論理的思考力を鍛えよう Part1
なぜ論理的思考力が必要か?
どうすれば論理的思考力が鍛えられるのか?
議論しましょう。
このスレを見た人が論理的思考力を鍛えて、日常生活や仕事に役立ててくれることがスレ主の願いです。 >>11
それは循環定義といって、意味のないことだよ 398 名無し生涯学習 sage 2012/05/19(土) 07:53:33.61
ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。
「論理学ってのはどういったもんですか?」
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」
「ありますよ」
「ということは、広い庭があるわけですね?」
「その通り!うちには広い庭があります」
「ということは、一戸建てですね?」
「その通り!一戸建てです」
「ということは、ご家族がいますね?」
「その通り!妻と2人の子供がいます」
「ということは、あなたはホモではないですね?」
「その通り!ホモじゃありません」
「つまりこれが論理学ですよ」
「なるほど!」
深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。
「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」
「いや。ないよ」
「ということは、君はホモだな!!」 >>12
分割しただけですから循環にはなってないですね >>18
分割してても循環定義だよ
自分が持ってる論理学の本には例として
『管理社会とは人々を管理する社会のことである』
『独裁政治とは独裁者による政治である』
これらを循環定義と書いてる
>>11は
『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』
と言ってる。同じだし解明にはなってない
これは循環定義 頭脳明晰ってのは頭脳が明晰なことだよ、って言うようなもんだなw 100 132人目の素数さん 2011/11/26(土) 16:26:35.92
倭の国に盾と矛を売っている商人がいた。 自慢して言った:−
「私の盾は頑丈でどんなものも突き通さない。 一方、私の矛は鋭く、どんなものでも突き通す。」
ある客が言った。「あんたの矛をあんたの盾に突き通そうとしたら、どないなるんや?」
商人はこう答えた。
「いい忘れてましたが、盾が突き通さないものの中に私の矛は含まれません。
また、矛が突き通せるものの中に私の盾は含まれません。
私の矛で私の盾が突き通せるか否かについてはわかりません。
両方お買い上げいただければ、お客様自ら御確認できます。いかがですか?」
客曰く 「ギャフン!」 9 名無しのオプ sage 2011/06/22(水) 00:54:20.50 ID:5HGVLTrZ
”「博士は眼鏡をいじった。「こう言いたいのかね」博士は迫った。
「本物の帽子屋がロンドンで盗みを働いていると」”
10 名無しのオプ 2011/06/22(水) 03:21:05.38 ID:ivdj3XDZ
>>9
・博士の話している相手は目上の人間ではない。
・こう言いたいのかね、の表現から博士が会話相手は自説を断言することを避けたことがわかる。
→推理:従って会話相手が伝えたかったことは、
「突飛な話」あるいは「博士の名誉に差し障る話」あるいは「自分自身が不利になる話」のいずれか。
・ロンドンで盗みを働いている、の表現から、犯罪は突発的なものではなく連続して起きている。
・本物の帽子屋が〜、の表現が暗に意味する「本物でない帽子屋」
→推理:帽子屋が犯罪を起こす小説等があり、それになぞられた事件が起きている?
18 名無しのオプ 2011/07/10(日) 08:45:43.16 ID:cQnGTeBY
”ハーフォードを出発する前、タナーはルース荘の応接間で見つけた写真に記されていた名前の写真師に手紙を出して、
サー・ウィリアム、オースチン、コスグローブの三人の写真の焼増しを注文しておいた。”
21 名無しのオプ sage 2011/07/10(日) 15:45:34.44 ID:tde/In6A
>>18 まず分かることはタナーは写真師と面識はない、ということ
(ルース荘で写真を見つけて初めて名を知った)。
にもかかわらず、写真の焼き増しを依頼できるということは、タナーには何らかの権限がある
(おそらく捜査関係者)。
ハーフォードを出発したタナーの目的地に写真師がいるのかどうかは分からない。
目的地に写真師がいるのだとすれば、かなり遠方(依頼の手紙の方が早く着くことを想定しているのだから)。
そうでない(ハーフォードから目的地へ出掛けて帰る間に焼き増しが出来上がるように依頼した、などの)
場合も考えられるから、目的地については何とも言えない。
ただ、後者の場合、目的地での調査には必ずしも写真は必要ではないことになる。 24 10 2011/07/11(月) 00:05:22.59 ID:tRxAZDqU
>>21
・手紙を送ってる所から、写真師はハーフォードにはいない。
手紙ならどこからでも(目的地からでも)送れるので、
わざわざ出発前に手紙を出したということは、
目的地に写真師がいる蓋然性が高い。
写真を撮る場合、近くの写真師に頼むはずなので写真師はルース荘の近くにいる。
したがって、タナーの目的地はルース荘であると考えられる。
→推理
見るだけなら目的地の応接室にあるというのに、
わざわざ焼き増しを必要とする理由は聞きこみに使うためと考えられる。
25 10 2011/07/11(月) 00:07:30.72 ID:tRxAZDqU
>>21(つづき)
・ハーフォードの名の都市は、アメリカのカンザスに存在する。
しかし、サーの称号からルース荘のある国はイギリスであることがわかる。
タナーが探偵であれ、捜査員であれ海外に調査に出かけるとは考えにくい。
したがって文中のハーフォードは、
イギリスの都市ハートフォードの書き間違いである可能性が高い。 >>19
あまり厳密でない論理学の教科書お持ちのようですね。 書名は何ですか? ここでの論理的思考とは、論理的に予想を立てることなのですか?
