「東大入試に体育を導入すべき」と主張する運動学者によると、

小学校の先生は、運動学を学んでいる専門家でないから
『体の動かし方は教えられなくても仕方ない』、らしい。

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しかし、国語や算数では
ひらがなの文字の読み書きや九九など、基本的な考え方は
個々の学力に関わらず、ほぼ全ての人が習得できている。

小学校の先生は、文学や数学の修士課程を卒業してないどころか
大学で専攻している先生も、一部でしかない。

国語や算数の専門家でない小学生教師が、
子供達に教えるのが可能なのは、

学習カリキュラムが確立しているからだ。
先生の能力の差を、カリキュラムが吸収しているのである。

子供の学力低下の問題が出た場合は、カリキュラムの見直しが行われる。

しかし、体育のカリキュラムはそのようなことはなく、
(だから、上記の学者の言うとおり専門家でないと教えることができない)

子供の体力低下に直面しても、親が外遊びさせていないとか他人のせいにしかしない。

生徒には、根性が無いとか運動神経が悪ければ恥をかくのは自業自得と厳しい言葉を浴びせながら
体育教師・カリキュラムは、専門家じゃないから何も教えられなくてもしかたがないという。

「他人に厳しく、自分や身内には甘い」

「体育教育の成果=子供の体力低下」であることは必然といってよいだろう。