しかし中央本線敷設が計画された一帯は、先祖代々清水家の土地であり、明治35年当時は清水の所有地であった。つまり、そこに生育していた信玄公旗掛松は、清水倫茂が所有権を持つ個人所有物であった。
その一方で地権者であった清水は、鉄道院が作成した詳細な計画図面を見て驚いた。その図面によると、信玄公旗掛松の根元から西側にわずか一間足らずという至近距離に、停車場と線路が敷設される計画であったからである