【大東流合気柔術】伝書・免状を検証する
「大東流合気柔術」の伝書(巻物)・免状について検証・考証するスレッドです。
それに関連した話題もOKです。但し、皆伝免状の真偽問題と後継者についての話題は
基本的には無関係ですので分けてください。
関連資料その他の詳細は>>2-10くらい
※こちらは主に伝書・免状について語り合う場です。「誰其れが強い、合気の有る無し」など
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「★荒らし報告(埋め立て・マルチポスト・スレッド乱立など★x)」 「大東流合気柔術 目録」
大東流柔術秘伝目録118ヶ條裏表
合気之術53ヶ條裏表
秘伝奥儀之事36ヶ條裏表
秘伝御信用之手84ヶ條上中下
解釈総伝之事477ヶ條
皆伝之事88ヶ條
(正統総伝極秘123ヵ条?)
「大東流合気柔術 巻き物」
秘伝目録
秘伝奥義
秘奥義
皆伝 「関連人物」
武田 惣角 1859年(安政6年)11月4日 - 1943年(昭和18年)4月25日は日本の武術家。
武号は源正義。大東流合気柔術の実質的な創始者。
武田時宗 1916年(大正5年) - 1993年(平成5年)12月2日 元名、宗三郎。
武田惣角の三男。北海道警察にて刑事として勤務し退官後は山田水産に勤務する。
同社を定年退職後、大東流合気武道宗家を称し北海道網走市にて
大東館道場を開設し大東流合気武道を教授する。
佐川 幸義 1902年(明治35年)7月3日 - 1998年(平成10年)3月24日 は、日本の
武術家。大東流合気柔術・中興の祖といわれる武田惣角の直弟子のひとり。 「Wikipedia 」
2019年2月4日 (月) 11:35 106.133.168.27 (会話) 32,301バイト (+21)
→主な伝承者: 佐川幸義 昭和13年5月免許皆伝、昭和14年9月正統総伝 を追加
引用元 「大東流合気の真実」
※佐川幸義氏に発行されたと言われる皆伝免状の現物は今も公開されていません。 「昭和13年5月皆伝 翌昭和14年9月遂に大東流合気武術全般の伝書(百拾八ヶ条、
三十六ヶ条、八十四ヶ条、皆伝四十八ヶ条、合気術五十三ヶ条、
正統総伝百二十三ヶ条、合気棒百ヶ条、合気太刀、合気二刀六十八ヶ条、合気槍術
三十一ヶ条 各目録)と共に正統総伝の免状を相受けましたる高足にて
本年五十一才です。」
昭和29年1月 武田宗清 武田時宗 大東流宗家継承通知 「皆伝八十八カ条を伝えられた者には、『大東流合気柔術皆伝』と題する
巻物が授けられるが武田惣角より皆伝の巻物が授けられたのは佐川幸義宗範と
久琢磨師範の二人のみである。」
昭和53年「秘伝日本柔術」松田隆智 「豪気の惣角も大東流の行末を案じられ、相談人補佐役の意味で、大東流門下
唯一人、免許皆伝者久琢磨師範に決定した。 」
「認許された皆伝者のみに授ける金箔免許書と皆伝の巻は書家の大磯雪舟氏が
惣角、時宗の面前にて作成。大阪朝日で惣角、時宗、久の3人で記念写真を
うつした。」 (刀禰舘正雄はすでに故人)
昭和54年 大東館会報 「会報を書いているのは、大東流を習う人に何が正しいかを認識して
もらいたいからです」
「やはり正しいことを伝えたい。__我々が言うことは資料に基づいているのです。」
昭和60年61年 武田時宗へのインタビュー(合気ニュース) 武田惣角は武田時宗の「大東流の総伝を佐川さんに譲ってほしい。
(戦争から)帰って来たら佐川さんより習うから。」という要望に応じて
正統総伝印可の免状を授与したが、佐川幸義は生前にその免状を
一般に公開せず金庫に保管し道場に 2段階下の免状を飾っていたため、
免許皆伝ですらない教授代理なのに 後継者を勝手に名乗っている
かのような誤解を招いた。
出典元不明 「佐川幸義が授与されたという皆伝免状の疑問点」
・免許皆伝を授けられたとする同じ年月に発行された免状は「御信用の手」
・最高の伝位としている正統総伝には解釈総伝までが記載、皆伝の事は
列記されていない。
・正統総伝の巻が御信用の手とおなじ「秘伝奥義」
https://i.imgur.com/Q2r0uws.jpg
https://i.imgur.com/jctG4qb.jpg 三角締めには王道が二種類ある。内抜きタイプと外掛けタイプを説明した。
柔術家 岩崎正寛
https://youtu.be/ZGupY9vZyXE 久琢磨も弟子に合気を真面に教えなかったからね
今の琢磨会の合気は森さんが自分が修行で発見したものを教えたものだ
武田惣角という男はとにかく金にがめつい男っだったということ
技だってパクられないように型だけ教えて術理を教えなかったからね
だから大東流から広まった各流派がみんな独自の理解で合気を捉えている
堀川合気もそうんな経緯で独自に発展した技だと思われる 佐川幸義が正統総伝を名乗っても武田時宗やその配下の本部系団体幹部が異論を言わないんだから本当なんだろ
免状に免許皆伝に関する項目が書かれていないのも書くスペースが無くなったから包括した項目のみ記載したとかなんだろ
免許皆伝と正統総伝は横並び位置の伝位で片方しか授与されないが免許皆伝<正統総伝なのかもな
つまり免許皆伝授与の代わりに更に格上の正統総伝を授与された
正統総伝も晩年の武田惣角も自身以上の才能と認める佐川幸義の為に創設した伝位という話もある
幕末明治の教育受けた人と現代人の価値観は違うからな 武道板の大東流関連スレッドが次々に連投でDAT落ちしたが、ユーチューブ貼り付け集客していた野本と団体への批判書き込みが続いた矢先 近藤本部系や久系では重要な要素にも関わらず堀川系に抜けている技術がある
つまりは個人の特性を見極めた惣角の判断で伝授されなかったという事
堀川系の免許皆伝はあくまで堀川伝大東流合気柔術の免許皆伝
武田惣角の大東流合気柔術も堀川横並びの複数ある大東流合気柔術団体とも含まれる技術や解釈も異なる
そして大した事ない 大東流の正統は近藤だろうけどね
免許皆伝で初めて大東流の全貌が理解出来る仕組み
普段の技では重要動作を省いて稽古している
一本取りだって本来なら顎を突き上げのが正式だしね 関東では堀川系団体が多いが、近藤本部系や久琢磨会系の団体にある重要な技術が堀川系には欠けてる箇所がある
惣角が個人の特性を見極めて教えなかったのか習ったが堀川幸道が使用せず弟子にも伝授しなかったのか知らんが、堀川伝はあからさまな片落ち流派
堀川幸道を名人だと持ち上げてる人を見ても弟子しかおらんしな
その弟子達も代議士や政府高官とかで、武術の能力より社会的地位で段位の厚遇を受けたのがバレバレ
そのお返しだろ
小学校教諭とかそんなのしかいないし 確かに堀川系の技は合気に特化しているから本部とは技は大分違うね
琢磨会も久が森にまともに合気を教えなかったから、今の琢磨会系の技は森独自の研究の成果 免許皆伝の技といっても過去に出ていた応用技の寄集めだからな