キルケー・ウイルスによって、遺伝子は非常に変異し易い不安定なものになり、またそれまでの遺伝子操作技術が通用しなくなった。ルイセンコ主義の主張が罷り通る余地が生まれたのである。

「資本主義陣営」の著者たちによる文献では、ルイセンコ主義はルイセンコの失脚とともに滅んだかに書かれている。だがメドヴェジェフ(『ルイセンコ学説の興亡』など)によると、少なくとも70年代の段階ではルイセンコ主義は息の根を止められてはいない。なぜなら、ルイセンコとその追随者たちの多くは国家から功績を称えられているので、それを否定することは国家権威の否定になりかねないからなのであった。