>>233
「10才までの運動経験で運動神経は決まる、
 先天的なものはなく、運動音痴な人は
 10才まで努力不足・怠けていたからだ」
といって
我々が実施不可能でどうすることもできないことをいって
これを見た、運動音痴な人を悩ませ、苦しめる考えには、

「卑怯さ」を感じる。

ちゃんとしたデータがあるのかも怪しい。


勉強や科学、語学などについては、受験生はもちろん、30代や40代の大人でも
効率よく勉強する手法が見いだされている。

彼らは、研究者としての責務を果たしているのだ。


しかし、運動の研究者の多くは「10才までの運動経験が全て」という
われわれが、絶対に手の届かない手法しか提示しない。

こういうことが書いてある本やサイトをみるのも
10才をすぎた人ばかりだろう。

彼らが、研究者としての責務を果たしているようには思えない。

「運動神経に生まれつきの要素があること」と
「効率よく運動神経を向上させる手法」を見いだせないのだ。

「10才までの運動経験」というのは
「効率よく運動神経を向上させる手法」を見いだせないことの
「言い訳」にしか聞こえない。

「10才までの運動経験が全て」と限定しておくことにより、
「運動神経の生まれつきの要素を見つけられないこと」と

「効率よく運動神経を向上させる手法」が見つけられず、
「我々の努力やトレーニングが結果に反映されないこと」の
”免責”が図れるからだ。