それ…全部マジで言ってるんだったら貴方は論理の勉強をもう少しした方が良い。

>>35
常識的でない・特殊な意見ではないから客観的である、というのは論証になっていませんwww
客観的である、理屈が通っているというのは納得出来る理由が付されているということだけによって裏付けられます。
また、剣道が竹刀競技化していることを問題視する見方が一般的であったとしても、その問題の根底が打突部位が限定されていることに存する=打突部位を増やせば解決する、と見られているという見方は少なくとも私の周りでは一般的ではないし、
「打突部位解禁」をした場合にどうなるのか想像力を働かせてみればそのような見方は取れないと思うがね。
ただ嘆くだけ、は有益な意見にならないし、嘆く先生方が「剣道なんかやめて剣術やれ」って言ってると思ったら大間違いだよ。

>>36
>論理的に詰めていくと
>「剣道は実戦的ではない=正しい」
>なら、
>「当たり判定も実戦的ではない」
>「当たり判定は、実戦的ではなく不自然である」
>という結論になる。

それ何にも論理的に詰まってないよw
「剣道が実戦的ではない」⇔「剣道の当たり判定も実戦的ではない」
は同値として導けるけど、
「それがが剣道にとって不自然/不合理なのかそうでないのか」
という論点に当て嵌めても何も起こらない。
「不自然だ」というには、「何が剣道にとって自然か/合理的か」を先に考えなくちゃ評価を下しようがないだろ?当たり前だが。
つまり、「剣道の当たり判定は実戦的であるのが自然だ/合理的だ」という価値観が認められてそれに当てはめて初めて「不自然だ」といえる。
肯定派は、「剣道の当たり判定は実戦的でなくても構わない」という価値観に沿っているから、別に「不自然」ではないと言う。武道は心身向上の手段と捉えているからね。
で、否定派に対して「ところで君らはどうして実戦的でなくてはならないと思うんだい?」とたずねているわけ。
で、応えてくれないわけ。

良いか、悪いかという評価は「不自然」という言葉のカバーを掛けたとしても、「じゃあ不自然だからどうなの?」という実質的な段階で不可避だよ。
つまり、「不自然であることを君はどう思ってるの?」ってことで、多くの否定派は不自然であることから剣道が下らない武道だ・意味のない文化だ、って言おうと一生懸命な訳よ。
「不自然」をニュートラルに捉えることも出来るけど、少なくともこのスレの文脈ではそうならないよな。きちんと、「実戦的な観点からは」とか枕詞つけてあげないと。
まあ、少なくとも自分と貴方の間ではニュートラルな評価として扱うってことでもいいけどさ。