌ、
わたしは X 名前のない人だということです。
あなたのものはわたしのものです。
このシュシュはわたしのものです。 あなたは、きょうからジョセフィーヌです。
わたしは、名前(または名字)のない人になります。
あなたのものだったものはすべて、わたしのものです。 (所々、名前欄を間違えました)。
以上が、X、つまり誰でもない人、名前のない人から、
ジョセフィーヌがシュシュをもらった経緯です。 このシナリオでは、
ジョセフィーヌは、シュシュの落とし主が誰か本当に知りません。
シュシュの落とし主は、X、誰でもない人、つまり神かもしれません。
これに対して、
シュシュの落とし主は誰か、ジョセフィーヌが知っている場合があります。
シュシュを誰からか譲られたか、奪ったかした場合です。 ただし、この場合でも、
ジョセフィーヌがシュシュをもらうには、シュシュの落とし主は X である必要があります。
X、つまり名前のない人、誰でもない人である必要があります。 この場合は、
シュシュの元の持ち主であることを、
ジョセフィーヌが知っている人の名前を、
ジョセフィーヌと互換可能にします。
シュシュの元の持ち主: 伊勢津彦
シュシュを譲られた人: 天日鷲
のような場合、
天日鷲はまず X つまり名前(名字)のない人になります。
これは天日鷲が神となることを意味します。
そして、シュシュの元の持ち主に天日鷲という名前を付け、
しかるのちに、天日鷲と伊勢津彦は同一であることにします。 外国人○○はまず、神である X に誉田(ホムタ)という名前を付け、自分が神 X になります。
神 X になった外国人○○は、元の神 X が射和(イザワ)という名前だったことを知っています。
そこで X は、誉田(ホムタ)と射和(イザワ)が互換可能であることにします。
さらに、王仁、鰐なども射和と互換可能にします。
そして、神 X である自分に応神という名前を付けます。 だから、クーデターとか内乱があったとは限らないです。
最初の X は、本当に X、つまり神だった可能性があるからです。 >>937
こうすることにより、成り済ましの神 X は、
行為者=被行為者という神の属性を手に入れるわけ。 一方、
シュシュをくれたのが本当に風神 X であるとき、
ジョセフィーヌは風神 X にジョセフィーヌと名付け、
風神ジョセフィーヌになります。
そこに自演の必要がありません。
シュシュは主主となります。 既産之、宍生腕上、其形如鞆、是肖皇太后爲雄裝之負鞆肖、此云阿叡、
故稱其名謂譽田天皇。上古時俗、號鞆謂褒武多焉。
(『日本書紀巻第十応神記』)
[現代語訳]
応神天皇は産まれたとき既に腕の肉が盛り上がり、その形は鞆(とも)のようで、
神功皇后が男装したときに着けた鞆に似ていた(これを阿叡(あへ)という)ため、その名を譽田(ほむたの)天皇と謂う。
>これを阿叡(あへ)という 応神天皇の妃、
弟姫命(おとひめ、弟日売命)−品陀真若王女、仲姫命同母妹阿倍皇女(あへのひめみこ) キリスト教の教団を作った人たち、
すなわちイエスの 12 人の弟子たちは、
自分が消した相手 X に、自分たちの属性である「ユダ」という名前を与えます。
しかるのち消した側に、イエスと 12 人の弟子たちを置き、イエスと 13 人の弟子にします。
これで、教団(教皇と言ってもよいでしょう)は、自らが X になります。
しかし、この場合、本当の X はユダです。
ユダは誰でもない人、即ち、主です。 当然のことながら、
ユダとイエスが同一であるとき、イエスは裏切られません。
また死ぬこともありません。
自分を自分で処刑することはできないからです。 シュシュはその片方が濁っているとき、
主主ではなく、侏儒(しゅじゅ、愚者のこと)となります。 八島士奴美神
清之(すがの) 湯山主 三名 狭漏彦 八嶋篠
清之 〃 湯山主 三名 狭漏彦 八嶋野
清之 〃 繋 名坂 軽彦 八嶋手命 左(端)にいる者は、とにかく混ぜたいのよ。
右(端)の X は消しても消せないから、
左(端)の者は、その消せない相手に自分の名前を付ける。
しかるのち、消した相手の名前と自分の名前を並べて混ぜる。
左(端)には X"(X 奪取)
右(端)には、X とサタンを並立させる。
神と悪魔は同じもの、と粹(いき)がるアホはみんなこれ。 なぜ、こうなるか。
X という存在を捉えてないから。
X が本当は何なのか知らないから。
三次元的にしか理解できないから、完全に別のことになってしまう。 だから、ダヴィンチの絵でも、
