日本の音大は特有の偏狭で堅物な音楽理論至上主義がある為、柔軟かつリベラルな発想で作曲をしたかった自分はわざわざ高額な学費と莫大な労力を費やして音大に行くまでも無く、地元の一般大学の文学部へ入学したものだった。