剣道は精神を云々というが、キツい稽古に耐えて
『他の人間はこんな苦しいことしねぇーだろw』
って優越感に浸ってるだけでは。もちろん人によるが、お前らの稽古場に絶対最低一人は居るだろう。
むしろ結構な割合で心の中で無意識にそう思うやつが多いと思う。これは俺の短い経験での主観だが、
中学、高校、道場、と必ず年配の先生には 『剣道は普通のスポーツとは違う、礼儀を学ぶ武道だ』といったニュアンスの言葉を口にされる。
実際礼儀を学ぶ云々はそうだが、他のスポーツを見下すような言い方には疑問を持った。
『お前の経験で見た剣道が全てじゃねーよ知ったかすんなw』と思うかも知れん。
だが、この人たちは何十年と、少なくともこのスレの剣道擁護の大半よりも苦しい稽古に耐えてきた人たちだ。
そんな人がこういう偏見を持ってる以上、そしてこういう人が指導してる以上、他のスポーツを見下して優越感に浸ってる部分はあるんじゃないか?

確かに剣道の稽古は俺の経験上、精神鍛錬と呼ぶに相応しい程苦しい。他のスポーツが苦しくないといいたいわけじゃなくて、
もっと精神的に追い込まれる。あの風通しの悪い道着、防具をつけて、全力で運動しなければならない。少しでも手を抜いたと思われると更に痛めつけられる。

だが、一方試合はどうかと言うと、その鍛錬の成果をスポーツ形式で試すものであり、試合が全てでは無いし、本来試合に勝つために稽古すべきではない。
なのに、先生方は試合で変な負け方をすると理不尽にキレる。何故アソコで打たない。なぜ止まる。など。
試合は本人たちの精神鍛錬の成果を試す場であるのに、先生が干渉するのはおかしいのではないか。
これはまさに、『自分の団体を名声を上げたい』『自分の指導者としての知名度を上げたい』といった邪なものが心を占めてるのではないか、と。

更にこういう稽古に耐えてきた人は、自分が指導者になると『指導ってセンセーみたいにしたらいいのか』と、
自分の門下生に暴力や理不尽な屈辱を与え、それの繰り返しだろう。

それに礼儀と言うが、強豪校では、顧問の先生を神のように扱う。それは礼儀の度を越えてるんじゃないのかと。
昔の文化だから仕方ないのだろうか。俺は目上の人に対する過剰なまでの『礼儀』と、先生方の『礼儀』とは呼べない傲慢な態度が目立っている気がする。

4時間5時間を越える猛烈な練習も、スポーツ学的に言えばあまり効率はよくないだろう。人間の集中力はそこまで持たない。
小中学校の稽古場なんて、記者には見せられたものではない。子供たちが嘔吐し、倒れる姿を見て『画期的な精神鍛錬デスネ!』なんて記事、俺には書けない。

でもまぁ、スポーツとしてみれば悪くないと思う。勝てば嬉しい。もちろん、所属団体の体裁を考える試合など楽しく無いが。
それに『実生活で役にたたねーよ』と言うが、正座に対する耐性がつく。運動になる。やりすぎなのはどうかと思うが、動いてない人間より健康だろう。
もちろん運動になるわけだから、運動してない人間に比べれば、喧嘩?とやらでも強いわけだ。少なくとも弱くはならん。
それに同じ長さの棒を持てば剣道は負けない。棒なんて『あてっこ』でも十分怪我する。ちゃんばらごっこだって新聞紙だから成り立つんだ。
ただ、『実戦』とやらには、精神面が一番関係するだろう。麻薬で狂った人間が武器を持てば、どんな武道習ってる人間も勝てないよ。剣道に限らず。
軍隊にでも所属しない限り命が保障された競技で精神を鍛えても恐怖心が消える事は無い。

なんかまとまらなくなったが、『剣道が実践的である必要が無い』『だが剣道の精神鍛錬とやらには疑問を感じる』といった一つの意見として受け止めて欲しいです。
ただ、俺は剣道をしている人間が全てそういう偏見を持ってるとは思っていないが、剣道を過信しすぎると、そうなるですよと警告しておきたい。