X



■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/09(水) 04:15:26ID:3BDJ8Rb8
胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。

だが、小手を斬られると即死www

もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。
0101名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 13:41:19ID:VdQWdbS0
このスレにおける >>1 の命題は
(1)剣道の当たり判定が、「実戦を想定した場合」に「不自然」であり
(2)よって武術・武道ではなく、単なる竹刀競技である
の二点になります。

この二点についてはすでに結果が出ているのではないでしょうか?
0102名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 14:04:42ID:eI2tF+bh
>>101
(2)について、なぜ武道・武術は実戦的でなくてはならないのか、という説明がなされていないため(1)につき是、(2)は不明でしょう。
少なくとも「竹刀競技」「武術」「武道」そういった言葉の定義をきっちりさせないと命題を共有するのは難しいのでは?
例えば「竹刀競技だけど武道だ」という考え方も充分取り得る。
言葉が指す領域と、なぜそのような領域指定をするのかについて納得できる説明をしなければならない。
0103名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 14:11:45ID:VdQWdbS0
>>102
武術と武道の関係について、柔術と柔道の関係を参考にすると
「武術」は実戦を想定した戦闘術であり、他人と競う目的のものではなく(基本的に)
ルールはない。
「武道」は一般に広く伝える為に、安全性を考慮し競技性を持たせたものと言えるでしょう。
よって武道にはルールが存在することなりますが、やはり実戦を想定しているんですよ。

例えば柔術は、素手をもって相手を制圧する技術体系であり、柔道はそこから
組み技のみを抽出してルール化したという関係になります。
互いに組み合って格闘を行うので、常に「実戦」であり勝敗の判定基準もわかりやすく
客観性があります。

剣術は刀をもって戦う為の技術ですが、剣道はそこから何を抽出したのかがよくわからない。
相手を動けなくするようなKOに類した勝ち方は存在せず、真剣であれば勝負が決している
ような打撃でも一本をとらない。
しかも「一本」かどうかは審判の主観に任せられている。
はなはだしくはルールに明記されていない「剣風」なるものを持ち出して勝者を批判する
ことすらある。
ということで、非常に不合理なように感じられます。
0104名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 14:17:35ID:eI2tF+bh
ちなみに運動能力が高ければ誰でも剣道が強くなるっていうのは明らかな勘違いだよ。
昔筑波大のコーチをしてた人に聞いたんだけど筑波の女子の大将は50m10秒らしい。勿論、普通に速い人は幾らでもいるけどその人たちより大将が頭一つ抜けて強いって話。
間合いの駆け引きが抜群、っていう辺りに剣道での強さの本質がある。
途中でバレーの選手に宮崎選手の真似させれば無敵、みたいなこといってるアホがいたが話にならん。その選手に宮崎選手並みのセンスがあれば強くなるだろうけどね。
運動能力は高いのに埋もれてる選手なんか幾らでもいる。さらに、加齢で運動能力が落ちても強い人は充分戦えるから幾つになっても続けられる。
そこら辺が剣道の面白みだと個人的には思う。天井が見えねぇ。
0105名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 14:43:27ID:eI2tF+bh
>>103
剣道が何を抽出したかはこのスレの過去ログをさらうだけで出てくるのでそちらを参照してください。
要旨を述べるなら、相手の攻撃の当たらないところから当たるところに踏み込んだと同時に相手を崩す顔面への斬りつけ、「面」を打ち込む、という特定の攻撃方法を身につけるための稽古法が剣道の元なんです。
特定、と言いましたがしかしこの動作には剣での戦いの重要な要素が多数盛り込まれていることは剣術家の方々も証言する通りです。
ところで、不合理というなら「元打ち」が無効というのも非常に不合理です。刀は引き斬りなのだから先端で打つより元で当たった方が良い打撃なはずなのに有効にならない。
(この話題がなかなか出ない辺り否定派に剣道未経験者が多いことが伺いしれますが。)
刀だったら触れたらダメージになるはずだが、稽古法として目的があるため敢えて部位を限定しているんです。
それは、投げ技の部分を抽出するために柔道で打撃を禁止するという方法論と変わりません。
「打撃があろうが柔道の投げが強いなら投げれば良いじゃないか」と言われればそれは違うと分かりますでしょう。特に柔道で、殴られたら負けというルールができてしまったら尚更です。
つまり、面を打って相手を崩し、袈裟や首打ちなどでとどめをさすという二段階の攻撃の一段階目にフォーカスしたのが剣道、ということ。
とどめの一撃、それで相手が戦闘不能になる一撃と並べて考えるのは剣道の目的を理解していないことになります。
武術は実戦用、武道は文化だが実戦を元にしているという定式化は説得的ですが、実戦から武道への抽出の観点が安全性のみというのはやや分析が粗いかと思います。
実戦の動き、駆け引きや精神から「ここぞ」という一部分に特に文化的価値を見出して武道化していくというあり方も武道の通常の一態様です。
「刀だと危ないから竹刀にしよう」として剣道になった、と考えると多数の誤解の温床になりましょう。
0106名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 16:14:27ID:vlQw65dM
>>104
身体能力+運動センス
0107名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 16:24:45ID:gM81AFNR
剣道が>>105のいうような成り立ちをしているとすると、やはり剣道という
ジャンルは剣道独自の精神・価値観を追求している独自の「文化」とでも
いうしかないものであり、競技とするには究極的には不適合なものだと思う。

このスレの主題である当たり判定の問題や、「剣風」なるもので持ち出して
勝者を批判する問題などは、剣道がその独自の精神・価値観と究極的には
不適合なものを自らの内部に抱え込んでいるがゆえに発生しているように
思われる。

剣道で運動能力が高い者が必ずしも勝者とならないことや、年齢を重ねても
若者と対等以上にできるものであるのも、剣道独自の精神・価値観と
強く関連しているように思われる。
この点に関連して、以前習っていた先生(当時八段、後に九段)が次のような
ことを剣道について言っていたのを思い出した。

