聞き取り調査でわかったことは、朱川は十時と昼食後と三時に例のドリンクを飲むこと、今日は朝からどこにも出かけてはいないこと、恨みをあちこちで買いそうだということ、恋人といわれる存在を誰も知らないこと、であった。
 欅道先生は、何者かが冷蔵庫の中のドリンクに毒物を混入したに違いないと言う。
「やっぱり彼女≠ェ怪しいんじゃない?」
「そんな、自分がすぐ犯人とわかるようなことするかよ」
「じゃあ内部の犯行ってこと?」
「うちの社員にそんなことをする者はおらん!」
「しかし、部外者が給湯室に入るなんてあり得ませんよ」
「じゃあやったのかな」
「お腹減ったなぁ」
「給湯室に誰が行くかなんて注意して見てないからねぇ」
「そもそも毒を入れたかどうかはわからないだろう」
「冷蔵庫にあるやつを飲んでみればわかりますよ?」
「やっぱり毒を入れたに違いないだろうな、うん」
 雑談モードに入った編集者たちがそれぞれ好き勝手なことを言っていると、欅道先生がおほんと咳払いしてみなの注目を集めた。
「田所さん、ランチのあとにも朱川さんはあのジュースを飲んだんですね?」
「あ、はい。いつも自分の席で飲みますから。今日も、まずそうだな、って思いましたから間違いないです」
「その時異常は?」
「特になかったと思います」
「つまり、ランチのあとから倒れるまでの間に給湯室に入った人です」
 編集長と副編集長が小さくセーフ≠フジェスチャーをした。偉い人は自分でお茶など淹れないのだ。
「あ、そう言えば」
 と言ったのは給湯室にいちばん近い席の長尾《ながお》という女性編集者だった。黒髪を後ろで束ね眼鏡をかけた地味な女性である。歳は三十半ばだ。
「三時ちょっと前に給湯室から『馬鹿!』って怒鳴る声が聞こえてきました」
「ああ、それ、わたしも聞いた」
 栗色の長い髪をゴージャスに整えた浜口《はまぐち》という女性編集者が言った。メイクも気合が入っている。歳は三十ちょっと。席は割と給湯室から近い。
「なんだか男女のもつれって感じの声だった。職場で痴話ゲンカかと思っちゃった」
「えー、そんなことがあるんですか?」
 鈴子はあきれた声で言った。朱川は女癖が悪いと聞いたことがあるような気がする。あんな男と付き合おうとする女《ひと》の気が知れない、と思った鈴子の顔を、ゴージャス浜口がじっと見つめた。
「あるんですか、って――あれは鈴ちゃんの声だったと思うけど?」
「えっ!?」
 鈴子は驚愕のあまり飛び上がった。鈴子が否定を求めて地味な長尾に視線をやると、睨むような眼差しにぶつかった。
「あれば間違いなく鈴木さんでした。声のあとすぐ怒った様子で給湯室から出てきました」
「ええっ! そんな馬鹿な――あっ!」
 鈴子は思い出した。給湯室で朱川に『馬鹿! なことを言わんどいておくれやす』と言ったのだ。ちょっと違う気もするが、最初の部分だけ外に聞こえたのだろう。
「鈴木、朱川とそういう仲だったのか……」
「花代さんまで! 違いますよ、あれは――」
 鈴子は朱川とのことを説明した。担当を変われとうるさく言ってくること、担当をはずされるようにわざと作家を怒らせるようにと言ったこと、お昼にラーメンをおごると言われて喜んでついていったら財布を忘れたと言って結局ふたり分を払わされたこと、給湯室で叫んだ言葉の意味。
「朱川め。そんなことを」
 花代が苦々しげに顔をゆがめた。
「なるほど――動機はあるわけですね」
 欅道の目がきらりと光った。
「ど、動機!」
 鈴子に朱川を殺す理由があるというのだ。
「そ、そんなことありません! そんなことで人を殺していたら、今までに何人を殺しているか! それに殺《や》るなら毒殺なんてしません!」
 おいおい、と花代がツッコんだ。
「あ、そ、そうだ! 朱川さんが一緒にいたのなら、毒を入れることなんてできないじゃないですか!」
「そのちょっと前にも給湯室に入ったよね?」
 と言ったのは地味な長尾である。
「え……?」
「わたしも見た! 結構長い時間いたよね?」
 ばっちりメイクの浜口も同調する。
「そ、それは、阿々楠先生のためにコーヒーを淹れてたからです!」
「コーヒーはコーヒーメーカーにあったでしょう?」
「煮詰まっているものなんか出せません!」
「なるほど、動機はあり、チャンスもあり、僕には煮詰まったコーヒーもなし――ですか」