香取神道流 [転載禁止]©2ch.net
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演武会で見て習いたいと思ったのですが、詳しい方いらっしゃいますか?
女性の門徒は成田と川崎ではどちらが多いのでしょうか
ご助言お願いします ところで、大竹先生の道場は交通の不便な場所にあると思うのですが門下生はどうやって通っているのでしょうか?
Googleマップで見ても駐車スペースなどあまりなさそうですし・・・ 電話で道場見学の有無を問い合わせるのは失礼に当たらないでしょうか?
道場見学って飛び入りでもかまわないものでしょうか?
通常皆様どうしてるのでしょうか。 電話は全然失礼ではないでしょ。
むしろアポなしで行く方が迷惑では?
大竹先生は今でも指導しているみたいだから稽古やってる時間帯は繋がらないと思う。
とりあえず何回か電話試してみて、そこから直接色々聞けばいいと思う。 そうですね。
何度か電話して色々聞いてみようと思います。
ありがとうございます。 幕末の剣豪達の流派を見ると香取神道流の名前がない。時代に逆行し続けたからなのかな 「剣豪」というのは剣で相手を斬り倒しまくってきた人物で、香取神道流の理念には反するからね。 いや、幕末はともかく塚原卜伝を輩出してますがな。逆行というか、それ以上の使い手が世に出てこなかっただけなんじゃない? 大体あの近辺農家だし、侍だけじゃないし。棒術だけなら、
新撰組の山崎進がいるけどそれで何とかしましたなんて話無いし。 一の太刀が有るか無いかの違いでない? と言っても詳細は分かってはいないが。 卜伝は若い頃に香取神道流を学んでいたというだけで他にも様々な流派をやってたからなー。新當流の形を見ると剣を受け流す円の動きがあり、影流の影響も受けていると思われる 武蔵より卜伝の方がどうみても格上なのに、なぜか武蔵か最強て風潮あるのが解せない >>141
大竹先生の元門下生だから柔術は教えてないというのはどういう意味ですか?
大竹先生の道場では柔術は教えていないのですか?
著書には免許以上の弟子に教えてると書いてありますけど… https://suginodojo.localinfo.jp/pages/928276/sugino
これを見ると杉野先生って神道流を4年しか習ってないみたいなんだけど、それで全部の技を習得できたんだろうか。 誰でも四年あれば知ることは出来るよ
知ることと身体に染み込ませることは別だけどな あの時代まだ、武道に専念できる環境があったからな。しかし薙刀から槍まであるのに四年でか。
確かに早く感じるな。 杉野は別の武術で既に免許持ちで素人ではないから4年でもいけたんじゃないの。
それに昔は週1の稽古じゃないし稽古も今より激しいからね〜 >>185
柴田の先生で有名な保立校長の兄弟子。
楊心古流の伝承を放棄して合気道に行ってしまった。
さらに合気道があるから神道流の柔術はやってないんだとかwww 「平法」を見返してみたら大竹先生は入門してから
6年1ヶ月で目録、9年1ヶ月で免許、17年7ヶ月で極意皆伝ですな。
確かに4年で「習得」は早いね。師事した先生によるんかな。
それとも目録までが4年とかかな? 流派が沢山残ってる時代だと自分のところだけ技や免許の出し惜しみする意味は薄いけど
特定の団体や個人が流派を独占してる現代では簡単に免許出したら先生は商売上がったり
だから自分は数年間で習ったものを弟子には数十年やらせて「まだまだじゃな」なんていう事になるんだろう
多分大竹先生のところも同じようなものじゃないかな
大竹先生は17年7ヶ月で皆伝らしいけど、弟子にはそれ以上の期間かけても皆伝は許してないだろう
大竹先生の道場のHP見ても皆伝は身内だけで支部の先生はみんな免許止まりだし
既得権益ってやつですわ とは言っても大竹さんは基本金持ちで、月謝は三千円程だったはず。弟子の数は知らんがそれで商売成り立つもんかねえ? 免許までは実技中心だけど、極意皆伝までとなると技の習得はもちろんのこと
精神修練とか風水、築城などの学問も含めて全て修めなければなれない。
単純に実技だけで満足してそれ以上に神道流の「学問」をも修めようって人がいないんじゃないかな。
本見る限り、真言密教や日本神話、陰陽道などの知識がないと理解できない内容ばかりだし。 ごめん、今気付いたけど大竹先生の入門からの期間色々間違ってたわ。
誤:6年1ヶ月で目録、9年1ヶ月で免許、17年7ヶ月で極意皆伝
正:6年2ヶ月で目録、9年2ヶ月で免許、24年2ヶ月で極意皆伝
