香取神道流 [転載禁止]©2ch.net
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演武会で見て習いたいと思ったのですが、詳しい方いらっしゃいますか?
女性の門徒は成田と川崎ではどちらが多いのでしょうか
ご助言お願いします >>129
ありがとうございます
でも剣術は当時と今とではけっこう違ったり新しく追加された技も多いのでしょうか?
江戸時代以前の伝書は残っていたりするのでしょうか? 柔術と言う名称は江戸期から出てきた言葉だね。
それ以前は和や俰と書く。
神道流はどうやら柔術と言う名称を使っているようだから
江戸期に取り入れたものだと思う。
当初からあった組討に柔を取り入れたのだろう。現代も組討が伝わっているのだろ。
長威斎の神道流は、たぶん剣、槍、薙刀、組討。
ちなみに、飯篠長威斎は無双直伝流和義の7代目ということになっている。 >>131
神道流の組討は恥ずかしながら見たことありませんが、道場ではよく稽古されているんですか? 知らないけど、組討の心得は伝わっているようだよ。
柔術関係はも免許以上が学ぶものらしいからほとんど公開されていないね。
あと、柔術には活法も含まれているらしいよ。
神道流の傳位は目録、免許、極意皆伝。柔術までいってる人は少ないのではないかな。 確かに大竹先生が昔テレビで披露した柔術以外見たことありませんね 神道流の柔術はちょっとだけYouTubeで見られるよ。大竹先生の所ではないと思うけど。 @は六合流の制定基本、左勝手。
Aは神道流の逆指、木葉返しかな? >>138
椎木先生の系統だよ。一技道の天道会。ここは神道流の柔術は教えとらんよ?先生は元々大竹門下だからね。 >>141
椎木さんって神道流の柔術教えてないの?
http://babjapan.tp.shopserve.jp/SHOP/sii2d.html
dvdでは神道流柔術を演武しているようだけど。
逆指→木葉返 羽交締→胴絞
七里引→立往生 滝落(別法)
天狗返 臂金 枯木 >>142
ハッキリ言ってたまにしか柔術? らしき技法しか教えてない。剣術や棒、薙刀とかに比べたら
遥かに時間は少ないね。 そうなのか。
椎木さんって柔術好きそうだから良くやってるイメージだったわ。
ところで、神道流の柔術って結構いい加減だよね。
伝書、杉野派、大竹派で所々名称や字、順番が異なるし
口伝で伝承されてきたから分からなくなってしまったのかもね。 >>144
鹿嶋での稽古時間と日数じゃ柔に時間をたくさん割けんよ? 本人も柔術はやっておいたほうがいいと言ってたから、
ご自身じゃ教えきれないのだろう。杉野さんの所は合気道のイメージがあったけどどうだろう。
因みに椎木先生は柔道家でもあるからね。真楊流の故・久保田さんとは知り合いだ。 同じ千葉県指定無形文化財の立身流とは何か交流や関係はありますか? 他の自治体でも古武道を無形文化財に指定しているとこあるけど、
2つも指定してる県って千葉県ぐらいだろうか。 香取神道流の形はどこも大竹先生のところみたいに素早いものだと思ってたけど、他の道場だと形をゆっくりやったり、逆に大竹先生のところよりもスピーディーな形をやっているとこらもあるな
明治以前はどうだったんだろうか 他の道場とは具体的にどこですか。思い当たるとこは川崎くらい。あそこはゆっくりしてます。大竹さんのとこより速いのはどこかな? この動画の中で神道流の槍術は今では表六本しか残っていないと言われていますが昔はもっとあったんですか?