論理式を変換していくようなトートロジーについては範疇外なのでしょうか?
>>25
>>1です。論理学的思考を身に付けて賢くなろうというのがこのスレの趣旨です。
(少なくとも私はそういうつもりで立てました)
ですので論理的なもの全般を扱うと考えていいかと思います。
出しゃばってすいません。また来ます。
おやすみなさい。 >>24
近藤洋逸/論理学入門
循環定義について2種類かいてあります
19で書いたのと
もうひとつの例は
『原子は中心にある核とその周辺をまわる電子群よりなるものである』と
『核とは原子の中心にある素粒子群である』
これらを二つ並べると循環する
始めの定義は『原子』の定義に『核』を用いて
『核』の定義に『原子』を用いてるからとあります
自分は2種類のうちの片方を出して指摘しました
こちらの論理学の本の循環定義が厳密でないと言うのなら
あなたが知ってる循環定義について教えてくれますか?
こちらはちゃんと書いたので 議論だから静観しようよ。文章だから冷たく見えるかもしれないが、
人格的にやっつけようとしてるわけじゃない。>>1見ても言いスレだと思うよ。
論理的思考って生涯学習に必須だと思うから。 そうだな、いいよ。
真剣でもいいが、喧嘩みたいにはなるなよ?良スレを育てていこう! 論理的思考の基本は「単語と単語をイコールでつなぐ」だよな。
頭の中で一つの単語を浮かべて、
しばらく「イコールでつなげる」「ややイコールでつなげる」、
「イコールにすると誤解が生じやすい」「イコールにしてはいけない」を考えるようにしている。
数週間もせずに「話しやすくなった」と言われるようになったよ。
要は、この練習をすると「他人の見方でものを見る」が鍛えられる。
自分の中では無意識に使えている単語でも、改めて見つめるとわかりにくかったりするよな。 出口さんの現代文シリーズはいいぞ。
論理的な解法を教えてくれるから論理的思考が身につく。
社会人になってからでもやってみたらいい。 >>27
Pの定義にP自身をまたはPを参照するものを含むような定義を循環定義というようです。
出していただいた例で言えば、
『原子は中心にある核とその周辺をまわる電子群よりなるものである』と
『核とは原子の中心にある素粒子群である』 では
これらのどちらか一つだけでは循環定義とはなりません。
2つ揃って初めて循環定義となります。
核の定義に原子が必要でしかしその原子の定義に核の定義が必要になるからです。
先の、『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』
論理的思考力 と 論理的思考 と 能力 は それぞれ別のものですから
自分自身を含まず、よって循環にはなっていません。
ですので、循環定義とは異なります。
もしこれが循環だというのなら 「論理的思考力」は論議の必要なく自明に「論理的思考をする能力」と
全く同じものであるという前提が必要になります。 しかしその前提があるとしたら
『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』 は「論理的思考力」の定義ではありません。
もしこれが 定義だと認めるのならば『PはPである』をAの定義であると認めなくてはならなくなってしまいます。
(もちろんそれを認める立場もあるのでしょう)
失礼。 先の投稿には間違いがありました。
× Pの定義にP自身をまたはPを参照するものを含むような定義を循環定義というようです。
○ Pの定義にP自身をまたはPを参照するものを含まないような解決ができないような定義を循環定義というようです。
たとえば 以下のような定義には定義中に定義語自身を含みますが 循環定義とはいいません。
Aは単語である
Bは単語である
単語に単語を続けたものは単語である
参考までに、以上の定義では 「A」 や 「ABBAB」 は 単語ですが 「ABC」 は単語ではありません。
最後の「単語に単語を続けたものは単語である」 だけをとりだしても循環定義ではありません。
他との組み合わせで解決可能であるからです。
>>34
× 『PはPである』をAの定義であると
○ 『PはPである』をPの定義であると
追記:
「厳密でない論理学の本を」などと失礼なことを言いました。
同値関係 反射律 循環定義 を あまり厳密に
区別していない本なのかと誤解していたようです。 >>32
客観的に自分を見るってことですね、わかります。
確かに独りよがりはよくないからね。 >>34
自分の書き方が悪かったなら謝りますが、自分は
>『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』の定義は「論理的思考力」である
と言ったつもりはありません。論理的思考力の定義が論理的思考をする能力であるというつもりで書きました。
まず
「循環定義 論理学」で検索したところ
定義されるべき名辞が、これと同語か同じ意味の語によって定義されること。
とありました。
被定義項である論理的思考力の「力」の部分について、この場合について言えば、腕力や権力とかではなく
能力という意味で使われてることになります。
つまり論理的思考「力(能力)」です
検索した意味は>>19で言いましたが論理学の本にあった
『管理社会とは人々を管理する社会のことである』
『独裁政治とは独裁者による政治である』
と一致しこれらは循環定義になります
管理社会を、管理と社会に分解しても、
独裁政治を独裁者と政治に分解して
別のものになっても循環定義として成立してます。
ゆえに、あなたの言った
>論理的思考力 と 論理的思考 と 能力 は それぞれ別のものですから
自分自身を含まず、よって循環にはなっていません。
は成立しません。
管理社会と独裁政治の例が循環定義として成立するのならば
論理的思考力〜についても成立します。 間違えました
>>39の訂正
>『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』 は「論理的思考力」の定義ではありません。
と言ってるから
正しくは
自分は
>「論理的思考力」の定義は
『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』である
と言ったつもりはありません
でした。 >>34
1、『管理社会とは人々を管理する社会のことである』
2、『独裁政治とは独裁者による政治である』
3、『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』
3が循環定義でないと言うのなら循環定義である1、2と
3との差異について指摘してもらいたいです。
1、2について、もしあなたが循環定義と認めないならば
それはあなたが片方の循環定義しか知らなかったということになりませんか? スレを立てた1が来なくて盛り上がらないからケンカばかりしてるぞ >>39
まず確認しておきたいことがあります。
>>39-40,42の「循環定義」についてですが、
A) 循環定義には2種類あって
ひとつは「AはBである」「BはAである」型の、推移の結果循環を起こすもの
もうひとつは「AはAである」型の、その文内で循環を起こしているもの
B) 定義A:『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』は、先の「AはAである」型の
循環定義である
C)『論理的思考力』は定義を必要とぜず『論理的思考をする能力』と等しい。
D)一般に『○○力』は定義を必要とぜず『○○をする能力』と等しい。
以上のA)-D)の主張であると解釈してよろしいのでしょうか?
また、以下のどの立ち位置での意見でしょうか?
i) 用語「循環定義」の定義はただひとつであり、そちらの主張する流儀のみが正しい。
ii) 用語「循環定義」の定義は流儀により異なるが、このスレではそちらの流儀に統一する必要がある。
iii) 用語「循環定義」の定義は流儀により異なる。 そして他の流儀の解釈に興味がある。
いかがでしょうか。
>>45の続き (45の名前欄に942とありますが、入力ミスです気にしないでください)
>>40 については発言の意図がわかりません
『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』 とは 「論理的思考力」の
定義をしている文だとの主張なのですよね?