ちなみに17年7ヶ月は入門から千葉県無形文化財登録までの期間でした。。。 稽古で使う槍や薙刀などの長物は門下生が各自用意して道場まで持っていくのだろうか。
六尺棒程度ならともかく九尺の槍を毎回持ち運ぶのはかなり大変だと思うんだけど。 基本、稽古道具なんてのは特別なもの以外を除き各自持参になる。が、長物は道場でのみ借りれる
場合がある。 彼 ら の 時 代 は ほ と ん ど 終 わ っ て い る
自民党は戦前の国家犯罪者の集まりである。
https://www.youtube.com/user/yampr7/videos
「彼らの時代はほとんど終わっている。
間もなく起こる出来事
ーーー< 日本からはじまる株式市場大暴落、世界経済破綻 >ーーー
が政府の力を再分配し、国民を解放するだろう。」(世界教師マイトLーヤ)
portfolio/2016aug01 江戸時代の香取や鹿島を修行していた階層は、大名家中や幕臣より、近隣の農民や郷士の方が多かったのかな?また、撃剣(竹刀稽古)もやってたかな? 香取は割と農民率高いけど、その時代の
リサーチってのは武術史と言うよりあの近辺の郷土史調べてみた方が分かりやすいと思うんだよな。 抜附之剣とか抜討之剣とか膝を痛めそう
年取るとできなくなるんじゃないか?
京増さんはまだ大丈夫か? 飛び上がらないでやればいいのでは。
大竹先生の所以外だと飛ばないでやってたりするよね。
大竹先生の所でも飛ぶのは鍛錬のためって言ってるから年取ったら無理にやらなくてもいいんじゃないの。 英語版のWikipediaには日本語版には書いてない事も書いてあるね。
林先生が技を改変したとか、野田派というのがあって他の系統では失伝した技が残ってるとか。
信憑性はどうなんだろうね。
杉野系、大竹系で柔術の技名が違うのはこれが原因だったりするのだろうか。 野田って誰?
大竹、杉野は聞いたことあるが野田は初めてだ 大竹系の柔術の立合気合投は、講道館系の技が入ってる。肩車とか。
あれは、たぶん誰かが改変したものだろう。
大竹先生の師は嘉納と関わっていたからその時か?
あと、杉野系と大竹系で微妙に技名が違うのは、柔術が口伝で紙に書かず読みだけしか伝わらなかったから。
どちらも、読みはほぼ合ってて漢字が違うから近代に入り紙に書くとき困り、それっぽい漢字を当てたんだろう。 気合投げ6本が追加されても36本という全体の数は変わっていませんが、元々あった技の内6本が失伝してしまったのでしょうか?
それとも何らかの形で今も継承されているのでしょうか?
また、唯心館門下生が作ったHPに「柔術は稽古をしていないが、その検証を指導部でしている」と書かれており、
実伝は残っておらず指導者クラスの間で復元が行われていると解釈したのですが、実際のところどうなんでしょう?
http://www.budorakumono.com/sintoryu/top.html 林先生が元柔道家だからって柔道技を正式な流派の技に取り入れるなんて事するかな
失伝した技を補完する為に柔道技を取り入れるってなんか不自然な気がするけど 武器術主体の神道流で柔術の話題をするスレなんて、ここくらいだろうな。 以下はあくまで推測です。
香取のは剣術に付随する柔術なので、一般的な柔術流派のような物ではなかった。
旧36ヶ条は居捕も立合もごちゃ混ぜで、殺活法とかも存在せず柔術の形だけが口伝として伝わっていた。巻物も無し。
それを誰かが改良を加えて
居捕、立合、気合投の三段階に分けて体系化し
さらに殺活法も加えて新36ヶ条を作った。
その時に井口本や講道館、帝国尚武などの書籍も参考にして乱捕技を気合投として取り入れたのかもしれない。
どうだろう。 平上信行さんは本の中で、
香取神道流の柔術は外物のようなもので柔術の流派に含めていいか微妙なところだとという主旨のことを書いていたな 36本という数は現在伝わる神道流の型全体の約3分の1
表と裏の技があるそうなので72本と数えると2分の1以上
オマケ扱いするには数が多いと思う ところで、棒術は表と五行しかないのだろうか
16代宗家が書いた文章には棒術が21箇条あると書かれている事、剣術が表、五行、極意の三段階になっている事、五行の棒の別名が中段の棒である事などを考えるともう一つ上の段階がありそうなんだけど
失伝してしまったのかな
大竹先生の本を読むと極意七条の太刀のさらに奥に「奥の極意」という技があるらしいし、公表してないだけで棒にも五行の次の段階があってもおかしくないとは思うけど 香取新当流に天心流に似た技があって、遠い過去にどんな交流があったのだろう?と考えるとロマンだね >>210
天心流の工作か?それとも愉快犯?
天心流なんて伝系詐称or乗っ取り疑惑ある近代創作大道芸流派やろ 神道六合流というのはよく知らないけれど他にも似たような技あるの? >>212
神道六合流の技は香取神道流とは全然違うね。
柔術だから中には似た技もあるけど。
神道六合流の36手は基本巻に全て解説されているので図書館の国会図書館配信資料で神道六合流基本巻の36手と大竹さんの平法に掲載されてる香取神道流の36手の解説を見比べてみるといいよ。 上の椎木さんの柔術は、神道流柔術の
逆指と木葉返の二つの技を続けてやってる 香取神道流柔術が明治に加えたものなら六合流を参考にしたというのもあり得るが、
個人的には神道流柔術は明治より前からあったと思うんだよね。
技名がかなり独特なので他流で似た技名を用いている流派があるか探したが見つからない。
いくつかの流派を合併したのかも。 流石に近代に入ってからってのは無いと思うんだよなぁ。個人的に。 何か元になるものがあったとしても、その後それが変質するって可能性はあるんじゃないかな。
嘉納治五郎の弟子の望月稔とかもいたわけだし、入門していた人間がなんか持ち込んでるってのはありそう。
特に表芸でないものなんてどこの流派でも手薄で、師範より弟子の方が上手いなんてのは珍しくないしね。 神道流柔術36
説
@明治に入ってから他流を参考にして作った。
A江戸期に他流を参考して作った。
B江戸期に柔術学んでいた門人が他流をそのまま取り入れた。
C創流から存在した。
D江戸期に何も参考にせず一から作った。 明治の伝書と比べると、杉野先生の方も完全一致はしないんだよな。
で、明治の伝書には無いものが大竹系・杉野系両方にあったりする。
名前が付いている技と付いて無い技があって道場や師範ごとに名前を付けたから違いが生じた、とか? 伝書がなかったから読みだけ伝わっていて
その読みが何代かしてるうちに微妙に変わってきて、後で紙に書く時にそれらしい字を当てたのだと思う。大竹系はさらにその36手を改良したのかも。置き換えたのか。
手元に資料がないから分からないけど、
杉野さんのは明治の伝書と技名違うの? 神道流柔術の解説を見たが逆が多いね。
当身や投げが少ないような気がする。 ・足拂
内腿、拂腰、襟投、袖背負、
膝矢倉、巴投、横捨身、膝掛、鬼倒。
・腰背負
・矢倉落
・変腰
・隅返シ
・肩車
明らかに乱取の技なんだよな。
巴投や肩車は講道館の技名だが、他の技は井口本や神道六合流っぽい。
六合流は他流や講道館に同じ技がある場合は、別名も表記していて
肩車や巴投という名称も普通に使っていたりする。例えば、絹擔(片投、肩車)、内股拂(内股)とか。
また、腰背負は袖が短かった柔術の乱捕で使われた技で、今でいう講道館の背負い投げ。
この技を腰背負と言っているということは、参考にしたのは講道館では無いと思う。
ちなみに、六合流に背負腰という技名で同じ技があった。 ただ、膝掛、鬼倒とかは聞いたことが無いんだよな。
たぶん、この「気合投」は明治期に新たに制定した技だと思う。
江戸期に柔術36ヶ条を作り、その後別の人が明治期に気合投を組み入れたか。
そうすると、6ヶ条はどこに消えたのか謎。
または、作った人が同じで明治に入ってから技を置き換えたという可能性もある。 よく見ると帯刀の技が無いんだよな。一手くらいあってもいいと思うんだが。
明治に制定したからか?
または、江戸期の帯刀の敵に対する技は時代にそぐわないとして、明治期に気合投に置き換えた? >>222
杉野先生の方は明治時代の伝書とほとんど同じ。
違うのは一箇所だけ。伝書にある【水車】がない。伝書にはない【逆指】がある。 なるほど、ということは三種類あるのか。
大竹さんの所に伝わっているのは、
今から二代前の18代目飯篠盛貞(明治期)さんが書いた解説書と同じようだが、
その伝書は誰が書いたんだろうか。手元に本がないので確認できない。
同じ人だったりして。 あくまで推測だが。
A「水車」がある36箇条
B「水車」が「逆指」になっている36箇条
C「気合投6本」が入ってる36箇条
伝書を見ていないが、たぶんAが一番古いだろう。
その後に改良してBを作り。
さらに、数年後改良し気合投を入れたと思う。
Aを作ったのが飯篠盛貞か分からないが、BCは盛貞が改変したのか。 系譜を見ると
盛貞−山口熊次郎−林弥左衛門−大竹利典
盛貞−山口熊次郎−椎名市蔵−杉野嘉男
山口が間に入ってるんだよね。
道場では飯篠盛貞と山口熊次郎が一緒に教えていたのか?
大竹さんと杉野さんで技名が違うとなると、林と椎名の時からだろう。
たぶん二人は習った時期が違うと思うのだがどちらが早いか。
まあ、いずれにしろ香取の柔術は、18代目飯篠盛貞が改変してると思うね。 「水車」がある36箇条は18代目より前からあったと思うね。
何となくだけど。 Wikipediaにある一覧が神道流の技の全てではない。
例えば剣術は表、五行、七條の三段階ということになっているけど、大竹先生の本によると「奥の極意」というものがあるらしい。
だから柔術の技も実際には36カ条以上存在する可能性はあると思う。
大竹先生の所だと足払として複数の技をまとめて一ヶ条とすることで全体を36カ条としてるから、36という数字に神道流的には何か意味があるのかもしれない。 他の柔術でも36という数字は使われているね。
六合流の36手、
仙台藩浅山一伝流の表36ヶ条、和道流柔術拳法の36手とか
たぶん三十六計の数字だからだと思うな。 神道流が今の技法体系にまとまったのっていつ頃なんだろう。
日本武道体系に掲載されていた伝書は現在の内容と殆ど同じだけど明治のものなんだよね。
江戸時代の伝書で現在の内容に近いものはあるのだろうか。 現在の内容っても、林弥左衛門氏と椎名市蔵氏の時点でもう違うしな……何処まで変わってるかなんて推し量れんよ 現在表立って活動しているいくつかの系統は、動作に多少の違いはあれど全体的には大同小異で殆ど同じ内容ですよね。
私が239で言っているのはそういう同流他派の差異の話ではなく流派全体の体系の事です。
表之太刀四ケ条
五行之太刀五ケ条
極意七條之太刀三カ条
(略)
柔術三十六ケ条
という体系がいつ完成したのだろうという話です。
剣道五百年史にある文禄2年の目録は現在のものと全然違います。
大竹先生の平法の中にある十六代宗家(1853年没)が書いたとされる文章には「五津」「七津」「神集」「八神」「陰」「捨」「発」などお馴染みの名称が出てきます。
このことから江戸時代末期には現在の内容に近いものになっていたのではないかと想像しているのですが、その辺り詳しい人はいないかなと。 ネットで調べる限り、『日本武道全集』に載ってる三代飯篠盛信時代の伝書『新当流外物高上極意』には無一剣が載ってるそうなので、そこを当たればありそうなものだけど、なんか鹿島新當流とかなり混同されてる節が有って元は同じ流派なのでは?と思わせる様な記述がが 鹿島新當流の塚原卜伝が創始したと伝わるの「一つの太刀」が長威斎創始説が有ったりするから、もしや……ってなって来た。国会図書館当たって見たほうがいいかも 小佐野さんが
>神道流の初期の段階では、長柄の得物、すなわち槍と長刀しか伝えていなかった。
>江戸の初期になって剣術が加わり、やや遅れて居合が、そしてさらに遅れて棒術や柔術が加味された。
とか書いてたけどマジなのかな?
https://japanbujut.exblog.jp/26259855/
私の知人達は、また小佐野が変な事書いてるよとか、馬鹿か居合剣術は最初からあったに決まってるとか言ってたけど、実際はどうなんだろう? とある人曰く、最初香取は長物、鹿島は剣術をしていて、それらが相互に混ぜって今の形になったとか。 >>245
3代目辺りから鹿島新當流と合流するような形で作られたと聞いたことがあったな。 >244
宮本武蔵の五輪書の「常陸國鹿嶋かんとりの社人共、
明神の傳として流々を立て、
國々を廻り人に傳事、近き比の事也。」
ってまさか本当にそう言う意味だったりするのかねぇ ネットだから仕方ないことだろうけど、出典やソースを書いてくれないと反応に困る
「とある人曰く」とか「という説を聞いたことがある」とか言われてもどう反応すればわからん
あえてそう書いてるのかもしれんけど
俺が香取神道流と鹿島新当流の関係性について知ってることは大竹著の「平法」の38ページから書いてある、
宗家16代重盛の書と伝わる「香取神慮神刀流根元鈔」を読み下し文にした内容の中に
「又、夜に入りて、梅の元にて兵術を励む。夫れ従り、神前に進みて、長威公念力にて、自然に
流儀を仕立て給う。梅の元にて励み給う故に、是れを木伝流と名附け、二男山城守盛直に伝う。
山城守は鹿島に住居し、鹿島新当流を世に弘める也。」(42,43ページ)
とあること。これ見て「あれ?鹿島新当流を興したのは塚原卜伝じゃないの?」と思って鹿島新当流をネットでググってみたら、
wikipediaには資料によって、鹿島新当流の流祖は塚原卜伝、飯篠長威斉家直、山城守盛直(長威斉の二男)、上泉信綱の記述がある
ただどの資料でも飯篠長威斉家直の香取神道流の影響があるみたい
個人的には日本古武道協会の「鹿島新當流剣術」のページに掲載されている宗家65代は盛りすぎやろーって思う 椎木氏の神刀流の本に載ってる鹿島新當流の系譜に神武天皇がいる時点で中々 鹿島の65代については前に書いたとおり。
鹿島新当流の流祖は塚原卜伝だが、その起源は卜伝より前にある。
武術流派としての体を成して無かった時代の家伝剣術。
鹿島香取に伝わってた剣、長物の術は「シントウ流」っていうから、ややこしいが、
今伝わってる新當流は卜伝が編纂したもので間違いないと思う。
鹿島の「シントウ流」が香取の「シントウ流」から来てるのか、
元々「シントウ流」があり、鹿島と香取に分かれたかは、よく分からない。
鹿島は剣、香取は長物というのはどっかの書籍で読んだ気がする。 >>251
>鹿島は剣、香取は長物というのはどっかの書籍で読んだ気がする。
その書籍を思い出したらこのスレに書き込んでくれ。俺も読んでみたい 椎木氏の書籍には記述がありますね。
「鹿島の神宝は太刀で鹿島の太刀が起こり、香取の神宝は鋒で飯篠の槍術が生る。」 ビデオだけしか観てないけど、飛び跳ねたり、木刀なら軽いからいいけど刀で肘を起点にした振り方したら肘痛めそうな印象的だった
解説でフェイク混ぜてると言ってたから、そうなんだろうな 飯篠盛信の時代の文書『新当流外物高上太刀』には「一太刀」なる技があると記されてるけど、今でも伝わっているのかな? 杉野先生の道場も大竹先生の所みたいに弟子に目録や免許の巻き物渡してるの? 杉野氏のところは確か段位性だから「目録」「免許」自体ないのでは?
巻物は知らない。 海外版のwikiより転載 杉野道場段位
1st dan - kirikami shōden
2nd dan - kirikami chūden
3rd dan - mokuroku shōden
4th dan - mokuroku chūden
5th dan - menkyo mokuroku
6th dan - menkyo chūden
7th dan - menkyo okuden
8th dan - menkyo kaiden 昔の新当流の伝書を見たら、夜の槍の構えが現在の杉野系のように地に伏せるような姿勢だった。大竹系では腰を少し落として槍を低く構えるけど立ったまま。
やっぱり唯心館の方が古伝に近いってのは本当なのかね。
でも元大竹門下の椎木先生のDVDでは、別法と称して大竹系・杉野系の動きを両方やってたりするので、外部に公開された演武を見て部外者があれこれ言う程両系統に違いはないのかもしれない。 大竹系は少し改変入ってると言われているけど、巻物きっちり出してるからな。
杉野系は段位制度になってるし。 椎木系はどうなんだろう?
槍に関しては二種類あるのかもしれないし何とも言えない。
まあ、ここでどうこう書くよりも入門してみれば分かるんじゃないのかな。
柔術に関してもね。 大竹先生の著者に載ってた「奥の極意」と似たような形が二天一流等、他流にもあった。
やっぱり突き詰めると全部同じなのかねぇ ようつべで外人が上げてる香取神道流の1996年の演舞比較、薙刀を見る限り杉野道場も速度が神武館と遜色なかったのだが、表の太刀の打太刀が杉野道場では女性だったのだが、クッソ遅い。
最近だとのろのろ薙刀やってる人ね 何であんなにのろいんだろうな
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