イメージだけど、文語体ってこういう文章のことだろ?
>廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火ともしびうつる三階の騷ぎも手に取る
如く、明けくれなしの車の行來ゆきゝにはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前だいおん
じまへと名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社みしまさまの角
をまがりてより是れぞと見ゆる大厦いへもなく、
樋口一葉「たけくらべ」

>未まだ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠さしこめて、真直ますぐに長く東より西に横よこたは
れる大道だいどうは掃きたるやうに物の影を留とどめず、いと寂さびしくも往来ゆききの絶え
たるに、例ならず繁しげき車輪くるまの輾きしりは、或あるひは忙せはしかりし、或あるひは
飲過ぎし年賀の帰来かへりなるべく、疎まばらに寄する獅子太鼓ししだいこの遠響とほひびき
は、はや今日に尽きぬる三箇日さんがにちを惜むが如く、その哀切あはれさに小ちひさき膓は
らわたは断たたれぬべし。

尾崎紅葉「金色夜叉」

普段こんな風に話しているわけじゃないけど、文章を綴るときには、格式高いという理由で文語体にした。
それをやめて、実生活で話すときに使うような文章にしようよ、ということで口語体と呼ばれる文章で書くことに舵をむけた。ということでは?
つまり、いまの我々にとって「文語体」という言葉は死語に等しい。
会話文調=口語体ではない、でいいんだよね?