これが事実だとすると大竹先生の本に書いてあった奥伝の槍対槍の型というのは復元なんでしょうか?
https://youtu.be/BOP0z1Ua8Og?t=17m20s >>153
こんな動画もあったのか
大竹先生って色んな映像作品に出てるんだなw 大竹先生の本を読むと、奥伝の槍対槍、薙刀対薙刀、棒対棒の型の稽古はあまりやってないみたいだね。
稽古の機会が少ないという意味で「最近はやってない」みたいに話したら、失伝したと解釈されたのかな。 >>156
ぜんぜん違う流儀だけどウチもそのパターンはあった。
師匠が、最近なかなか稽古できなくて…と話したら、雑誌には失伝と書かれてる。
師匠は参った参ったと笑ってるだけだけど後々を考えると捏造扱いされそうで(^^; Twitterより
『有名な師範の本なので敢えて書名は伏せる。実は師範の武術流派は江戸時代以前から伝わる古い流派で重要文化財にも指定されているが、
師範は同流派の遁甲術・軍配術を「気学」と紹介して九星や家相を載せ(江戸〜大正時代の占いだよ)、更に築城術に石垣が出ており(戦国末期〜江戸時代の技術)、愕然!』
新しい要素を加えるのは別に悪くないがそれならそうと言って欲しい。
こういう物が一つあると他にも実は最近加えられた要素があるんじゃないかという疑惑が出てきてしまうからね。 >>158
神道流なんて戦国時代と江戸時代でかなり変わってるだろ
今さらなんだが あと、ツイート元は2ちゃんでも胡散臭いと叩かれてる自称陰陽師研究家の高橋圭也氏やん 神道流に限らず、その流派が出来た当時の技術しか伝えていない流派なんてないでしょ。
代々宗家が改良したり新たな技を付け加えたりするのは当たり前だと思うが。 その高橋という人、何年も前から少しずつ文章変えて繰り返しその事についてツイートしてるな。
よほど気に入らないと見える。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ こんにちは。
入門したいとおもいHP記載の電話番号に電話しましたがつながりません。
道場見学や入門の流れを誰か御教示いただけませんか。
よろしくお願いいたします。 申し訳ありません、成田の神武館道場なんです。
何回かお電話しているのですが、どうもつながりません。
何時ごろだったら応答する方がいらっしゃるとか。どなたかご存じないでしょうか。
住所もよくわからないので手紙をしたためることも出来ません。 ところで、大竹先生の道場は交通の不便な場所にあると思うのですが門下生はどうやって通っているのでしょうか?
Googleマップで見ても駐車スペースなどあまりなさそうですし・・・ 電話で道場見学の有無を問い合わせるのは失礼に当たらないでしょうか?
道場見学って飛び入りでもかまわないものでしょうか?
通常皆様どうしてるのでしょうか。 電話は全然失礼ではないでしょ。
むしろアポなしで行く方が迷惑では?
大竹先生は今でも指導しているみたいだから稽古やってる時間帯は繋がらないと思う。
とりあえず何回か電話試してみて、そこから直接色々聞けばいいと思う。 そうですね。
何度か電話して色々聞いてみようと思います。
ありがとうございます。 幕末の剣豪達の流派を見ると香取神道流の名前がない。時代に逆行し続けたからなのかな 「剣豪」というのは剣で相手を斬り倒しまくってきた人物で、香取神道流の理念には反するからね。 いや、幕末はともかく塚原卜伝を輩出してますがな。逆行というか、それ以上の使い手が世に出てこなかっただけなんじゃない? 大体あの近辺農家だし、侍だけじゃないし。棒術だけなら、
新撰組の山崎進がいるけどそれで何とかしましたなんて話無いし。 一の太刀が有るか無いかの違いでない? と言っても詳細は分かってはいないが。 卜伝は若い頃に香取神道流を学んでいたというだけで他にも様々な流派をやってたからなー。新當流の形を見ると剣を受け流す円の動きがあり、影流の影響も受けていると思われる 武蔵より卜伝の方がどうみても格上なのに、なぜか武蔵か最強て風潮あるのが解せない >>141
大竹先生の元門下生だから柔術は教えてないというのはどういう意味ですか?
