一昔前の多くの教師たちは、いい生徒の将来性を伸ばさずに、PTA、有力者、教師、経営者、議会議員などの子に(通知箋で)高い評価を与えたがる。
そうしないと、教師(校長以下)が保護者たる金持ち、PTA、有力者たちにイジメられてしまうらしい。

たとえば、
誰(生徒たち)の目から見ても運動音痴のある医者の子が保健体育の評価を4とか5をつける。
表向きな理由は「保健のペーパー試験の評価がよかったから、日頃の授業態度がいいから」だが、そうした評価方法について貧乏人(片親・生活保護を含む)の子は当てはめていない。本当の理由とは、
「医者なだけに保健に大きく関与している。医者の子に保健体育の評価を1や2を与えることは、地域医療や住民に不安(薮医者扱い)を与えかねない。そうしたものが苦情やイジメになりその子の人間性に萎縮してしまえば、教師として申し訳なくなる。
貧乏人の子なら、評価に1や2を与えても親の仕事や住民に不安を与えない。だから、医者の子が運動音痴でも教師の裁量権で(保健体育の)評価4とか5を与えるべきだ」
という、まるでドラマ『白い巨塔』の鵜飼医学部みたいな性格の校長や教頭ら管理職からの圧力を受ける(こうした職務命令に従わない教師は『白い巨塔』の里見助教授みたいに勤務評定の査定に響くことになる)。
そして、運動音痴の医者の子が保健体育の評価が5になり、反対に評価5がつくべき運動神経抜群の抜群の貧乏人の子の保健体育の評価が1や2となる。

また、たとえば、某高校の数学の先生の娘がある中学の定期試験で1桁(100点満点)の成績を取っても、通知箋の数学の評価が3より下回らない。これも、
「数学の先生の子が数学できませんとなれば、“一体家庭でどういう教育をしているのか?”と、
地域住民とかにもそう思われてしまい、私ら同僚の先生たち(やその子ら)も疑われて迷惑を与えかねない。
だからいい評価を与えないと、我々の教育にまで不信感を抱かれてしまう。だから誰か貧乏人の子と評価を成績をチェンジすべきだ」
と、管理職に言われ、数学の先生の娘を評価3にして、本来3がつくはずの生徒に評価1や2がついてしまう。

経営者・有力者の子も同様に、「地域経済に不安を与えてかねない」といった調子である。

このような八百長評価によって潰された当時の貧乏人の生徒たちは、じつはゴマンといるよ。