論理的思考力を鍛えよう Part1
なぜ論理的思考力が必要か?
どうすれば論理的思考力が鍛えられるのか?
議論しましょう。
このスレを見た人が論理的思考力を鍛えて、日常生活や仕事に役立ててくれることがスレ主の願いです。 >>572
> でも相手の人格を否定するだけだとただの対人論証で論理性のかけらもなくなってしまわない?
人格を否定することが目的なのだから、一貫した論理性は必要ないでしょう。
その場その場で重箱のすみをつつけばいいだけです。
そもそも一貫した論理性というのは、最初からあるものではなく
論議を重ねながら、修正していくものなのですが
(ここを誤解しているひとは少なくない気がします)
損を推めるつもりはないのですから、相手の論の不正確性や緩みをひとつ見つけたら
(たとえ相手がそれを修正しても)いつまでもそこを否定することだけを続ければいいわけです。
そんな不正確な物の上に成り立っている論など意味は無いということもできます。
相手が他の話をして論を先に進めようとしても、論旨が違うといえば十分です。
人格否定のためなら論を進展させないほうが効果的ですからね。
こういったやり方なら、論理的な破綻は最小限に抑えながらいつまでも
(相手の役に立たないしかし自分の目的通りの)話を続けることが可能です。
>>572
> 極端な例で本当に申し訳ないんだけど先程の信号無視の場合
まず相手が話をする気も聞くきもないなら、まともな論議は無理だという前提で
相手がきちんと話を聞くつもりがあるのなら、論理的に反論する方法はあると思います。
AとBの正当性の違い(差)をなんらかの方法で示せばいいのです。
科学的したいなら反証可能な定量的な方法でそれをすればいいと思います。
いずれにせよ、論を成長させるとか詰めることが目的で論議を行うならば
二者だけで論議ができますが、論を敵対させる場合には2人の論者以外に
第三者の立場で、論を評価する人が必要でしょう。
第三者が必要になるというのは、相手が話を聞くつもりがないとかの極端な場合
ではなくても同じです。
指摘された論の破れについて、他の方法で担保できたと感じるか感じないかは
論者の感情によるところが含まれるからです。
第三者立場というのは、必ずしも人間ではなくてもかまわない場合もあります
科学的論議などでは、定量的な方法で正しさを決定できる場合もあるからです。
科学では数学的が多用されるのも、数学には正しさについての決定方法が単純で
扱いやすいという側面があるからです。