「努力が足りない」
このせりふほど、教育現場において、発する側の怠慢と無責任を語る言葉はない。

「努力が足りない」
こういっった瞬間、すべての責任・原因は生徒・学生・被助言者の側に押し付けられ、
教師・教官・助言者のすべてが免罪される。

「努力が足りない」
この言葉は、適性・能力・環境といった個別の事情をすべて無視することが許される
助言者にとっての魔法の杖である。
助言者の能力ではなく、被助言者の人格に問題をすり替える万能の道具なのだ。

「努力が足りない」
結局、この言葉は、助言者のみを優越感と万能感と
「いいこといってるなぁ、おれ」という自己陶酔感に浸らせるためだけの効果しかない。
被助言者には何の役にもたたない、無意味な言葉なのだ。