>「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、
>むしろ「当てっこ剣道」、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
>理合にかなうのかもしれないね、極端な言い方だけど

>>130氏がどれだけの剣道のキャリアをお持ちなのかは分からないが、例えばこれは(>>130氏が剣道の基礎をしっかりと身につけている方なら違うが)
「斬られずに斬る」を奨励した場合に生ずる弊害の一つだ。
仰る通り、極端に過ぎるし本質的に間違っていると思う。
もし、>>130氏が剣道をあまりやっていない方ならば是非その理念で剣道をやっていただきたい。
何も出来ないことが分かるだろうからだ。
少なくとも、これから剣道を始めようとする小学生や中学生に対して、かのようなものが「剣の理合」だと教えることは非常に危険だ。
そして、それを「理合」として剣道を始めても宮崎選手のような選手は絶対に生まれ得ない。
私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。
斬られたくないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が常に伝え続けているところで、やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。

但し、現代剣道の問題点もそこに同時に浮かび上がるのであって、捨て身の打ちの前提が「そうでなければ斬られる」からであるところ、
剣道では捨て身でなければ斬られえても一本にならない=負けないため相手に斬られることを軽く捉えてしまいがちだ、という点だ。
それこそが、「相手に打たれても先に当てていれば良い」という意味での当てっこ剣道の横行であって(当てっこ剣道という言葉も多義的ですね)、
相手より先に当てられれば中心を、相手の剣を殺す「攻撃は最大の防御」たる打ちになっていなくても良い、とする動きの横行である。
剣道が、少なくとも後に打った方を勝者とすることは出来ないからこそ、このような当てっこ剣道に対しては剣道の本旨忘れるなかれ、と警鐘を鳴らすしかあるまい。