「試合をやれば若者の方が強い。ただ、剣道はそういうものではない」

これは、試合、即ち通常のスポーツ競技に近くなればなるほど運動能力の
ある者が優位になるが、剣道独自の精神・価値観に上手く適合すれば
(これはルールを利用しているとみることもできよう)、剣道では
運動能力の差を埋めて余りあるものだということだと現在は理解している。
0108名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 16:32:19ID:vlQw65dM
剣道=通常のスポーツです。
0109名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 16:51:55ID:Z3FX3r+J
>>106
運動センスっていうと汎用的な運動神経、って感じがするよね。
実際に学生時代剣道してた人なんかは>>104の言うことがよく分かるんじゃないか?
俺の先輩の代で補欠だった人は足速いし球技出来るしガタイ良いしで色んな部活からスカウトされてたけど、
剣道が好きだからって言って剣道部にいたっけな。
ま、剣道知らない人には信じられないことなんだろうけど、これは経験則から導かれた事実。
どんなに他のスポーツで鳴らした人でも大学、高校から初心者として始めたなら始めてから1,2年は底辺レベルの選手にも歯が立たなくて悔しい思いをするのが殆ど。

>>107
大方同意。
本質的に競技にしにくいものだからこそ、「本来の形」を守るために段位という指標があるのだし、
(但し「形」というのは分かり易くFORMという意味ではなく、もっと無形的な目標たるもの。高段位の先生でも剣風は皆異なる)
競技として勝利を目指すばかりに失われてしまうものがないように高段位者は「口うるさく」警鐘を鳴らすのだろう。
そのような、「文化」をどのような名前で呼ぶかは人の自由。それこそが「武道」だ、という物の見方も充分に在り得る。
「剣風」問題についてはそんな感じで、「当たり判定」の問題は「剣道」というものに対する誤解が主な理由かな。
「面を打つことが至上目標なんだ」と言われればそれは筋が通ったシステムだろう。勿論、他の打突部位が簡単に取れすぎて面が疎かにされてはならない、という政策的意識も働いているだろうが。
剣道はスポーツだ、と考えれば競技としての不合理さが目に付くし、武道だから実戦的でなくてはならない、と考えれば実践的でないという面が目に付く。
どちらのアプローチも、結局は剣道の性質をきちんと理解してないがために生ずる違和感だ。
高段位の先生の剣道がどう凄いのか、そしてどうしてその域に達したいと願うようになるのか、そういったことは、仕方ないが実際にやってみないと分からない。
試合が強い人と剣道が強い人の違いは、構えあった印象だけで全く違って見えるはず。そういうことが分かると剣道をするのも見るのも面白くなってくる。
0110名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 17:55:57ID:vlQw65dM
剣道独自の精神・価値観とは、わからないが。

剣道は、通常の運動選手からすると、大半か?一部か?剣道家の考えとは、
話が交わることはないだろう。

普通の人からは、剣道は競技を行ってるのだから、スポーツだと認識するのに
大半か?一部か?剣道家は競技ではないと。

剣道は、競技を行いながら、競技ではないと。
本音と建前の、昔の封建的社会感が見え隠れする。

これが剣道の精神・価値観なのか?
0111名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 18:12:47ID:vlQw65dM
剣道ぐらいだな、本来の剣道とか正しい剣道とか、他の競技にはない論理が存在する、

あきらかに封建的競技だな!
0112名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 18:36:21ID:22o2hYeC
今日はID:vlQw65dMか・・・
武道、武術が解らないからってここで遠まわしに聞くなよ
例え華道、茶道でも、作法、品評、精神、人となり、姿勢といった
体系建てたものの考え方はお前には理解できない
柔道、柔、試合、柔術、合気道、合気、合気柔術
それぞれにどういった意味や方向性があるか解らないだろう
道というのはそれらのと体系を全て含んで表現するもの
よって生き方、人生まで高まる
武士道とは武士術ではなく武士試合もない
まあお前には言うだけ無駄だろうが
0113名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 19:48:21ID:gM81AFNR
>>109
>高段位の先生の剣道がどう凄いのか、そしてどうしてその域に達したいと
>願うようになるのか、そういったことは、仕方ないが実際にやってみないと
>分からない。
>試合が強い人と剣道が強い人の違いは、構えあった印象だけで全く違って
>見えるはず。そういうことが分かると剣道をするのも見るのも
>面白くなってくる。

剣道の独自の精神・価値観を受容すれば、そう考えるようになるだろう。
付言すれば、運動能力のある初心者が剣道をできるようになるまでしばらく
かかるのも、剣道の独自の精神・価値観を心身で受容するまで一定時間が
必要だということなのだと思う。

問題は、現在の剣道の独自の精神・価値観を受容するか否かだ。
剣道がスポーツ競技としても不合理で、実戦的でもない、というのは
今まで散々このスレでも議論されてきたところだ。このようなある意味で
摩訶不思議な「文化」である現在の剣道の独自の精神・価値観については、
人によっては嫌う向きもあって当然だと思う。

現在の独自の精神・価値観が圧倒的多数になるまでに切り捨ててきた技術・
思想は確かにある。全剣連から分かれていった剣道団体が小規模ながら
存在するのもそのあたりに理由があるように思う。
また、中倉清氏について戦前においては「変剣」という評価はなかったにも
かかわらず、戦後になって「変剣」という評価・レッテルを貼られたことも
そのあたりの事情をあらわしている。

個人的には、もっと柔軟に思考し、色々な試みをなしていくべきと
考えている(そのような試みの一つが、剣道出身者により創始された
スポーツチャンバラであるともいえると考えている)が、もしそれが
実現すると、現在の剣道の独自の精神・価値観は圧倒的多数ではなく、
色々ある中のワンオブゼムになる。
それが果たしてよいことなのか個人的には迷うところ。
0114名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/13(日) 22:56:20ID:UU2VjbDn
>>105
>「刀だと危ないから竹刀にしよう」として剣道になった、と考えると
>多数の誤解の温床になりましょう。

これは剣道だけやってる人の勘違いだな。
古流というか、剣術は型稽古がメインで、互いに木刀をもって、攻防の形を繰り返す
稽古が普通だった(今でもそうだけどな)。
しかしながら、より実戦的な「打込み稽古」をやりたいという欲求から、
稽古中の安全を確保する為に、竹刀や防具が発明されていったわけ。
防具で防御可能な部分が、面であり胴であり、篭手の部分なので
メン・ドウ・コテの三箇所が主な打突部位となった。
後になって「突き垂」が普及して、「突き」が入り現在の剣道の原型になったんだよ。

