スポーツジム・スポーツクラブが、
教育という名の皮を被りながら、「教師や役人の自己満足」に終始する"体育"の授業と比べ
体の動かし方を指導するということについて真摯なのは
スポーツクラブが「選択制」だから、ということにつきるだろう。

体育の授業は、
親が悪い、やり方は全部自分で見つけろ、などと他人のせいにするのみで、
体の動かし方を教えることを一切考えようとしない。

きっかけもロクに与えず、自分で見つけなくてはならないのだったら、そもそも教育として実施する意味がない。

体の動かし方がうまいひとでなく、あえてそうでない人を
見世物にして楽しむような、教育を名に借りた自己満足を満たすだけの行為も横行している。


"体育"は「義務教育」という制度に守られ収入が途絶えることがないため、
教育関係者はいかにずさんな指導をしていても
常に安定した収入が見込めるので、「改善する必要がない」のである。

一方、スポーツクラブでのレッスンの指導で
体育の授業のようなことをしていたら、即刻収入が途絶え倒産してしまう。
スポーツクラブには「行かない」「選択しない」自由があるからだ。

スポーツクラブに通う人達の、健康でありたい、
体の動かし方を習得したいというニーズに常に対応していく必要があるのである。

体育を選択制にすべきという意見は多数出ているが、
選択制にすることにより、教育の質の向上が望めることは間違えないだろう。