南千住 回向院 その6: 徘徊の記憶
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文久2年(1862)勅使・大原重徳が島津久光と薩摩藩兵を伴い江戸に入る。勅命を以って幕府人事に介入し、7月6日に一橋慶喜を将軍後見職、同9日には松平慶永を政事総裁職に任命させている。同月12日、政事総裁職・松平慶永が戌午以降の国事犯者の赦免を主張し、幕議でのこれを容れることを決している。

明田鉄男氏は「幕末維新全殉難者名鑑」(新人物往来社 1986年刊)の安政の大獄編で、最後の殉難者を弘前藩士の工藤只八としている。奇行を忌まれ昌平黌を退学させられた人物であるが、安政年間に藤森恭助や梁川星巌と詩酒を交わし国事を論じたことから大獄に連座したようだ。入獄数年、釈放後間もなくして亡くなったことのみが記されている。