昔の競輪場はこうだった!★2©2ch.net
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客席の手前にどうやって飛び込むのだ?
元炭鉱マンのセドグロの筑豊ナンバー軍団なら見た。 出目本売ってた連中か
あいつら何者なのか不思議だったが、炭坑夫なのな 昔は客席と水面の敷居が無かったんや。
で、ドボンと飛び込んだら競争水面のだいぶ手前、客席寄りだったという話。
自分の児島でサンドイッチを水面に投げたらボラが20匹以上集まり楽しかった。
そうそう、セドグロ。
出目本売りの親父の話は聞くだけならおもろい。 釣りがもらえない
だから発売窓口とは他に両替の窓口が有って、一万円札を千円札とかに両替してから買ってた
まだ五百円玉は無かった頃、五百円札はもらった記憶がないから百円玉でもらったのかな 松戸競輪は昔は周辺にテキヤがいっぱいいたが今はいない。なんで? 西宮は敢闘門と客席が近いんだけど、
周回中ずっとくりむしのよわむしー!!と怒鳴っている親父がいて
負けて帰っきたくりむし選手とおっさんにらめっこになっていてワロタ 西宮のセムシの婆さんに「あわ」と言って缶ビール売ってくれた 平成四年、熊本記念前節最終日、優勝戦出走者の紹介の最後に9人が自分の名前を記したたすきをスタンドに投げ込み、うちひとつが俺の前に!隣のオヤジと奪い合いになり、見事勝利。開けてみると、鈴木誠のやつだった。鈴木はそのまま優勝して、以後俺の宝物になった。 ねー皆さんは予想屋頼りにしないの?どうせ当たらないなら予想屋に
頼るのも一つのやり方だと思うんだけど・・・ >>291
女の人が予想屋さんから予想購入したが車券買わなかったが
当たっていた
旦那さんに何で買わなかったんだと言われていた
たまたま見かけた
でもそんなもんでしょう
100円予想買っても参考にするだけの事多いよ 西日本はコンドルのように予想屋が新聞を作ってる。
東日本は既に法人組織化され新聞と予想屋を切り離した。 岸和田競輪でも暴れてた通称¨よいこちゃん¨の真空飛び膝蹴りと回し蹴りは生で見てビビったなw
Vシネマではカオルちゃんて名前になってて竹内力が面白おかしく演じてるけど…
あんなリアルな怪獣もう見ることないんやろなぁ 佐々木龍也が出るとき、ゴール前で『龍』の字の旗ピラピラさせる人
まだいるの? その人は近藤龍徳もやっている。
「龍」の付くS級選手ならやるようになった。 >>297
あ、そうなんだ ありがとう。
結局佐々木龍が好きなわけじゃないんだなw ソーセージの皮を歯で剥いてから食う
白木みのるクリソツな香具師が松戸と取手に出没してた >>298
息子も龍がつくからそのうち応援するよ。 >>299
川崎の西2Fのビール屋に行くとハーブのフランクあるから
それを皮剥いで食ってみるといいよ。 昔の特観席には飲料水の自動販売機はなかった
綺麗な女の人がコ−ヒ−配ってくれた
貰う時に手を触った ちなみにその当時のJRA競馬場はでっかいヤカンにたくさんの番茶をバーさんがプラスチックの湯呑みに注いでた。 昔の競輪場は面白かったな、年末の花月園六万入った事ある約40年前。駅の張り紙に入場出来ませんと目にしたの覚えている。大井と川崎は年末恒例のダブル開催していた。 スナックのババアと若いヤンキー上がりホステスがタクシーで来場しガチ勝負
勝てば夜はご機嫌にパーティー化
負ければ飲みに来い来いとババア筆頭にハチマキ化 特観席購入に並んでいたら前に入れてくれって
3000円くれた人がいた ノミ屋さんが出入り禁止になった時
駐車場で警察とノミ屋さんが喧嘩していた 花月園で甘酒くれていた
何で廃止になったんでしょう?