大竹先生の道場では柔術は教えていないのですか?
著書には免許以上の弟子に教えてると書いてありますけど… https://suginodojo.localinfo.jp/pages/928276/sugino
これを見ると杉野先生って神道流を4年しか習ってないみたいなんだけど、それで全部の技を習得できたんだろうか。 誰でも四年あれば知ることは出来るよ
知ることと身体に染み込ませることは別だけどな あの時代まだ、武道に専念できる環境があったからな。しかし薙刀から槍まであるのに四年でか。
確かに早く感じるな。 杉野は別の武術で既に免許持ちで素人ではないから4年でもいけたんじゃないの。
それに昔は週1の稽古じゃないし稽古も今より激しいからね〜 >>185
柴田の先生で有名な保立校長の兄弟子。
楊心古流の伝承を放棄して合気道に行ってしまった。
さらに合気道があるから神道流の柔術はやってないんだとかwww 「平法」を見返してみたら大竹先生は入門してから
6年1ヶ月で目録、9年1ヶ月で免許、17年7ヶ月で極意皆伝ですな。
確かに4年で「習得」は早いね。師事した先生によるんかな。
それとも目録までが4年とかかな? 流派が沢山残ってる時代だと自分のところだけ技や免許の出し惜しみする意味は薄いけど
特定の団体や個人が流派を独占してる現代では簡単に免許出したら先生は商売上がったり
だから自分は数年間で習ったものを弟子には数十年やらせて「まだまだじゃな」なんていう事になるんだろう
多分大竹先生のところも同じようなものじゃないかな
大竹先生は17年7ヶ月で皆伝らしいけど、弟子にはそれ以上の期間かけても皆伝は許してないだろう
大竹先生の道場のHP見ても皆伝は身内だけで支部の先生はみんな免許止まりだし
既得権益ってやつですわ とは言っても大竹さんは基本金持ちで、月謝は三千円程だったはず。弟子の数は知らんがそれで商売成り立つもんかねえ? 免許までは実技中心だけど、極意皆伝までとなると技の習得はもちろんのこと
精神修練とか風水、築城などの学問も含めて全て修めなければなれない。
単純に実技だけで満足してそれ以上に神道流の「学問」をも修めようって人がいないんじゃないかな。
本見る限り、真言密教や日本神話、陰陽道などの知識がないと理解できない内容ばかりだし。 ごめん、今気付いたけど大竹先生の入門からの期間色々間違ってたわ。
誤:6年1ヶ月で目録、9年1ヶ月で免許、17年7ヶ月で極意皆伝
正:6年2ヶ月で目録、9年2ヶ月で免許、24年2ヶ月で極意皆伝
ちなみに17年7ヶ月は入門から千葉県無形文化財登録までの期間でした。。。 稽古で使う槍や薙刀などの長物は門下生が各自用意して道場まで持っていくのだろうか。
六尺棒程度ならともかく九尺の槍を毎回持ち運ぶのはかなり大変だと思うんだけど。 基本、稽古道具なんてのは特別なもの以外を除き各自持参になる。が、長物は道場でのみ借りれる
場合がある。 彼 ら の 時 代 は ほ と ん ど 終 わ っ て い る
自民党は戦前の国家犯罪者の集まりである。
https://www.youtube.com/user/yampr7/videos
「彼らの時代はほとんど終わっている。
間もなく起こる出来事
ーーー< 日本からはじまる株式市場大暴落、世界経済破綻 >ーーー
が政府の力を再分配し、国民を解放するだろう。」(世界教師マイトLーヤ)
portfolio/2016aug01 江戸時代の香取や鹿島を修行していた階層は、大名家中や幕臣より、近隣の農民や郷士の方が多かったのかな?また、撃剣(竹刀稽古)もやってたかな? 香取は割と農民率高いけど、その時代の
リサーチってのは武術史と言うよりあの近辺の郷土史調べてみた方が分かりやすいと思うんだよな。 抜附之剣とか抜討之剣とか膝を痛めそう
年取るとできなくなるんじゃないか?