>>42 についてはこちらの流儀では1、2、3共に分解をしただけで、どれも循環定義にはあたりません。
「片方の循環定義」というのが、先の「AはAである」型のことでしたら、それを循環定義と捉える流儀が
あることは既知でしたが、「ABはAのBである」を「AはAである」と他の定義なしで同型とみなす
流儀があるのは知りませんでした。
私としては用語にも複数の系があることは承知の上で、どちらも循環定義だという側が、
両者を区別できたうえでそう言っているようなので、あえて両者を混同させるようなことを避け
推移循環定義と自己循環定義とでも言い分ければ、今後の論議には特に問題はないと考えるのですが。 >>32
同値関係(=)だけでなく包括関係(⊂、⊃)についても考慮すると
より興味深い結果になると思います。 >>45-46
もう読んでもわけがわからなくなってきてます。
もう降参です。
失礼なこと言いました。すみません。 物事を=で結ぶ同値関係だけでも
反射率、推移律、対象律をそれぞれ満たすのか満たさないのかなど
けっこうややこしい話があるよね。
論理包含や必要・十分条件あたりになると、
理解できていないのか、的はずれな論議をするひともよく見かける 同値関係に対して無批判に推移律を導入する論議もよく見る 論理的思考についての話題を誤解なく伝えるのには論理学の用語が便利だからあるていどは致し方ない。
論理学についての知識があるなしにかかわらず
論理的思考の持ち主ならば、論理学の初歩にあたるような推論規則は
常識として持ち合わせていたり、そうでなくてもたやすく理解できると思う。
もちろん、わからない場合はたずねていただければ最低限の説明などは出来ると思うし
論理学の学問的スレと言うわけではないのだから、多少の誤解は恐れずに卑近な例など交えての
話などもアリということでいいのではないか。 「はい論破w」
って言っているガキが多すぎる
全然理論的ではないのに 日本人は討論ができないと言われるが「はい、論破」はその典型だな。
論理や話し合いの目的は相手を論破することではない。話題を高めることだ。
片方が適当なことを言えば、結果的に論破という形にはなるが、論破を目指すのは本末転倒だよ。
「はい、論破」は話し合いをするつもりがないから出る言葉だ。 論破というガキ:
テレビ新聞を見ても、政治を見ても、そんな論理的でない大人たちばかりが
まかり通っているのだからしかたあるまい。
子供は大人を見て育つものだよ。 論理的思考力を身に付けてれば上手く仕事も出来るようになると思う。
自分の意見と相手の意見が異なるときに、なぜ相手はそう考えるのか、ほんとに相手の考えは合っているのか
そして自分の意見や考えも合っているのかを話し合うのが議論だと思う。
これをするにはお互いに論理的な思考力がないと出来ないと思う。
「はい論破w」坊は自分の意見を相手に押し付けているだけか、相手の話を聞く気が全くない。
長文ゴメン。 仕事てのは理屈くさいのが一番嫌いだというような取引相手と
一緒にやらないといけない時もあるから一概には言えんな。
そういう相手は、いくら論理的な間違いを指摘しても、
相手はそれを理解する気もないという、常識も土俵も違う世界。
しかしまあそういう相手ならこちらも 「理屈じゃねーんだよ」モードで行けばナントカなったりするんだが
必要条件十分条件の違いも分からんくせに頓珍漢な理屈だけは言ってくる相手が一番困るわな。
全体の傾向の話をしている時に、個々の事例で反論してこられるのも困る。
検定をした気配のない抽出サンプルや、とてもじゃないがランダムに抽出したと思えないサンプルで傾向を語られるのも。
たぶん統計がわかってない。 >>60
あそこの論理スレは、互いの論を検証しあうスレではなく
互いの人格を否定しあうスレだからな 論と人格をセットで考える人は多いね。討論中に人格を否定することに熱中する。
たぶん人格を否定すれば論も否定できたと思っているんだろうな。
数学板では論理学を馬鹿にする人はまずいない
論理学って数学的な学問だから偏見があるかないかの差かな。と思ってる 数学板では、馬鹿にするというより
論理学の数学でない部分に興味が無いという感じかな 馬鹿が人格への攻撃を始めると、まわりは馬鹿に気づき論議は無駄なので相手にしなくなってしまう
馬鹿はそれを相手が黙ってしまったのでぐうの音も出ないまでに論破したのだと勘違いしますます調子に乗る
やがて馬鹿の相手をするのは馬鹿だけになってしまうのだが馬鹿はそれに気付くことはない
だれもが馬鹿を相手にしなくなればそういうことは起こらないのだが、なにぶん馬鹿が多いのでそうはならない
どころかいまや馬鹿を承知で大きな声をはり上げる商売までも存在する
ネットだけでなく、政治も、マスコミも、いまだいたいそのあたり
多様性という視点から物事を見るとすると、どのような事柄を必ず重要となってきますか? >>69
これからの時代は多様性に可能性がある。
って聞いたから 何の多様性? 価値観? 文化? 生態?