残って欲しかった競輪場だった
花月園の歌はいい曲だったのに。。 個人的に好きだったのは立川のオーバーナイトサクセスかな。
タイトルや元ネタのソニーカセットテープのCMを知ってたらなんとなく勝てそうな気に…ならないか。 花月園で名物お婆さんが屋台のおば車で焼き餅か何か売ってたな
>>294
高松も場内予想屋が予想新聞作ってた(青の百万両) ギャンブルで一番面白いのは競輪なのに何故ガラガラなのかな 施設が汚いからだろ。三競オートの売上の順番は施設の充実度と同じ アタリメにアタリ餅、あと南京豆だったかな
売れてるのは見たことがない 食あたり餅に南京虫か、確かに昭和の頃は衛生観念が低かった。 '>>322
競輪はまずある程度ルールや選手を覚えて展開が予想できるようにならないと
何をやってんのかさっぱり分からんて感じだからな
俺は見に行って一発でハマったけどそこのハードルが高いんだよね
施設がどうのこうのなんてのは二次的な問題
都会の若者なんてそもそも競輪がどんなもんかすら知らないだろうし >>323
今競馬やってる20~40代はダビスタとかウイニングポストみたいなゲームから入ってきたやつが多いんだろう。後はマキバオーとか
競輪も20年位前からゲームとかマンガで地道に初心者層を育てていれば今のような惨状にはなってなかったのだろうに >>324
ゲーセンの競馬のメダルゲーム。
シグマ絶頂期に、1フロアに巨大競馬ゲーム1台だけという贅沢な店があった。
40代なら、オグリキャップ全盛期が20代だったし、今ほど若者の就職難ではなかったから
競馬に金を突っ込むことができた。 ゲーセンでボートのメダルゲームは楽しかった。
モンキーターンで競艇を知った若者も多いだろう。
競輪はギャンブルレーサーが孤軍奮闘してた。
展開読んで的中させる喜びは競輪がトップなんだけどな。 ギャンブルレーサーはファンのあるある本で面白かったね
選手もあんなもんなのかね モンキーターンの影響で競艇選手になったと言う選手もいるよ。
コミックのギャンブルレーサーは面白かったが読んでるのが30代後半からだったな 選手になってもなあ…
綺麗事しか描いてないからスポーツと勘違いして舟券買わないバカが競艇場にわいて往生したもんだ
その点ギャンブルレーサーはちゃんと車券を買う客を引っ張ってきたんだから偉い >>326
ビッグレースで本場行ってたまに見かける若者はオタクっぽいのが多い
広められればハマる要素はあると思うんだけど、何十年も前からそこは失敗してるから手遅れだわな
自分が始めた平成元年頃でも既にオッサンと爺さんばっかだったし
阿佐田哲也が好きだったから川崎の鉄火場感とか鳥肌立ったけど
老人施設と化した現在ではそんなワクワク感もないしね
平場やF1なんかに若者来たらドン引きだろう… >>329
いたいた。児島ボートの休憩室でモンキーターンの同じシーンばかりを何度も繰り返し映してるだけなんだが
デブ兄ちゃんがその前に長時間座り込んで動こうとしないんだよな。
椅子が少ししかないのに。 一昔前だと行く宛が無いプータロー達のたまり場だったけどその役目もパチンコ屋に取られてしまったからな
ただパチンコ業界も厳しくはなってきてるようだが 今のパチンコ屋は従業員は礼儀正しく丁重。
休憩室完備が多く中にはTV,新聞、雑誌、お茶サーバー置いてる。
昔のギャンブル場はWCで首吊りやヤクザのノミ屋がウロウロしたり油断したら
暴力スリ、コーチ屋の餌食になるしピリピリしてたな。
あの緊張感が良かった。 俺は結構いい金額で車券を買う先輩が
『ゾロ目だけ全レース買って見てるだけでも競輪は楽しめるんだよ』
とアドバイスしてくれたのが入門するきっかけになった。
あと金を貸してくれとか言わない、金にきれいな人だったという点もあったな >>334
そのお婆さんって場内にいたんですか?
透明の袋に豆とか売っていた?
今思うとたくさん買えばよかったですね >>333
花月園で名物お婆さんのはなしはスルーするのかよ?
>>315さんは>>333だからさ。
>>333はスルーしてる。 >>327
ギャンブルレーサー。
パチンコ不出とか藪医院とか斜面家とか、店の名前が好きだった。
乞食200人連れて似非宗教団体で飯を腹いっぱい食べるとか、世の中の臭い部分に
蓋をしない漫画だったから、俺も単行本買って何度も読んだ。
逆に、寂れてスッカスカすぎる競輪場ばかり描かれていたので、本場に行ってみようという
気にはあまりならなかった。 花月園で手売りのコーヒー買ったら
めっちゃネスカフェの味だった
そういうのも含めて楽しかった 立川GP未確抽QUOカード10枚セット当たっても、半強制的に等価買取が当たり前
2016立川GP〜先着ラッキーカードだってな 婦女専用観覧席。
人がいるのを見たことがなかった。 花月園かな?