>「面」を打ち込む、という特定の攻撃方法を身につけるための稽古法が剣道の元なんです。
>特定、と言いましたがしかしこの動作には剣での戦いの重要な要素が多数盛り込まれて
>いることは剣術家の方々も証言する通りです。
これは剣を知らない剣道家が勝手に思い込んだもので、面を打つ動きは実戦的な動きでは
ないし、実戦では役に立たない動き。
剣術ではどの流儀でも「袈裟斬り」が基本になっていて、面を打ちは重視されていない。
0115名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/14(月) 02:26:06ID:P0C8yplZ
剣道は実戦を念頭においていないというのは、もう議論済みだ。
0116名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/14(月) 03:39:47ID:P0C8yplZ
遅レスだが・・・。

>>73

戦後に剣道の世界にも価値観の大転換が発生したように思う。
その結果、例えば中山博道の一派やその影響を受けた人々などは徐々に
表舞台から姿を消していき、いわゆる「正剣」を信奉する人たちが
圧倒的多数派になっていった。こうした傾向は人為的なものだと思う。
0117名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 16:54:06ID:M+iB+roV
>>113
正統派を一つ挙げてそれを守るというのは文化の形としてわかりやすい。
剣道の在り方はそれに近いと言えるし硬直化しているという指摘にも尤もだと思える。
ただ、その反面競技として成立させて見ず知らずの相手とも共通言語としたいというニーズに答えるためには一つの価値観をピックアウトして文化の基盤にすることが必要になっていると思う。
当然だが、剣対剣の戦いには面を斬りつける以外の定石もあるのだから面を斬りつけるのが剣の戦いの唯一の価値観と言っている訳ではない。(>>114乙)
元々面を斬りつけるという特定の攻撃をピックアウトしてその上に醸造された文化を保持している訳だから、それに対して価値観が硬直化している、もっと多様な価値観を、という提言は不適当なのではないだろうか?
例えば袈裟が有効という価値観があるのならば「袈裟を斬り合う競技体系」を考えればいいことだし、途中の日本刀競技を考えようという提案も非常に良質だ。
しかし、それを「剣道のルール上で」実現しようというのはどのような価値があるのか、意図があるのか大いに疑問だ。
剣道側から見れば「武道として成立した剣道へのメリット/デメリット」と言っても良い。ルール改定ののち、どのような立ち合いになるのか精査する必要がある。

また以上から、逆に剣道家が特に気をつけなくてはならないことは「剣道が剣のすべてと思うなかれ」ということだ。
「剣道最強」のような立場に自分が嫌悪するのもそのためだし、剣術やスポチャンを見下すのは道理を弁えない恥ずべき行為だ。
しかし、実感としてはそのような剣道家は決して多くないとも思う。剣道は剣道、としてそれが持つ文化性を大切にすることは何ら間違った行為とは思えない。

やっと武道とは、レベルの話が出来るようになった気がしています。

>>110
剣道には段位審査というものがあって「大半の競技者」は段位取得も剣道の目的にしているわけです。
あとは分かるな?
0118名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 17:06:15ID:M+iB+roV
>>113
あ、提言が不適当云々というのは>>113氏ではなくて「ルールが不合理だ」と言う否定派一般に対する反論です。書いてるうちに>>113氏に向けられているような論調になってしまった。
個人的には剣道以外の所で様々な試みがなされるのは良いことだと思う。(実は一度スポチャンに参加したことがあるのだがあれはあれでスリリングで楽しかった。)
剣道の他にも多様な選択肢があって良いと思うし、そのような競技との比較を以て剣道という価値観が独自に持つ良さ(或いは悪さも。剣道があらゆる意味で万能な文化である訳はないのだから)を確認することにも繋がる気がする。
また他競技との違いがわかりやすく提示されることで>>1(+スレタイ)のようなズレた批判をする人間やそれが正しいと誤解をする人間も減るだろう。
ただし、現状では剣の競技は剣道の寡占市場なのはその点申し訳ない(?)とは思うけれど。
0119名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 20:15:18ID:Tv5hRgi8
>>112
統一的な考しかもたない、独創的な考えが無い、日本古来の柔軟性のない剣道家。

俺にいうだけ無駄だな。
0120名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 20:32:18ID:Tv5hRgi8
>>117
他の競技には無い、良くも悪くも独特の日本文化だと思う。

剣道競技で勝つことだけを、求めるならば必要ないし。

しかし、強さだけではない、年月を積んだ剣道個人の深みというか実積を
評価するという点では良いのであはると思う。
0121名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 20:34:39ID:Tv5hRgi8
×良いのであはると思う。
○良いのであると思う。
0122名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 20:58:53ID:Tv5hRgi8
他人の意見(体系付け)を聞くとゆう事も、大切だと思うが。

他人の意見(体系付け)に陶酔するのは・・・(大多数の日本人
・群れ好き日本人)進歩がないね!

何事も進歩は、少数意見から・・・。




0123名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 21:28:58ID:b0jyqgBe
>>117
>元々面を斬りつけるという特定の攻撃をピックアウトしてその上に
>醸造された文化を保持している訳だから、それに対して価値観が
>硬直化している、もっと多様な価値観を、という提言は
>不適当なのではないだろうか?

>しかし、それを「剣道のルール上で」実現しようというのはどのような
>価値があるのか、意図があるのか大いに疑問だ。
>剣道側から見れば「武道として成立した剣道へのメリット/デメリット」と
>言っても良い。ルール改定ののち、どのような立ち合いになるのか
>精査する必要がある。



当たり判定などルール上の問題だけではなく(それは問題のごく一部に
過ぎない)、全体的な価値観・評価基準の単一化が進んでおり、
むしろそちらがより重大な問題だと思う。

ルール上問題なく勝っている勝者に対して激しい批判が向けられるのも
そうだ。去年の全日本の優勝者が決勝で決めた「かつぎメン」について
「子供達に悪影響を及ぼすおそれがある」などと評されていたのも、
そのような単一化の例といえる。許容範囲がどんどん狭くなっている
のではないか?

もっとロングスパンで考えれば、外弟子だけで何万人も存在すると言われた
中山博道の流れを汲む系統が、全日本などの表舞台からほぼ姿を消した。
流れを汲む中倉清氏が死ぬまで激しい批判を受けたり、中村藤雄氏を通じて
間接的にではあるが影響を受けている宮崎正裕氏が同様に激しい批判に
さらされたのも上記のような流れの出来事といえる。
ルール上、彼らの剣道が特に問題があるとは思えないが、そのようなことも
実際あるわけだ(思い込みだろうか?」。

そのような全体的な価値観・評価基準の単一化の流れの中で
起こっている出来事はそれこそ枚挙に暇がない。
技術的にもほぼ消滅しつつあるものも覆いのではないか?

