「いつでも、どこでも、誰にでも」大学教育するためには
本来日本語だけで授業を提供することも
国内だけに放送を行うこともおかしい

「日本人のために」という理念を明記するか
本当に多言語世界放送を実現しないと
理念を全く体現していないことになる