酷評よろ。

高校に入学した時分のこと、私はこの田舎に希望をもってやってきた。ここではいろいろなことがあるとあの頃の自分は、本気で思っていた。何故なら田舎の人間は寛容だという勝手な観念を抱いていたからだ。
実際には真逆で、方言の違う私をこの土地の連中は卒業まで受け入れてはくれなかった。
この土地の同年代の飲み会というか、集まりに参加したことが私はなかった。ただ一度だけ高校三年の文化祭の打ち上げに参加したことがあった。
学校では、普通に友達もいて、至って普通の高校生活を送っていた私だったが、仲の良かった何人かの口から訊かされた
「飲み会が」とか「集まりが」とかいうところのその集まりとやらに参加したことが文化祭の打ち上げ以外には一度もなく、考えてみれば、私は休みの日に独りでいることが多かった。
これは私が嫌なやつだったから、とかいうより、それが自然だからそうだったという方がしっくりくるだろう。集まりに呼ぶ呼ばないという話題さえ恐らくは連中の口から漏れたことはなかろう。
私という存在は外部の人間として、話題にのぼったくらいが関の山である。
だから私はこの郷土に結び付けられた連中に複雑な心情を抱いてきた。この地方の人間は、そんなに悪い連中ではないけど、都会に暮らす人間のようなバイタリティーは皆無だった。
どれ、新しいことをしよう、とか常に外部を取り入れながら混沌とした人間関係を築くようなことを連中はしなかった。彼らはただ単調に過ぎる日常と自分が戻るべき場所を好んだ。
私は連中にとって外部の人間であり、どんなに学内で仲良くなってお喋りしても彼らと学校の外で会うことはほとんど皆無だった。
彼らは私のような外部の人間を郷土の「集まり」に入れたがらなかった。もちろん外部の人間を頑なに入れないということはないだろうけど少なくとも私の気質は彼らにとって外部だった。