文化の保持というなら、そのような現状をどのように評価するのか?
繰り返すが、当たり判定などルール上の問題はそのような現状の問題の
ごく一部に過ぎないと思う。
0124名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 21:30:15ID:b0jyqgBe
覆い→多い
0125名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 21:47:56ID:Tv5hRgi8
2007年全日本剣道決勝戦、担ぎ面が決まりました。

あっと審判団から物言いがつきました。

なんと!子供に悪影響がある技であると認定されましたので、再度試合再開です。

てな具合か?
0126名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 21:53:20ID:Tv5hRgi8
2007年全日本剣道決勝戦、延長が長引き、明日再戦となりました。

もう一度、有効技を確認するようにと担ぎ面の人に通告されました。
こんな感じかな?

剣道批評家の人が子供に悪影響及ぼすと思うがな。
0127名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 22:12:50ID:Zrvq5JXY
>>123
剣道に批判的な人が結構いるってのはそういうことなんだよね。

勝者にケチをつけるというのは、武道の世界でも、スポーツの世界でも
ありえない話なのに、剣道界ではそれを諌めるような人がいない(笑
ルールに不備があるなら、改正しましょうかという話になるはずなんだけど
そういうこともせずに、ただ批判するだけなんだよな。

それを恥ずかしいとも思わない姑息な人たちに「精神」とか語って欲しく
ないわけよ。
0128名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 22:32:52ID:b0jyqgBe
>>127
>それを恥ずかしいとも思わない姑息な人たちに「精神」とか語って欲しく
>ないわけよ。

批判が的確なものならまだいいのだが・・・

ここで個人的疑問。
剣の術理とか理合というものがあるとして、上記であげた激しい批判に
さらされた人たちはそのような「理合」から外れていたのか?
また彼らに対する批判の根拠となった「正しい剣道」は「理合」に
そっているのか?
0129名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 22:49:29ID:OXO9p6Qe
>>128
剣の術理とか理合ってのは、端的にいうと「斬られずに斬る」ということで
批判された人はむしろ、剣を理解している人たちなんだよな。
だから剣道の試合でも強い。
強いがゆえに嫌われ批判される(笑
だから、剣を知っている人たちからは、剣道は竹刀競技だと言われちゃうわけ。

適切かどうかわからないけどボクシングに例えて話をすると
現代剣道は、足を止めて打ち合うのが正しく、それ以外は汚いと考える感じ。
きちんと正面を向いて打ち合えと言う。
古流や古流の流れを汲む剣道の一派は、フットワークを使い、相手の攻撃を
かわしながら、パンチを打つ実戦スタイル。

戦えば技術的には後者のほうが優れているわけで、ルールにも違反していないん
だけれども現代剣道はそれがおもしろくない。
だから「剣風がどうこう」と批判しちゃうわけよ。
0130名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 22:56:47ID:b0jyqgBe
>>129
>剣の術理とか理合ってのは、端的にいうと「斬られずに斬る」ということで
>批判された人はむしろ、剣を理解している人たちなんだよな。
>だから剣道の試合でも強い。
>強いがゆえに嫌われ批判される(笑
>だから、剣を知っている人たちからは、剣道は竹刀競技だと
>言われちゃうわけ。

現代剣道で誰かを批判するとき、「当てっこ剣道」という言葉を
使用するときがあるけど、「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、
むしろ「当てっこ剣道」、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
理合にかなうのかもしれないね、極端な言い方だけど
0131名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 23:27:49ID:R5tOVq/6
>>123辺りが言ってることは大方正しいと思うが、剣道批判の根拠が「当たり判定」でないのならこのスレッドのトピックからは外れるのではないかと思うのだが。

ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した経験が少しでもあれば分かるのでは?
左手を中心に残した、正しい担ぎ面は何ら問題のない技だし全日本優勝者が決めたのもそのような技だと思うが(資料がないので分からない)、
子供が真似をして左手を正中線から外して斜めに振りかぶる変な癖がついてしまっては良くない、まずは正中線を通した基本の技を見につけてから、
というのはいかに中村先生やその門下の方とてその通りだと仰ると思う。(剣先が開いていて中心を取っていないように見える構えでも、左手は正中線を通して中心を押さえている。勿論宮崎選手も同様)
教育的見地から、特定の技は癖がつき易いから使いすぎないように、というのは何ら間違ったことではないだろう。担ぎ面は応用的な技だし。
もし、全日本優勝者の技がその瞬間だけでも左手が中心を外れるような打ち方をしていたのなら、それは子供に真似させるべきではないと思う。
ちなみに批判はあっても剣道に取り直しはないのでご安心をw そこは競技だから、審判の旗がどう見ても間違っていると分かっても結果は取り消されない(と思う)。

何だか、「現代剣道」という実体の無いものが批判されているようだがその実物は例えば古流とどう違うのだろうか?
「斬られずに斬る」という発想からなる高度な動きが存在するのは確かだが、例えば自分が剣道を始める子供に対して「斬られずに斬れ」というアドバイスをすることは無いと思う。
相手の攻撃を避ける、防御するということの前にまず自分の打ち所・捨て所を捉えて全身で打ち込むということを覚えてからでないと何も出来ない選手に育ってしまう。
「斬られてもいいから斬る」ということすら完璧に実現するのは物凄く難しいことで、それなりに剣道をしてきた自分でもまだまだ成らせることが出来ない程だ。
「斬られずに斬る」ことが出来る選手はその土台としてそういうことがしっかりと出来ていて、その上で「斬られずに斬る」動きが出来るのだと思う。
これは想像に過ぎないが、中村先生のかの言葉も宮崎選手だったからこそ与えられ、生かせる叱咤だったのではないだろうか。
何も知らない者が「斬られずに斬る」をやろうと思っても「当てられずに当てる」、相手の打ちを避け回るばかりの剣道になってしまう。
教育的見地から見るなら避ける剣より打ち込む剣、担ぎ面より正面打ち、そういったことを奨励するのは間違ってはいないだろう。
剣の操作の基本を大切にしよう、ということが「現代剣道」の正体ならば、それは充分に剣の理合に適ったことである。
ただ、奨励の手段として選手の特殊な動きをただ批判するのはやはり適切でなく、「基本が出来ているからこのような動きも出来るんだ」という段階をしっかりと踏まえた解説と教育をした方が良いように思う。
応用だけを追い求める者は何でも大成しないが、基礎を固めた上での応用は価値のあるものであり、応用を禁忌として封じ込めるのは確かに「価値観の硬直化」だろう。その点の「現代剣道」の実践者の横着は否定出来ない。
0132名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/15(火) 23:48:33ID:R5tOVq/6
>「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、
>むしろ「当てっこ剣道」、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
>理合にかなうのかもしれないね、極端な言い方だけど

>>130氏がどれだけの剣道のキャリアをお持ちなのかは分からないが、例えばこれは(>>130氏が剣道の基礎をしっかりと身につけている方なら違うが)
「斬られずに斬る」を奨励した場合に生ずる弊害の一つだ。
仰る通り、極端に過ぎるし本質的に間違っていると思う。
もし、>>130氏が剣道をあまりやっていない方ならば是非その理念で剣道をやっていただきたい。
何も出来ないことが分かるだろうからだ。
少なくとも、これから剣道を始めようとする小学生や中学生に対して、かのようなものが「剣の理合」だと教えることは非常に危険だ。
そして、それを「理合」として剣道を始めても宮崎選手のような選手は絶対に生まれ得ない。
私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。
斬られたくないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が常に伝え続けているところで、やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。

但し、現代剣道の問題点もそこに同時に浮かび上がるのであって、捨て身の打ちの前提が「そうでなければ斬られる」からであるところ、
剣道では捨て身でなければ斬られえても一本にならない=負けないため相手に斬られることを軽く捉えてしまいがちだ、という点だ。
それこそが、「相手に打たれても先に当てていれば良い」という意味での当てっこ剣道の横行であって(当てっこ剣道という言葉も多義的ですね)、
相手より先に当てられれば中心を、相手の剣を殺す「攻撃は最大の防御」たる打ちになっていなくても良い、とする動きの横行である。
剣道が、少なくとも後に打った方を勝者とすることは出来ないからこそ、このような当てっこ剣道に対しては剣道の本旨忘れるなかれ、と警鐘を鳴らすしかあるまい。
0133名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 00:19:53ID:JuakNJnj
考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」という言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。
決して「斬られずに斬れ」と仰っているのではない。現代剣道のルールを奇貨として剣の本質を忘れるなかれ、というメッセージだろう。
そしてもう一つ特筆すべきは、既に指摘した方もいるがこれが剣道日本の記事であるということ。
剣道日本は間違いなく「現代剣道」の場となっているジャーナルだ。
それが、「中村先生の思想を批判する」という立場にたっている、という前提は記事が掲載されたという事情それだけでも無理があるように思う。
剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのはそれが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって当然の反応なのだろう。
このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられているように感じる。
また、どちらの解釈に分があるかという客観的根拠に於いても上に書いた趣旨として捉える立場の方が、厚い。
0134名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 00:51:46ID:T5rsAVGK
>>131-132
>ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した
>経験が少しでもあれば分かるのでは?

「かつぎ面」といえばその質を問うことなく全否定する画一的態度を
批判しているだけで、貴方のいう教育的効果については否定しない。

>相手の攻撃を避ける、防御するということの前にまず自分の
>打ち所・捨て所を捉えて全身で打ち込むということを覚えてからでないと
>何も出来ない選手に育ってしまう。

私もそのように教えられたし、剣道を人に教えるときにはそのように説明
している。捨て身の技の大切さは承知した上で、しかし、防御から
教えるやり方もありえるのではないかと思うようになっている。

ボクシングでも、殴る技術を教える前に殴られない技術を教えるところも
あるようだ。確かに防御偏重でやっていると攻防のバランスの崩れた剣が
出来上がってしまうだろうが、それは攻撃偏重の場合でも同じことだ。
要は偏重の状態にならないように、初心者に対しては指導者がコントロール
する必要があると思う。
それは、ボクシングなどの場合、セコンドがやっているよね。
0135名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 01:10:39ID:JuakNJnj
>>134
バランスの問題に関しては確かに別の視点として考えられますね。
剣道は、あらゆる格闘技に比べて先手必勝、攻めろ攻めろと教えられる攻撃偏重の文化であることは否めないと思いますし、
それが剣道の価値観であるところは恐らく揺るがないのでその点、全体として何かバランスを欠くという指摘は充分可能でしょう。
(完全に余談ですが、そのような攻撃偏重の思想が戦時に軍国主義に於いて利用されてしまったという面もあります)
やはり、剣道が攻撃偏重であるからこそ剣道で結果を残したければまず先に攻撃を勉強するのは当然の流れなのでしょう。(「剣の技法」としての是非はともかくとして)
ですから、「剣道をする」ならば防御とのバランスを考えることよりもきちんとした打ち込みを先に教えることが徹底されていますし、剣道で結果を出す選手たちも皆(というか剣道をする者は皆、かも知れませんが)そのような稽古で錬を高めていますね。
結果、それで「攻撃偏重」となることも無いと思います。(剣道自体が攻撃することを是とするため当たり前ですが)
考えてみれば剣道の稽古は攻撃ばかりです。防御的な部分は足裁きくらいで(だからこそ差がつく部分ですが)素振りから始まって切り返し、基本技、打ち込みと攻撃を叩き込まれますね。
それは剣道をやるからには避けられない宿命なのかも知れません。>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的にはどのような稽古法なのでしょうか?

別に、私は攻撃>防御という価値観を強烈に支持しているわけではない点は誤解なきようにお願いします。
ただ、剣道という文化を見ると攻撃偏重はそれ自体の性質であるということ、加えて宮崎選手や中村先生もやはり攻撃を主体とする剣道の文化の中で練成し、己の剣を切り開いていったのであって
全く別のストリームから生まれた者ではない、ということを指摘したいに留まります。
「実戦なんだったら攻撃よりもっと防御を大切にした方が良いのではないのか?」
という指摘は全くそのとおりだと思いますし、その点「剣道は実戦では防御が弱い」という指摘もかなり幅広く妥当するのではないかと思います。
勿論それは、剣道という枠組みを飛び出した上での話ですが。
0136名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 01:11:06ID:T5rsAVGK
>>133
>考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」と
>いう言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。決して「斬られずに斬れ」と
>仰っているのではない。

防御偏重で腰のひけた剣がダメなのは当然の前提だろう。
>>54で引用されているそれらの言葉の意味は、真剣を扱うことを前提に
するのであれば、相手の竹刀を体に触れさせないようにしなければならない、
としか読めないのだが。

>剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのは
>それが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって
>当然の反応なのだろう。
>このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられている
>ように感じる。

>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している
ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。>>73が指摘して
いるように、剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず
なのに断絶している部分が大きいから、>>54のような表現になった、と
考えているのだが違うのか?  
0137名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 01:33:34ID:T5rsAVGK
>>135
>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的には
>どのような稽古法なのでしょうか?

とりあえず思いついたものを考えると・・・

まず基本的な足捌き(フットワーク)は最重要だろう。
その上で効率的なよけ方を学ばせる。足でかわす、竹刀でかわす、それぞれの
場面において、次の場面につながりうるようなよけ方を学ばせる。相手が連続
して攻撃してきた場合はどうするか、距離をとるのか、懐にとびこむのか、
相手を打つのか、それぞれの状況に応じて考えていくと。
あと、安全でかつ次の展開につながる距離のとり方(非常に難しいが)。

その中で、防御偏重になったときにはかえってつけ込まれやすいことなど、
必要事項を適宜入れていく中で攻撃についても意識を向けさせ、防御と
攻撃のバランスを失さないことが重要であることなどを理解させていく。

防御から入る体系を作るには、セルフディフェンスを流派の目的としている
柔術の体系なんかを参考にすると面白いかもしれない。

とりあえず、こんなところ。
0138名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 01:34:06ID:JuakNJnj
>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している
>ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。

恐らく、その「全否定ではない」という部分が肝なんだと思います。
私が書いたのも、やはり現代剣道の一部分の批判ですね。(現代剣道、は特定の内容ではなく現代行われている剣道、という意味です)

「この発言があるから、剣道なんてやってもダメなんだ」
「つまり剣道の当たり判定で稽古をしてもダメなんだ」
そのように解釈する者がかつていました。(今はどっかいったかと思うと夏蝿のように湧いてきますw)
また、「それゆえ剣の理合=攻撃<防御だ。当てっこは理合に適う」という趣旨で捉えるのもやはり間違いだと思います。
「剣道の攻撃偏重の中でも、竹刀は刀であることを忘れてはならない」ということ、即ち私が書いたところの当てっこ批判と同じですが、それを意味する趣旨と解するのが自然ではないでしょうか?

また、
>剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず
>なのに断絶している
という点について、では通じるはずなのに何故断絶していると考えますか?
>>73氏は意図的に排除したかのように書いていますが私は違うと考えます。
一つは、「斬られずに斬る」が実戦的であり、実戦では防御と攻撃のバランスも重要視されるところ剣道は攻撃を是とし特化する武道であるため、
攻撃の理合の前に防御の理合が相対化する、ということを>>73氏は理解していないということ、
それに加えて真剣の術理でも攻撃はかなりの重要性を占めていた(というのは文献からしか推察できませんが。)点で、>>73の「剣の術理」に対する理解が不十分であること、
つまり、現代剣道にも剣の術理(特に攻撃面)は充分伝わっていながら>>73氏はそれを理解できていないというのが真相かと思います。
しかし、現代剣道に伝わるべき、伝わってしかるべき術理というか、競技としてのルール上は必要ないがそれでは剣の攻撃の術理を体得するものとして真っ当できない、というのが
中村先生の仰る忘れてはならないこと、現代に於ける相手に打たることを軽視するという捩れへの警鐘なのでしょう。
そのように解することで、全てが論理的に素直に繋がっていくと思います。
0139名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 01:45:03ID:JuakNJnj
>>137
なるほど、確かに防御方法をバリエーションをつけて意識的に練習することは効果的な気がします。
ただ、相手が打ってくることが分かったならその機先を制して打つ、というのが剣道のオーソドックスな戦法なので
まず防御ありきではなかなか一本を取れる選手には育たないかも知れませんね。
(どちらかというと、選手云々というよりは剣道に対する防御法の指導という感じなのかもしれませんが。。)
打ってこない相手だと思ったならば打たずに攻めて苦しくなったところの起こりを叩く、という感じで処理されてしまう気もします。生半可な攻撃は隙を生むだけですし…
打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることも考えると、失礼ながら防御を以って攻撃の代を為す、という程の変革を起こせるものではない気もしてしまいました。
やはり「剣道」の稽古法としては苦しいのではないでしょうか?と言っても仕方ないですけど。
ご意見ありがとうございました。
0140名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 01:56:15ID:T5rsAVGK
>>139
初心者に対し攻撃・防御のどちらから入るか、どのような教え方をするのか、
という話だから、上のような説明にした。
打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることは承知だが、
どのような教え方をするにしろ、そのあたりはかなり上級で教えてできる、
というものでもないしね。

ただ、現代剣道の攻撃を是とする思想を相対化すべきではないかと
個人的には考えているので、あえて書いてみた。

現代剣道は隅から隅まで独自の価値観・思想で固まっている。
それ自体は悪いことではないが、その中で失われたものがあるというのは
上で書いたとおりだ。その文脈の中で中村藤雄氏の発言もとらえるべきと
思う。
0141名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 02:07:16ID:JuakNJnj
>>140
そうですね、結論として思うところは似通っていると思います。
陳腐な言い回しですが「真剣同士の戦いの緊迫感」みたいなものは相当相対化されていますし。
その中で、剣道人として何をしていくべきか中村先生の言葉をどう捉えていくべきかを考えると、
真剣ならばどうなるのか、といったことを年頭に置きつつ剣道をしていく中で「失われたもの」を追求していくことなのではないかと思います。
ルールに依存することなく、正しい、目指すべき一本とは何なのかを考えることもその一歩であると思います。

長々とありがとうございました。
0142名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 02:20:44ID:T5rsAVGK
>>141
こちらこそ、ありがとうございました。
0143名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 04:07:25ID:9YWNTIZ2
>>132
>私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を
>紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として
>教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。
>斬られたくないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が
>常に伝え続けているところで、
>やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う

おいおい、本当に「五輪書」読んでるのかよw
五輪書地之巻には
 『武士の兵法を行う道は、何事においても人にすぐれるところを元とし、あるいは
 一身の斬り合いに勝ち、あるいは数人の戦いに勝ち、主君の為、我が身の為、
 名を上げて身を立てんと思う。これ、兵法の徳をもってなり』
とある。
分るよな?
武蔵は「どんな状態でも人に勝つのが兵法である」と説いているわけ。
相手の人数が多くても勝たねばならない。
それを
 『太刀の徳を得ては、一人にして十人に勝つことなり。一人にして十人に勝つなれば
 百人にして千人に勝ち、千人にして万人に勝つ。然るによって、わが一流の兵法に
 一人も万人も同じことにして、武士の法を残らず兵法というところなり』
と伝えている。
一人で十人を相手に斬られずに勝つのが武蔵の言う「兵法」なわけよ。

捨て身どうこうってのは、剣道が一対一のスポーツだから出てくる発想であって
いわゆる「剣の理合」ではないの。

ちなみに沢庵の「不動知神妙録」では
 『例えば、十人にして一太刀ずつ我へ太刀を入るるも、一太刀を受け流して
 跡に心をを止めず、跡を捨てて拾い候はば、十人ながらへ働を欠かさぬにして候』
と教える。
つまり、相手が多い場合でも、特定の相手に拘らず常に一対一で受け流していけが、
スキを見せずに十人を相手にできるということな。
「捨て身」というのは、一人の相手に拘ることになるからダメなわけ。
0144名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 04:28:00ID:9YWNTIZ2
>>132
ついでに新陰流の「殺人刀」では
(現代語に要約すると)
 人に一太刀浴びせるのは容易い。人に斬られぬことは難しい。
 相手は斬ろうと思って打ち付けてくるが、身に当たらぬ間合いを熟知して
 驚かずに、あえて敵に打たせる。
とある。
そしてこう続く。 
『敵は当たると思ふて打てども、つもり(間合い)あれば当たらぬなり。
 当たらぬ太刀は、死に太刀なり。
 そこをこちから越して打って勝つなり。
 敵のする先は外れて、我かえって先の太刀を敵へ入るなり。
 一太刀打ってからは、はや手をあげさせぬなり』

つまり敵の「先」の一撃をかわすことで、逆にこちらがファーストストライクをものに
することができると教えているわけ。
「斬られずして、斬る」というのが「剣の理合い」というのは常識だと思うぞw
0146名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 12:07:23ID:sDUkmEAX
すまん、誤爆したw

>>144
葉隠も読もうぜ!
しかし「剣の理合」っていうのも色々あると思うな。
素肌剣術で武芸者として生き残っていこうと思うならまず斬られないように、が大切だったと思う。一人対多人数とかも攻撃動作は最小限にせざるを得なそう。
斬られないで生き残っていく中で技が磨かれていくとするなら、それこそボクシングの話のように防御から先に教わることもあったのかもしれないね。
0147名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 15:03:45ID:6FzMtVY4
今まで見てきて一番有意義なやり取りが成立した気がするがトピックからするとどちらの立場からもさほど結論は変わらないようだな。
剣道の価値観は実戦そのものではない。剣でのやり取りの一部分をフォーカスして、現代ではその精神を人間としての生き方に沿え高めていこうとする文化。
当たり判定が不自然だ、という批判はそのような剣道の性質を理解していないからそう見えるだけ。攻撃偏重の価値観が肌に合わないなら余所へ行けば良いし誰も止めない。
そのように剣道が文化として、また競技として実戦の要素を切り落としながらもなお剣の道であろうと足掻く矛盾からこそ競技としての歪みも生まれる。
そのような足掻きをどう評価するかは人それぞれなのだろう。

剣道なんて150年の歴史も持たない競技、その内容や取り巻く環境も戦前戦後、現代とどんどん変わっている。
また数年程経ったら剣道を巡る議論や環境も全く違うものになっているのかも知れないな。
柔道のように国際主義の中で合理化・定式化の波に揉まれて剣道としての本来の姿を著しく見失ったものにはなっていないでくれと、現代の剣道家としては願うばかりか。
何が「正しい剣道」なのかは誰かが決めて押し付けるものではなく理想的には個々が考えるべきことだから、剣道日本のようなジャーナルで様々な剣道を紹介し、比較議論するような試みがもっとあっても面白くなるかもしれんね。
0148名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 16:19:45ID:jEltKim1
>すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
理合にかなうのかもしれないね

宮崎氏の剣道、合理的な剣道だと思う。だから6度も日本一になれたと思う。

>やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。

実力の低い人が、実力の高い人に使う打ち方だと思う。
実力が接近したもの同士では「捨て身の打ち」は使うべき打ち方ではない。

0149名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 17:21:02ID:J3I1o/KE
虚実を読めなきゃ防御もクソもないかと。

一年くらいやってりゃどんな防ぎ方すればいいのかなんてわかるだろうし。
学ばなきゃいけないのはどう防ぐか、よりどこを撃ってくるかだろ
0150名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 17:22:14ID:J3I1o/KE
虚実を読めなきゃ防御もクソもないかと。

一年くらいやってりゃどんな防ぎ方すればいいのかなんてわかるだろうし。
学ばなきゃいけないのはどう防ぐか、よりどこを撃ってくるか、だろ
0151名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/16(水) 18:21:32ID:ls3rkbW0
もう、お互いに噛み付くのは止めないかい。
剣道には剣道の良い所があるし、剣術には剣術の面白い所がある。
これが分かっていて、お互い尊重し合える者同士で、オフをすると
それはもう、とても面白いもんだよ。
0152名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 05:23:17ID:9G9oD3FK
>>151
剣道屋やしったかが多いからね。
デタラメな理論で長文書いてるようではガキと同じで話にならない(笑
0153名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 11:19:57ID:OhUzeq5r
>>152
お前の脳みそが足らないだけだろwww
0154名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 12:58:01ID:kjPk0fLe
>>147
>剣道が文化として、また競技として実戦の要素を切り落としながらも
>なお剣の道であろうと足掻く矛盾からこそ競技としての歪みも生まれる

そういうこと。
時代環境の問題で、技術も精神も徐々に変形していったのだろう。
実戦的技術といっても、それを使用できる時代環境がなければ、そのような
技術が育ちにくいのは剣道に限ったことでもない。

ただ、それなら競技に特化した技術・価値観が大勢になるのが自然なのに、
「正しい剣道」に代表されるような競技への特化を阻む価値観が多数派で
あるところに剣道の特殊性がある。
それも平和な時代における付加価値のつけ方の一つといえようか。
0155名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 14:53:59ID:9G9oD3FK
>>153
こういうレスを見ると、剣道をやってると精神が歪むのかなと思う。
0156名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 17:59:01ID:OhUzeq5r
>>155
絶対お前みたいなバカが湧くと思ったwww
例えば、お前が人に石投げてお返しに突き飛ばされたら
それはお前に原因があんだろ?他人に対してバカな事言えば
存在を否定されるのは当たり前だろが。タコwww
0158名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 22:41:36ID:i+P8mcFp
「正しい剣道」なるものが競技への特化だけでなく、
博道の系統までほぼ全滅に追い込む態度が問題なのでは?

