>>224
>教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情が
>あるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。

教育的な見地があっただろう、というのは当たっていると思うが、
政治的に「変剣」というレッテルを貼られたと思われる場合も多い。

例えば、恵○孝吉氏の場合などはその典型だと思う。
恵○氏の場合、その硬派な言動や、全日本で当時事実上の禁止状態だった
二刀で試合をしたことなどから、徐々に睨まれて「変剣」というレッテルを
貼られるようになっていった(これに関連して、高知大学の教授だった
専門家が書いたある本によると、「恵○氏はその実力は高く認められながらも、
段審査では合格は望めない、という風聞が剣道界でまことしやかに
伝えられている」という文が出てくる)。  
また教職員大会の個人戦でも、一本の技を沢山打っているにもかかわらず、
審判が旗を上げず負けてしまい、それが試合に出なくなるきっかけに
なったと恵○氏自身がインタビューで言っていた。

中倉氏のように戦前には「変剣」という評価はなかったにもかかわらず、
戦後になってそのような評価になり、それが死ぬまで続くという事例も、
中山博道氏の系統が表舞台からほぼ姿を消したこととあわせて考えると、
どうなのだろうという気はする(確言はできない)。

宮崎氏の場合、全日本の最初の優勝の頃は好意的にとりあげらていたが、
その後、激しすぎる非難に見舞われたことはご承知の通り。
宮崎氏の試合振りは、別に変わっていないと思われるが・・・。

宮崎氏のときはリアルタイムで見ていたが、なぜこれほどまでに批判される
のか単純に不思議に思った覚えがあり、それが「正しい剣道」や、「正しい
剣道」に代表される現代剣道の価値観への疑問の端緒になっている

少なくとも、「正しい剣道」を理由に他人を批判するのであれば、その
「正しさ」の中身を明らかにすべきではないだろうかと、個人的には思う。