>>223
>中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も
>当然に認める、
>しかしルールは「剣道」に則る、
>そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳

いや、価値観を論じた結果、ルールを変えないほうがいいというなら、
変えなくてもいいわけだ。だから、別にそういう選択肢も潰れてない。

>スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のが
>ルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。

剣道日本のインタビューで、スポチャンの創始者は次のような意味のことを
答えていた。少し長くなるが、思い出しながら書いてみる。

即ち、少年たちに剣道の稽古をつけていて(創始者は剣道5段だか6段、国体
出場経験あり)少年たちの竹刀が、自分の体や、面の横あたりに掠ることが
あると。剣道だと「まだまだ」ということになるが、剣道では「真剣だったら
・・・」というロジックをよく使用するのに、真剣だったら大きな怪我に
なりかねないにもかかわらず、そこを無視するのはおかしいのではないかと
疑問を持っていたと。
さらに、剣道では「気剣体一致の技でないと一本ではない」といわれるが、
これも真剣ならば何らかのダメージを負うのに、一種の暗示をかけて
一本ではないという理由付けにしており、それが剣道のディフェンスの
技術を非常に甘いものにしている。
このような暗黙の了解による決め事が剣道には多く存在し、それが技術の
妨げになっているので、いったんそのような決め事をやめて子どもの頃の
チャンバラ遊びの自由さからやり直すべきだと考え、スポチャンを創った。
ネーミングは「ニュー剣道」などとすると、剣道側から文句が出そう
だったので、チャンバラという剣道よりへりくだった名前にした。

大体、インタビューはこのような内容だった。以下、まだ続く。