京増さんはまだ大丈夫か? 飛び上がらないでやればいいのでは。
大竹先生の所以外だと飛ばないでやってたりするよね。
大竹先生の所でも飛ぶのは鍛錬のためって言ってるから年取ったら無理にやらなくてもいいんじゃないの。 英語版のWikipediaには日本語版には書いてない事も書いてあるね。
林先生が技を改変したとか、野田派というのがあって他の系統では失伝した技が残ってるとか。
信憑性はどうなんだろうね。
杉野系、大竹系で柔術の技名が違うのはこれが原因だったりするのだろうか。 野田って誰?
大竹、杉野は聞いたことあるが野田は初めてだ 大竹系の柔術の立合気合投は、講道館系の技が入ってる。肩車とか。
あれは、たぶん誰かが改変したものだろう。
大竹先生の師は嘉納と関わっていたからその時か?
あと、杉野系と大竹系で微妙に技名が違うのは、柔術が口伝で紙に書かず読みだけしか伝わらなかったから。
どちらも、読みはほぼ合ってて漢字が違うから近代に入り紙に書くとき困り、それっぽい漢字を当てたんだろう。 気合投げ6本が追加されても36本という全体の数は変わっていませんが、元々あった技の内6本が失伝してしまったのでしょうか?
それとも何らかの形で今も継承されているのでしょうか?
また、唯心館門下生が作ったHPに「柔術は稽古をしていないが、その検証を指導部でしている」と書かれており、
実伝は残っておらず指導者クラスの間で復元が行われていると解釈したのですが、実際のところどうなんでしょう?
http://www.budorakumono.com/sintoryu/top.html 林先生が元柔道家だからって柔道技を正式な流派の技に取り入れるなんて事するかな
失伝した技を補完する為に柔道技を取り入れるってなんか不自然な気がするけど 武器術主体の神道流で柔術の話題をするスレなんて、ここくらいだろうな。 以下はあくまで推測です。
香取のは剣術に付随する柔術なので、一般的な柔術流派のような物ではなかった。
旧36ヶ条は居捕も立合もごちゃ混ぜで、殺活法とかも存在せず柔術の形だけが口伝として伝わっていた。巻物も無し。
それを誰かが改良を加えて
居捕、立合、気合投の三段階に分けて体系化し
さらに殺活法も加えて新36ヶ条を作った。
その時に井口本や講道館、帝国尚武などの書籍も参考にして乱捕技を気合投として取り入れたのかもしれない。
どうだろう。 平上信行さんは本の中で、
香取神道流の柔術は外物のようなもので柔術の流派に含めていいか微妙なところだとという主旨のことを書いていたな 36本という数は現在伝わる神道流の型全体の約3分の1
表と裏の技があるそうなので72本と数えると2分の1以上
オマケ扱いするには数が多いと思う ところで、棒術は表と五行しかないのだろうか
16代宗家が書いた文章には棒術が21箇条あると書かれている事、剣術が表、五行、極意の三段階になっている事、五行の棒の別名が中段の棒である事などを考えるともう一つ上の段階がありそうなんだけど
失伝してしまったのかな
大竹先生の本を読むと極意七条の太刀のさらに奥に「奥の極意」という技があるらしいし、公表してないだけで棒にも五行の次の段階があってもおかしくないとは思うけど 香取新当流に天心流に似た技があって、遠い過去にどんな交流があったのだろう?と考えるとロマンだね >>210
天心流の工作か?それとも愉快犯?