どんな可能性? 発展? 生き残り?
質問にしろ自分の意見にしろなにしろもうすこし具体的に。
でなければせめて参考URLでも >>68
> どのような事柄を必ず重要となってきますか
どのような事柄が必ず重要となってきますか
どのような事柄を必ず重要としなければなりませんか
どっち? 頭の良さが極端に違うと会話が成り立たないって言うじゃん?
それを真に受けてる厨二病ってけっこういそうだよね 間違いではない。
ただ、それで「周りと話が合わない。周りが馬鹿だからだ」は勘違いだ。
頭が良い人が悪い人に話そうとすれば、頭が悪い人向けにかみ砕いて話せるからな。
話そうとしても話にならない場合は、
「自分が悪く、相手は良いが相手はこちらと話す気がない」か「どちらも悪い」だ。 話す気があって噛み砕いて話しても通じないことがよくある。
話そうとはしてるんだろうが、なにを聞けばいいのかすらよくわかっていないらしい。
論理的な話になるとマトモな会話が成り立たないほど言語能力が低いのがいるわな。
なにか一言二言話すたびに、それってこういうこと?と数例選択候補を上げて確認しないと
相手の言いたいことが通じない。
かといって向こうも考えてないわけではなく、伝えるだけの語彙がないらしい。
語彙がないてのも誤解を受けそうだな。 こちらが確認のために言った言葉はわかるようなので
単なる言葉を知らないというわけではなく、自分の言いたい事のためにうまく利用できないみたい。 「鍛えよう」って言ってんだから、できてないひとの話は参考になるだろうよ。
自分の臭さを測定する道具ってないでしょうか?
社会人だけど2週間お風呂はいらない生活を維持したいけど
汗臭いと思われたら嫌だし、困ってます 仮に臭さを測定する道具があったとしても
2週間お風呂にはいらないのなら意味ないのでは 「気づかなければ、反応しようもない」だろ。
朝にメーターでボーダーラインを超えたらシャワー浴びるって感じじゃないの?
人間の感覚は適当だから、実際に風呂入っているかどうかより自分が気にするかどうかだし。 ネットで討論をするときには、ひとつ誤字を入れておくと
本題の話をしたいひとと、ただケチを付けたいだけの馬鹿を
容易に区別できて便利
ケチをつけたい人は誤字に食らいついて、議論せずに騒ぐ。
2chなら「低学歴」、政治板なら「工作員」と決めつけられて会話にならない。 >>92
>ひとつ誤字を入れておく
勉強になりました >>90
シャワー浴びていいって前提なら困ることないんでないの。
>>88は
>社会人だけど2週間お風呂はいらない生活を維持したい
だから困っている。 これからは暑くなってくし、2日くらいに一回は入ったほういいんじゃないかな
それが嫌なら
汗臭いと思われても気にしないようにする。
または、香水とかでごまかす 討論に勝つ方法、日本版
・本題と関係ないことを問題視する
・論ではなく人格を攻撃する
・定量的な比較をせず感情に訴える
・最後に発言したほうが偉い なぜ風呂に入りたくないのかの理由がわからないので的確なアドバイスになるかどうかがわからないが
毎日濡れタオルで全身をよくふくだけでかなり改善できると思う。
汗臭いと思われるのが嫌なのだから、極寒の地に転勤願いを出せばいい。 >>15
なぜそれを見ると論理的思考に興味をもたれると思うんですか? >>100
これは短文からわかることを色々、推理してく推理小説。多少の論理の飛躍はあるけど
根拠は筋が通っていて面白いし論理的思考に興味持つと思う
作品では、
『九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ』
この文からです
推論1
話し手はうんざりしてる
推論2
彼は雨が降ることを予想してなかった
推論3
話し手はスポーツマンや戸外活動家ではない
推論4
話し手の意図は気まぐれでないということ、つまり彼は実際に自分で歩いてみた体験を語っている
推論5
話し手が歩いたのは夜中か早朝。12時から朝の5時か6時までのあいだ
推論6
彼はある町から外へ出たのではなく、町に向かって歩いてきた
推論7
九マイルというのは正確な数字を表してる
推論8
彼があるはっきりした目的地に向かっていたこと、しかも一定時間までにそこへ到着しなければならなかった
根拠を全部書くのは大変だから推論7だけ書く。
興味があったら本を読んでみてください。
推論7の根拠
仮に十マイル歩いたとか、車で百マイル走ったという表現なら、
実際は八マイルから十二マイルぐらい歩いたとか、
九十マイルから百十マイルぐらいの距離を走ったという意味に解釈していいだろう。
言いかえれば、十とか百というのはおおよその数字だ。正確に十マイル歩いたかもしれないが、約十マイル歩いたという意味にもとれる。 だが九マイルというときは、それが正確な数字だと考えてまずまちがいないだろう。 ちなみに>>16は
ミステリー板にあるスレで
出された問題に回答者がこの小説と同じ感じで論理的に推理するもの こういう場合の論理的 というのは
その可能性がある/高い、といった意味だと思うんだが
その可能性が他の可能性に比べて高いのか、また高いとしたらどのくらいなのかを
定量的に考えるような事例を見たことが無いんだけど、そういう例ってあるのかな?
先の推論を8個も重ねたのを例にすると、それぞれの推論が当たっている確率が
仮に8割だとしても、最終的な像全てが当たっている確率は8割の8乗である
17%弱にしかならない。
各々の確率が9割まであがったとしても、最終的な正解の確率は43%、つまり半分も当たらない。
推理小説などを読んでいると、見事な推論を積み重ね犯人を的中なんてシーンが多々あるが
事件を9割解決するためには、8個の推論のそれぞれは98%強の確率で当たっていなければならない。
しかし、小説を読んでいると、とてもじゃないがそれ以外の確率が1%を切ることはないだろう
とおもわれるような推論も多々登場する。
もしかすると名探偵は、数々の難事件を解決する裏で、それをはるかに超える未解決事件を抱えているのだろうか?
〉〉101
よくそんな推論が思いつくね。
どのような手段でその推論を導いてるの?
なにか法則やテクニックなどあればぜひご教示願いたい。 >>103
>定量的に考えるような事例
いいのが思い付かないので、自分の拙い推理で申し訳ないが
ある時ミステリー板で空き巣に入られたという人(Aさんとする)の書き込みがあった。
Aさんに話を聞いてみると、午後7時ころに出かけて深夜12時ころに帰宅して
空き巣に入られた事に気づいたとのこと
ここで自分の推理です。
・推理
犯人がAさんの部屋に侵入したのは午後7〜9時台だろうということ
・根拠
もし午後10〜12時台でAさんの家の電気が消えていて、犯人がそれを見たなら
犯人はこう思うはず
『きっと寝てるから電気が消えてるんだろう。入ったら返り討ちにあうかも』と
午後7〜9時台に犯人がAさんの家のあたりを通ったならこう思うだろう。
『きっとまだ仕事とかから帰って来てないんだな。入ってみよう』と
犯人からすれば
電気が消えていた場合その部屋の人間に会う確率は
午後10〜12時台よりも
午後7〜9時台のほうが低いだろうと考えたのではないか
したがって午後7〜9時台であろう
自分なりに論理的に考えた結果です。これはあなたが求めてたような例ですか?
8個の推論がすべて正しい可能性が高くないのは仕方がない。帰納推理だからね。
観察や分析によって当たる確率を高めるやり方だから。
>名探偵は、数々の難事件を解決する裏で、それをはるかに超える未解決事件を抱えているのだろうか?
そうだと思う。論理的な推理をするシャーロックホームズの小説にもそういうこと書いてた(フィクションだけどw) >>104
101のは自分の推理じゃなくて
小説からの引用。
ミステリー板にはこういう推理する人結構います
手段と言われても…
自分は論理学を勉強したり数学関連の本を読んだり、特に論理を重視した推理小説を読んだりするぐらいです
こんな本も出てます↓
シャーロック・ホームズの推理学 (講談社現代新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4061489224/ref=mem_taf_books_d?qid=1340536669&sr=1-1&uid=NULLGWDOCOMO >>103
申し訳ない
具体的な数字の出し方はよくわからん
ただ
午後10〜12時台
と
午後7〜9時台
について蓋然性を比較すれば
・午後7〜9時台
のほうが高いんじゃないかなって事しか言えない。 >名探偵は、数々の難事件を解決する裏で、それをはるかに超える未解決事件を抱えているのだろうか?
そのような考え方でいけば、偶然よくあたっていた事件のみが題材にされているということだろう。
ただし、この「偶然当たる」が他の探偵よりもよく当たるかどうかを定量的に比較する方法は存在する。
統計学がそれ。
高校範囲を超える数学を学んでいない人間の
「論理的な話」は信用出来ない