左端はナタンでしかないでしょうよ。
真のサタンは左端には描けなかったのよ。 株や為替の値動きの見方。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-e8fb.html
株価は女の値段。
円高は男の値段。
部落や在日差別はなくならない。「株価にいい影響があるんだ」
「男が女を愛する心を利用するのが経済」だとするのであれば、成熟経済とは理想と現実のギャップを
楽しめる時代を意味する。
「テレビは差別するためにある」 獣の数字 666 と教皇紋章の 3 つの X について、以前書いたことがありますでしょ。
ヨハネの黙示録は誰が書いてるかということですのよ。
自分で書きながら、これは自分だと言ってるわけ。
神話を書きながら、高天原とかネーミングするのも同じ発想ですのよ。 >>955
要約して再掲。
『ヨハネの黙示録』で獣の数字とされる 666 は、
英数字でそのまま書かれているのではなく、
ギリシャ文字で χ ξ ζ (カイ、クシー、スティグマ)と描かれている。
Wikipedia 「バチカンの国章」の画像を例にとると、
王冠の三重の飾り − ギリシャ文字の Ξξ(クシー、ラテン文字の ks, x、数価 60)
鍵 − Χ χ(キー、カイ、ラテン文字の kh, ch、数価 600)
鍵を結んでいる紐 −スティグマ(数価 6、ヘブライ語の Tav に相当)
これら 3 つの X の数価を合計すると 666。 staurus(タウ十字)を象徴する赤い紐は産霊(むすび)の丑の糸。
staurus = stigma(スティグマ)
stigma は元々キリストの聖痕、転じて烙印、刻印を意味する。
聖痕=血の筋=blood line → 聖杯(Holy Grail、San Graal)
スティグマは聖杯、梅。 画像は、教皇紋章で検索してご覧ください。
(画像リンクのアドレスを貼ると、エラーが出るので)。
ギリシャ文字については、Wiki がわかりやすいです。
スティグマも下のほうに載っています。
「教皇紋章の画像」ページを見ると、
ローマ教皇ベネディクト 16 世など、
てっぺんの王のマークが顕著にわかるものもあります。 ヨハネの黙示録のヨハネとは誰か知りませんが、
教会側の人であることは確かでしょう。
獣の数字 666 の刻印を押された者というのは、
何のことはない、教会側自身なわけ。
教皇とか天皇とかいった人たちは、
こういうことばかりしてるのよ。 アガサクリスティの小説で、
作者または読者が犯人だったというのがあるでしょ。
ダヴンチのラストサパーなんかでもそうなのよ。
ユダまたはイエスはダヴンチ、または絵を見る者なわけ。 こちらのスレでは、脳のご病気の方はご遠慮いただいてますのよ。 佐藤 健が演じた人斬り以蔵のよかった場面。
逮捕令状が出て追われる身となった以蔵が、
なじみの女郎に一緒に逃げてくれたと頼むのだが、
相手の女郎に「うち怖いわ」と断られてしまう。
恋仲だと思っていた相手にあっさり振られて一瞬言葉に詰まった以蔵は、
「そうか、それは済まんかったの」と一言言って身を翻し、
女郎屋の窓から飛び出して、屋根づたいに逃げて行く。
華奢なからだに袴がよく似合って、身軽な身のこなしを引き立てていた。
その後、以蔵は拷問されて死んじゃうんだけどね。 訂正
×一緒に逃げてくれたと
○一緒に逃げてくれと 質問者「>>918 の質問への回答は未だ十分ではないように感じます。
加えて、もう 1 つのスレでダーリンさんは、外国人レプテリアンのスサノオが現天皇家の祖であると言っています。
スサノオとの関係性を重視してきたジョセフィーヌさんにとって、このことはどのような影響があるのでしょうか。」 ジョセフィーヌ「まず申し上げておきたいのは、重要なのは常に客観的な論証であり、
論拠を示すことなく結論だけをいきなりボーンと出すことは極力避けなければならないということです。
天や異世界の真実であるとして結論だけ提示し、客観的論証をスキップするのは、
リサーチャーの姿勢として好ましいものではありません。
これはダーリンへの皮肉などではまったくありません。
天の人であるダーリンが結論だけを述べるとき、それは配偶者であるわたしに客観的論証を全面委任していることになるのです。
ただし、現在考察中のテーマは、その三次元的な範囲と深度が膨大であることに加え、
時空間を超える概念を多分に包含するものであることから、
一般的な観点からは曖昧とも捉えられる表現を避けられない局面に遭うことがしばしばです。
そのため、遅々として筆が進まないことを前もってお詫びした上で、
ご質問の外国人レプテリアンスサノオについて検証していきたいと思っています。」 筆が進まない理由は他にもあります。
1 つには、現存する特定の氏族や地名への言及がテーマの性質上避けられないということがあります。
これはともすれば、当該の氏族、個人、または土地への攻撃または名誉棄損と受け取られかねない問題です。
配慮を尽くしているとは正直言い難いですが、現存する氏族の末裔の方、
および当該の土地にお住まいの方にまったく責任がないことは十分承知していることをご理解いただけますと幸いです。
もう 1 つは、自分自身のリスクです。
例えば、前出のスサノオが朝鮮人レプテリアンであることが確定的である場合、
わたし自身の身の置き所がなくなる、そういうこともあり得るということです。 前置きが長くなりました。
それでは、先の質問者の方のご質問について、
上記と矛盾するようですが、論証を後で行うことを前提に結論を先に申し上げますと、
やはりスサノオは 2 人存在するとしか現時点では考えられないということです。
これは、応神と王仁という 2 人のオージンがいるとする先の主張からすれば、
当然の論理的帰着と言えます。 >>902-903
【訂正】
×安倍志彦
○阿倍志比古
>>889-891、>>897、>>906-908 は、
『伊勢国風土記』で、
出雲から来て伊賀の穴師に石城を建てて住んだとされる伊勢津彦と、
その伊勢津彦の宿敵であったとされる阿倍志比古は、
実は同一人物だったという話です。
ついでに、もう 1 つ典拠。
>阿倍氏とは、阿波國高志(たかし)の州羽(諏訪)に祖・建御名方命を祀神とする諏訪神社元社を建立した阿閉氏で、
ヤマト朝廷軍の頭領一族です。
−邪麻等国歴史研究所というブログより無断転載− さらに、
伊勢津彦は、伊勢の神官家の祖である天日別(天日鷲と同神)に征伐されたことになっている。
『倭姫命世記』では、これは阿射加の悪神、伊豆速布留(いずはやふる)を、
天日別が神武天皇の命により平定した話として書かれており、
阿射加神社の境内には、『倭姫命世記』に登場する大若子を祀る摂社もある。
伊勢津彦イコール伊豆速布留であるとすれば、
阿射加の悪神、伊豆速布留または猿田彦は、度会氏の祖、天日別(=天日鷲)または阿倍氏であることになります。 阿倍志比古、すなわち阿閉氏の母胎は阿波徳島に盤踞(ばんきょ)する阿波忌部です。
一方、この阿波忌部の祖、天日鷲は、出雲の神である少名彦(スクナヒコ)と同一神とされている。
これは少名彦と粟、淡島(粟島)との関係からのようです。
少名彦は大国主の国造り仲間ですので、同族と考えてよいでしょう。
つまり乱暴な言い方をすれば、伊勢の神官家の祖である天日鷲の出自は、
大国主≒スサノオに代表される出雲の神だということです。 出雲の神の大国主やスサノオを出自とする天日鷲(天日別)が、
同じ出雲を出自とし、『倭姫命世記』でスサノオと関連付けている
伊勢津彦(伊豆速布留)を神武天皇の命により征伐したことになる。
早い話が、
天日鷲(天日別)=大国主(≒スサノオ)=伊勢津彦(伊豆速布留)であり、
討つ者と討たれる者が同一人物になるわけです。 >>949 は、スサノオと稲田姫との間に生まれた子の名前です。
スサノオは妻の実家に須賀之八耳神という官職を与え、
生まれた子に >>949 のような名前を付けた。 『倭姫命世記』で、
出雲建子(伊勢津彦、櫛玉命)を出雲の神スサノオと関連付けているのは、
度会氏はそれが自分のことだと知っているからです。
度会氏が平定した伊勢津彦とは、実は度会氏自身であると知っているからです。
『伊勢国風土記』も、おそらく度会氏側が編纂したものでしょう。
これが、外国人レプテリアン、スサノオの正体です。 すべてが神官家による自作自演だったとすれば、
阿射加の悪神、伊豆速布留または猿田彦の中身は、神官家一族、つまり○野氏や○部氏といった外国人だったのでしょうか。 その謎を解くヒントの一端が、
例えば現行の真救世主スレのレスナンバー 787 を始めとするオカ板の書込みに隠されていると、
わたしは考えています。 お金に困らないカップル。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-ad3e.html
子供がキスした?