天心流なんて伝系詐称or乗っ取り疑惑ある近代創作大道芸流派やろ 神道六合流というのはよく知らないけれど他にも似たような技あるの? >>212
神道六合流の技は香取神道流とは全然違うね。
柔術だから中には似た技もあるけど。
神道六合流の36手は基本巻に全て解説されているので図書館の国会図書館配信資料で神道六合流基本巻の36手と大竹さんの平法に掲載されてる香取神道流の36手の解説を見比べてみるといいよ。 上の椎木さんの柔術は、神道流柔術の
逆指と木葉返の二つの技を続けてやってる 香取神道流柔術が明治に加えたものなら六合流を参考にしたというのもあり得るが、
個人的には神道流柔術は明治より前からあったと思うんだよね。
技名がかなり独特なので他流で似た技名を用いている流派があるか探したが見つからない。
いくつかの流派を合併したのかも。 流石に近代に入ってからってのは無いと思うんだよなぁ。個人的に。 何か元になるものがあったとしても、その後それが変質するって可能性はあるんじゃないかな。
嘉納治五郎の弟子の望月稔とかもいたわけだし、入門していた人間がなんか持ち込んでるってのはありそう。
特に表芸でないものなんてどこの流派でも手薄で、師範より弟子の方が上手いなんてのは珍しくないしね。 神道流柔術36
説
@明治に入ってから他流を参考にして作った。
A江戸期に他流を参考して作った。
B江戸期に柔術学んでいた門人が他流をそのまま取り入れた。
C創流から存在した。
D江戸期に何も参考にせず一から作った。 明治の伝書と比べると、杉野先生の方も完全一致はしないんだよな。
で、明治の伝書には無いものが大竹系・杉野系両方にあったりする。
名前が付いている技と付いて無い技があって道場や師範ごとに名前を付けたから違いが生じた、とか? 伝書がなかったから読みだけ伝わっていて
その読みが何代かしてるうちに微妙に変わってきて、後で紙に書く時にそれらしい字を当てたのだと思う。大竹系はさらにその36手を改良したのかも。置き換えたのか。
手元に資料がないから分からないけど、
杉野さんのは明治の伝書と技名違うの? 神道流柔術の解説を見たが逆が多いね。
当身や投げが少ないような気がする。 ・足拂
内腿、拂腰、襟投、袖背負、
膝矢倉、巴投、横捨身、膝掛、鬼倒。
・腰背負
・矢倉落
・変腰
・隅返シ
・肩車
明らかに乱取の技なんだよな。
巴投や肩車は講道館の技名だが、他の技は井口本や神道六合流っぽい。
六合流は他流や講道館に同じ技がある場合は、別名も表記していて
肩車や巴投という名称も普通に使っていたりする。例えば、絹擔(片投、肩車)、内股拂(内股)とか。
また、腰背負は袖が短かった柔術の乱捕で使われた技で、今でいう講道館の背負い投げ。
この技を腰背負と言っているということは、参考にしたのは講道館では無いと思う。
ちなみに、六合流に背負腰という技名で同じ技があった。 ただ、膝掛、鬼倒とかは聞いたことが無いんだよな。
たぶん、この「気合投」は明治期に新たに制定した技だと思う。
江戸期に柔術36ヶ条を作り、その後別の人が明治期に気合投を組み入れたか。
そうすると、6ヶ条はどこに消えたのか謎。
または、作った人が同じで明治に入ってから技を置き換えたという可能性もある。 よく見ると帯刀の技が無いんだよな。一手くらいあってもいいと思うんだが。
明治に制定したからか?
または、江戸期の帯刀の敵に対する技は時代にそぐわないとして、明治期に気合投に置き換えた? >>222
杉野先生の方は明治時代の伝書とほとんど同じ。
違うのは一箇所だけ。伝書にある【水車】がない。伝書にはない【逆指】がある。 なるほど、ということは三種類あるのか。
大竹さんの所に伝わっているのは、
今から二代前の18代目飯篠盛貞(明治期)さんが書いた解説書と同じようだが、
その伝書は誰が書いたんだろうか。手元に本がないので確認できない。
同じ人だったりして。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています