>>586
悪くなった。
情報過多で、説明のための文章でしかない。詰め込み過ぎだ。

そもそも掴みと言うなら、
「Aが神隠しにあったのは、高校三年生だった私たちが卒業式を一ヶ月後に控えていた二月六日のことだった。」
という文が冒頭にあるだけで自分なんかはメロメロである。
だがそういうわけにもいくまい。

臨場感がどうとか前に言っていたが、このパートにもそれはない。説明ばかりだからだが、その説明を読んでも情景がうまくわからない。
大きな一級河川。コンクリート張りの河川敷がある。川を覗き込む。
川沿いとはどこだ? 語り手はどういうところを通ってバス停に向かうのか?

二十年前にどうしたとか、十年前になにがあったとかの前に書かなければならないのは風景描写だ。それによって読者がスムースに作品世界に入っていけるのだ。
歴史を語ることにより得られるリアリティは、今を語ることにより生まれるリアリティがなければ対岸の火事でしかない。例えが変かもしれない。
そもそも鯉とか、二十年前、十年前になにがあったかは、いらないんじゃないの? 大雨が降ったら川が増水するのは当たり前だし、後段の怒りをうまく書けば特に。

川の様子の移り変わりを感情であらわすのは面白いと思った。
しかし、そうするなら前段で「実にさまざまな表情をする。春の表情は穏やかで、」などとするのはどうか。「感情、表情」という擬人的な表現を使わない方が、あとの「この川の感情を目にしてきた。」が生きるのではないか。
そもそも「春」にかかる「表情」は不要だろう。
であれば、季節ごとの川の様子は感情で表すべきだ。そして、春に怒りを含ませるのは性急である。夏の梅雨の時期や台風シーズンが怒りではないか。夏の雨が降らない時期は悄げるのではないか。秋と冬も手を抜けないだろう。
あと、大きな一級河川が干上がるのもどうか。

Aのことに触れてからの、川が海に繋がっているとか噂とかは余計な付け足しだ。前の文章をちょっと練るだけでいいと思う。
失踪に川が関係するのは当然と読者は思うし、テンポが悪いだろう。ついでに言えば、犯人は語り手だと読者は思っている。なぜならまだ語り手しか登場していないからだ。え? そういう話じゃない?

なぜか消えてしまった神隠しのところだが、その後時間は当時に飛んで、「川は怒っていた。季節はずれの〜」で始まると踏んだが、し氏のことだから、当時の仲間が集まっておしゃべりをするだけという展開もあるかもなぁ。

冒頭は変えたが、前の方がまだましだと思う。語り手が大学生であることがわかりやすいからだ。しかし、前の文もなんだかしっくりこない。通学のダブりに加えて、「を」が近いところかな? 「実家」が変かな?
実家といわれると、他に住処があるのかな、と思ってしまう。家族と同居しているという情報のため使うのはそぐわない、と自分は思う。
冒頭の文で供したい情報は、語り手は大学生、大きな川がある、いつもそのそばを通る、ということか。
あー、いつも通る設定はいらないんじゃない?
高校の時は通学に使っていたけど、大学生になってからは使わなくなった。久しぶりにきてみた。Aのことを思い出した。回想、または時間が飛ぶ、または話題になる。
この方がスムースにAのことに触れられる気がするな。いつも思い出すとかちょっと不自然。二年から四年(浪人とか留年をしていないなら)の間通っているならかえって思い出さないのではないか?

あとは「近所の連中」がどうかな。前に「近所の子供たち」とあるから「それに」でよさげ。
「Aと私とは幼馴染で、昔は、この川沿いで近所の子供がよく遊んだものである。私もAもそれに混じって一緒に遊んでいた。」
なんか変だな。前の文の前段と後段に地味に脈絡がないからだな。
「Aと私とは幼馴染で、昔は、この川沿いで近所の子供たちと一緒によく遊んだものである。」
……ずいぶんシンプルになっちゃったな。
「連中」という言葉はニュアンスが含まれているから違和感がある。なんかおっさんくさいし。

とまあ、エンタメ的で参考にはならないかもだけど書いてみた。