私は、ずっと死を恐れていた。それから完全に逃げることなんて出来っこない。そんなの分かってる。でも、出来る限り遠ざけたいと願い続けた。
 初めて死の恐怖に囚われるようになったのは、10年も前の中学生の時。幼馴染が白血病で亡くなったことが切っ掛けだった。
 あの時、私は死というものをハッキリと実感した。

 当時一番仲の良かった友人だったから、彼女の入院生活が始まると、私は学校帰りに見舞いにと、病院に足を運んだものだった。
 最初は良かった。幼馴染は、健康体との違いが傍目からは分からないくらいだったから。
 他愛無い雑談を交わしては、決まって最後に『早く良くなってね』『うん』と言葉を交わして病院から帰ったものだ。
 でも、そんな穏やかな気分でいられる見舞いはすぐに終わりを告げた。
 投薬の影響で、彼女の艶やかな長い髪が失われた。ニット帽をかぶって――『髪の毛抜けちゃった』と、苦笑いを浮かべる幼馴染の表情は余りに痛々しかった。
 急に嘔気を訴えたかと思うと、げー、げーと嘔吐することもあったし、『痛い、痛い!』 と、泣きながら叫んでいる姿すら見かけたことがあった。
 彼女の闘病生活が、とてつもなく辛いものであることは容易に察せられた。
 幼馴染のそんな姿を見るのが嫌で、毎日病院に見舞いにはいかなくなった。でも、数日いかないでいると何だか後ろめたくなって、それでまた彼女の病室を訪ねる。その繰り返しであった。

 そんな見舞いの中で、一つ不思議なことがあった。
 幼馴染はよっぽど苦しい時を除き、大体穏やかな笑みを浮かべていたのだ。
 私には分からなかった。どうして、素人目から見ても死の淵に近づくばかりの日々で、そんな顔を浮かべられるのか。
 私の記憶の中で、彼女が一番穏やかに笑んでいたのは、彼女が亡くなる一月前のことだ。その時交わした会話は、余りに印象深かったので今でも覚えている。
 ――『私、もうすぐ死んじゃうんだね』
 彼女が、直訪れる『死』に触れたのは、それが初めてだった。なので、私は大いに狼狽した。
 だって、それが遠からず訪れる未来であることは分かっていたが、互いに口にするのを避け続けてきた話題だったからだ。
『ねえ、生まれ変わりってあると思う?』
 私は何とも答えられなかった。肯定であれ否定であれ、軽々しく口にするのは余りに憚られたから。
 押し黙る私のことを気にも留めずに、彼女は穏やかな声で続けた。
『私はあると信じているの。だから、私は死んじゃってもさ……生まれ変わって、またちーちゃんに会いに行くね』
 その穏やかな声に、私は嘘を感じなかった。だから、一層悲しくなった。
 普通なら到底信じられないことを信じでもしないと、彼女は心の平穏を保つことすら出来ないのだと、そう思ったから。

 幼馴染の死は、私の中に拭いようのない死の恐怖を植え付けた。
 それからというもの、私は人一倍健康に気を遣うようになった。逃げ切れはしない。だけど、出来る限り長く逃げていたい。その一心で。
 でも、臆病者ほど流れ弾に当たる、それと同じことなのか。私は二十半ば前で、死病に囚われた。奇しくも、幼馴染と同じ白血病だった。
 泣いた。喚いた。眠れない夜の度に、幼馴染の死に様がまざまざと思い起こされて、気が狂わんばかりであった。
 ――どうして? どうして? 嫌だ! 嫌だ! 死にたく……ない。
 まるで幼子のように泣きじゃくる日々。幼馴染の、あの穏やかな死に様とは真反対であった。
 そんな折のこと、トントンと控えめなノックの音が私の病室に響いた。
 私は訝しんだ。先生や看護師の診察の時間でもなければ、食事時でもない。中途半端な時間。
 見舞いには誰も来なくなって久しい。泣き喚く病人の見舞いなど、誰も来たがらないのは当然のことであった。
 私は黙ったまま病室の扉を凝視した。ほどなくして、扉が開かれる。私は目を見開いた。
「あ、あれ? ご、ごめんなさい。病室を間違えちゃったみたいで」
 鈴を転がしたような声音。その来訪者は女の子だった。黒く艶やかな長い髪をした女の子。年の頃は九歳くらいに見える。とても既視感のある容姿だった。
「本当にごめんなさい」
 ぺこぺこと二度頭を下げた女の子は、そっと扉を閉めた。私は閉められた扉の方に向かって、小さく囁きかける。
「じゃあね」
 ありがとう、会いに来てくれて。私は感謝する。そして勝手に約束を取り付けた。
(今度は私から会いに行くね。じゃあね、また……)

 この病室に入ってから初めて、私は穏やかな笑みを浮かべられた。