確かに婦女と言ってもバーさんや水商売ばかりだった。
今でも同様の傾向にあるが、昔の見苦しさを学習したゆえか
外見があかり姫みたいなバーさんが増えている。 宮杯の特観はローソンで買えて便利だったけど、発売とともに売り切れてた。 インチキ33バンク
次回の開催は松戸競輪廃止委員会委員長レースです。
夢の委員長レースです。 正月開催といえば千葉のS級戦な
もうハンパじゃない混み具合だったぜ 京王閣も元日入ったなバカみたく、銭あるとき浜名湖まで行ったよ服部の頭買いに元日 松戸競輪なんて一日三回はコーチ屋に声掛けられたよ。
一度同じコーチ屋に二回声掛けられたよ。
コーチ屋も大変だわな。 払い戻しが10万ならコーチ屋さんに5万お礼
こんな感じですか? 立川記念が始まるころにはもう金が残ってないんだよな >>355
お前、コーチ屋知らないだろ?
コーチ屋は言うなれば詐欺師の集団だぞ
5割どころか身ぐるみ剥がれるわ >>357
知らないから質問しました
全部取られるんですか?
怖いですね >>354
コーチ屋は素人風の奴に声掛けるよな
そうだよね妄想爺のじゅんじゅんさん 花月園駅から出てた走行距離わずか数百メートルの無料送迎バス。
噂では駅から競輪場までの、あの坂道を登ってた競輪客の爺さんが、
坂道の途中で息絶えたのが無料送迎バス開始のきっかけだという都市伝説。 花月園廃止間際に行ったらマイクロバスの送迎があって驚いたよ。
若い衆でもあの坂はキツかった、 花月園だけど、エスカレーターは乗ったけどマイクロバスには乗った記憶が無いなあ >>363
マイクロバスは場外の食堂から
エスカレーター(というより特観席売場)のところまで出てましたよ。
ほんの少しの距離ですがお年寄りにはやさしい配慮でしたね。 エスカレーターと言えば、花月園ももちろんそうだけど
宇都宮にも入場口前にエスカレーターあったような記憶が
1回しか行ったことないから記憶が曖昧だが(笑) 今から20数年前、JRAではミホノブルボンっていう、頭から流せば仕事なんかしなくても遊んで暮らせる馬がいた時代
実は競輪にもミホノブルボンが存在して、吉岡って言う奴の頭から禿・・・じゃなかった頭から流せば仕事なんかしなくても遊んで暮らせると教えてもらい立川競輪へ
コーチ屋?ぽいオッサンに3人ぐらい絡まれるわ、ステンレス水筒にタダジュース詰め込む婆さんがいるわ、凄い時代だった
でも実際よくお世話になったのは立川駅あたりのパチンコ屋のヌルさw。個人的には当時のあの思い出しか残ってないww 20数年前の立川は今と比べたら殺伐としてたな。
コーチ屋に唯一、声を掛けられたのら車番連勝が開始の95年9月17日。
パンパンに詰まっている財布の中身を見せられて、俺に付いて来い。と言われた。 >>366
競馬は一切興味ないから知らんけど、吉岡頭で流したら当たってもガミばっかだろ
話盛り過ぎでつまらんわ… バブルの頃京王閣の一般席だけど枠単に1000万一点勝負見た事ある、それも負け戦の8レース辺り、結果入って210円だったと記憶している。あの頃絶対こないゾロ目を五万ずつ買ってる客もいた。今振りかえって本当に良い時代だったと思う。 >>369
そこまでの大勝負は見た事ないけど
確かに大穴にアホみたいな金額入れてる奴はいたなあ
たまに散らばってる車券に目をやると笑っちゃうようなのが落ちてたりしたわ 大口が入ると窓口3つくらい閉めてばばあ達が必死に発券してたよな 松戸競輪の単勝複勝窓口に一日中張り付いてた香具師は今いずこ? 川崎はプロが多かったので午前の枠複でよくやられた。
本命が4倍くらいつけてると思ったら画面が変わったとたん
1.3倍とかになってどよめきが起こった。 >>369
俺も京王閣で五百万一点勝負見た事ある神山波潟ですんなりだった。確かにバブル時は熱気があった俺も商売順調で50くらい持ってよく溶かしたよ笑 今思えば家建てられたのに 俺は、普通開催の前半レース枠複の穴目が来ると踏んだレースのみで、一点100口の二〜四点勝負していたから、
トータルで大勝ちしないけど大損もしなかったなぁ。
車番連勝までは打っていたけど、三連単になってからは、競艇に鞍替えした。
最高払い戻しは、グランプリの小橋→神山の万張り。
古い話しだわ。 今や大口で張ると言ったら
ネットでガールズのワイドでポイント狙いなんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています