【相互主観性のコミュニケーション】

相互主観性のコミュニケーションとは、互いに相手の主観を推し量り合いながら会話することだと僕は誤読していました。
それは惜しいところまでいきましたが、違いました。
相互主観性のコミュニケーションとは、相手の主観を推測することではなかったのです。
相手の主観を推し量るというのは、相手の一部を見るということです、それはいずれ失望に繋がりかねません。理解としては不完全と言わざるをえないです。

相手をyou(他人)という目で見るというのは、
互いに相手のI(主観)を体験するという、相互主観性のコミュニケーションの本当の理解になりません。

相互主観性のコミュニケーションとは、
私(I)が相手のI(主観)を体験するということです。
互いに相手のI(主観)を体験できて心が通じ合うというのが、相互主観性のコミュニケーションの意味です。

相手のI(主観)を体験するとは、相手を私(I)を見る目で見ないといけないということです。
相手をyou(他人)としてではなく、私(I)として見るということです。

自分と相手を隔てている境界線を共に超えるのが、相互主観性のコミュニケーションの真意です。

相手の「良さ、悪さ、美しさ、醜さ、感動、栄光、希望、絶望、強さ、弱さ、恐怖、喜び、渇望」
それらを全て知っているのは相手本人だけですが。
相手のI(主観)を体験することの本当の意味とは、その全てを知るということです。

彼は私だ、私は彼の栄光も挫折も希望も絶望も強さも弱さも、彼の全てが理解できる、彼の心が伝わってくる。

それは体験して初めて解る、
「ゾッとするほど美しい心が伝わってくる感覚」で、
「彼の全てが理解できる」という心が震えるような体験です。

これが相互主観性のコミュニケーションの本当の意味です。