結局さぁ、「努力教」の信者ってのは、
「誰でも」「際限なく」努力できるって前提で話してるんだよね。
大間違いのコンコンチキってやつさ。

たとえば「努力できる能力」が5段階で1のひとと、
5のひととで、同じ「1」だけ「努力」した場合、

どっちが努力したことになって、どっちが手を抜いたことになるんだろうね。