スポーツのうんちくさえ聞いてくれればいいよ。
ソクラテスは「誰とでも話す」ことだけで修羅場を生き残った。
「なぜ小テストをやるのか?」
天皇陛下のためなんだよ。 出雲の神、大国主が、出雲の神、大国主に国を譲り、
国を譲った大国主が全国を制覇して、現天皇家の祖となった。
こういう話です。
ここまでわかりますか? つまり、
どちらかが国を譲ったとか、譲られたとか、
そういう構図自体が成立しなくなってる。 >>919
> 伊勢の神官家は、他の地で自分たちが「征伐」した他の氏族の祖神を、
> 現天皇家の神として祀っているようで、実は自分たちの祖神として祀っている。
> こういう認識が現段階での最先端というところでしょうか。
この構図自体が消されてしまっているわけです。 「譲られた」のはマトリックスそのもの。
国ではなくて、マトリックスそのものが「譲られ」たのだ。 「応神天皇」(現天皇家の祖)は、
(例えば伊佐和なら伊佐和という)本当の名前を、
自分が「譲ったほう」、「奪われた側」として生きた。
だから、そのように思い込んでる人たちがいる。 >>982
これは、
天日鷲(天日別)=神官家のことであり、
度会氏=現天皇家
ここまでわかりますか。
つまり、度会氏の祖、天日鷲は神武天皇と言ってもよい。
少名彦(スクナヒコ)は年数が少ないという意味もあることから、
イコール大若子とも考えられます。 天日鷲は神武天皇の命により、
伊勢津彦を征伐しますが、
伊勢津彦は天日鷲自身なのですから、
これは神武東征の話なのです。 >>986
> 自分が「譲ったほう」、「奪われた側」として生きた。
これができたのは、彼がレプテリアンだったからです。 質問者「マトリックスとかレプテリアンとか、あなたは依然として巧みに論点をずらしているのではないですか。
わたしたちが知りたいのは、あなたの家が本当は神官家の一員なのではないか、ということです。」
ジョセフィーヌ「あなたのご指摘は、レプテリアンやマトリックスというものについて理解していないことから生じています。
わたしの家や血統を語る上では、これらについての十分な理解が必要だからです。
しかし、レプテリアンやマトリックスについて説明することは絶望的なまでに不可能です。
本題から遠ざかるように見えても、逆説的に論証していくしかないのです。」 阿射加神社に祀られている伊豆速布留が、
南伊勢の神官家、度会氏の祖神とイコールであるなら、
当然、わたしの家も南伊勢の度会氏系ということになります。
伊豆速布留は一応、度会氏の祖が平定したことになっていますので、
これが度会氏の神ということであれば、
わたしの家は、神官家すなわち天皇家の自作自演を演ずる一員である蓋然性が高くなります。 巻き添えにするのは気が引けますが、
これは舟木氏についても同じです。
松阪市嬉野下之庄町にある豊地神社には、
建速須佐之男命、猿田彦命とともに伊豆速振命が祀られている。
他にも複数の神が祀られていることから、この豊地神社は明治の神社合祀の際に、
近所の神社の祭神をまとめたのではないかと思われます。
何が言いたいかというと、このすぐ近くには舟木城(堀之内城)がある。
豊地神社の伊豆速振は、堀之内城の城内社で舟木氏が祀っていた蓋然性が非常に高いということです。 だとすれば、船木氏の祖とされる大田命は、やはり伊勢の神宮の神官家の祖と共通であることになります。 このマトリックスの中では、
オリジナルに見えたものが次々と、自演の波に呑み込まれていくのです。 マトリックスとはそういうものだからです。
マトリックスの主が本物になるようにできているのです。 だから、夢の中で本物と偽ものを区別しても意味がないのです。 このスレッドは1000を超えました。
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