相手の剣風にまで注文をつけるようじゃ、外国に負けて当然だわな。
0159名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 23:37:50ID:kjPk0fLe
>>158
>「正しい剣道」なるものが競技への特化だけでなく、
>博道の系統までほぼ全滅に追い込む態度が問題なのでは?

中山博道氏の系統だけではなく、他の系統に対してもそうだと思う。
多分に政治的なものだ。

>相手の剣風にまで注文をつけるようじゃ、外国に負けて当然だわな。

というか、「正しい剣道で勝たねばならない」という自縄自縛に
かかっているのではないかと推測するが・・・。
0160名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 23:38:31ID:0uLLRKXT
>>158
それは言えてる。
確かに、ルールの中での強さを追求する方向なら、それもアリだと思う。
競技ってのは本来そういうものだから。

ところが現代剣道は、ルールの中で強さを発揮しても、「剣風」なる曖昧模糊とした
ものを持ち出して批判をすることをはばからない。
この体質こそが問題だわな。

外国人には「剣風」なんて関係ないから、(剣道の試合での)実戦的な強さを求める。
不合理な「剣風」に染まった日本人は負ける。
0161名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/17(木) 23:53:20ID:0uLLRKXT
>>159
現代剣道は、「正しさ」を勘違いしているんだよな。

現代剣道の言う「正しさ」というのは単なる「格好重視」でいわばファッションと
言ってもいいもの。
本来、スポーツ(競技)においては、ルールの中で相手に勝利すること。
これが最優先であるべきで、勝利したものが「正しい」という価値観であるべき。
(でないと競技の意味がない)

つまらなかろうが、少々格好が悪かろうが、それは個性として認めるべきものなんだな。

例えば剣術には数多くの流儀があり、かなり異端的な技を使う流派もあったが結局は
淘汰されていったわけだ。
剣道においても、異端的な動きや構えは、その実力をもって淘汰するべきで、勝敗が
ついてから剣風がどうこうとぐだぐだ言うべきではないし、そういう批判は恥ずかしいと
考えなければいけないだろう。
0162名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 00:06:00ID:47gDeyvr
>>161
>現代剣道の言う「正しさ」というのは単なる「格好重視」で
>いわばファッションと言ってもいいもの。

厳しい表現だねw
ま、自分たちの世界の権威ある大会で6回も全国優勝した人間に対し、
剣風うんぬんで批判するわけだから、そういわれても仕方のない面は
ある(それには、現代剣道の持つ思想ゆえ、という理由はあるわけだが)。
そのような態度は勝者を貶めるだけでなく、結局は自分たちの看板にも
唾を吐くような行為だと思うのだが・・・。
0163名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 00:35:29ID:47gDeyvr
ある剣道関連のスレで宮崎正裕氏について、「騙しと打たせないことに
専心しているのが残念だ」との書き込みがあって驚いたことがある。
あのレベルで、「騙しと打たせないこと」だけで勝ち続けることができるか
否か、普通わかると思うのだが・・・。

「正しい剣道」を是とし宮崎氏には「汚い剣道」とレッテルを貼る
「教育」が2ちゃんの書き込みにまで及んでいるわけだ。
これは、かなり恐ろしいことだと思うのだが、どうだろう?
0164名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 05:18:45ID:qpJOENAR
>>163
その辺は価値観の差なんだろうね。

剣道家の視点でみると「打たせない技術」というのは、卑怯に見えるらしいんだわ。
現代剣道は、少々無理してでも攻撃したほうがカッコイイみたいな風潮があって
相撃ちスレスレで一本取るのがエクセレントらしい。
要するに、正面からの打ち合いで、一寸ほどの間合いのやり取りするのが、
彼らの言う「すばらしい剣風」なわけだ。

「斬られずに斬る」という古流剣術の基本概念から見ると、相撃ちは下手のすることで
確実に一本入る体制にもっていくのが、上手いやり方となる。
現代剣道家はこの辺りの概念が理解できない。
本当は理解しているんだけど、それも認めちゃうと彼らの「正しい剣道」が否定されるので
いわく「異端である」「落ち着きがない」「勝ち負けにこだわりすぎる」「子供の教育によくない」
「剣風が卑しい」などと批判してしまうわけで。

これは特定個人というよりは、実は剣道界全体の風潮なんだよね。
0165名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 09:06:47ID:KzhJtmba
なんか論外な話が続いてるな
剣道にあるのは別にファッションでもなんでもない
一番わかりやすい形で武士道の思想を残すものだ
フェンシング発祥の地フランスにも騎士道がある
フェンシングは国際競技だから柔道同様徐々に形を崩しつつある

仮に剣道に猫背の剣風があったとしたら、それはすでに異種格闘技だ
高潔な精神性を文化の根幹に据えているのに、試合の勝敗に拘って
本質を省みないから反発を受ける事が解らないんだな

駄目だこいつら外皮しか見えてねぇ
0166名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 10:22:19ID:TZrzPPK2
剣道と剣術は求めてるものが違う。
思想によって動きが変わるのは当然の事。
剣道の試合で剣術のような動きをすれば異端視されるのも当然の事。
0167名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 10:37:02ID:e/KNkyvX
>>158>>164
中山博道氏は知らないけど、なっとくだ。

>>仮に剣道に猫背の剣風があったとしたら、それはすでに異種格闘技だ
頭が固いな。

>>高潔な精神性を文化の根幹に据えている
これが剣道の本質か?精神性のみを重要視する剣道家は、間違いなく剣道の試合は弱い
のだろうな。

剣道が強い弱いは確かに関係ないけど。
剣道が弱いが剣道が好きだから、こうゆう本質を作り出すのだろうな。

だから自由に剣道をしたい者にはやりにくい。





0168名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 10:51:38ID:e/KNkyvX
>>相撃ちスレスレで一本取るのがエクセレントらしい
俺は、これが嫌い!しかしこれを求められる。

>>確実に一本入る体制にもっていくのが
これが好き!

俺は、自分勝手な剣道なんだって。。て言われた。

4●才リバケンオヤジ

大人と稽古するより、中学生や高校生と稽古した方が自由にできるから面白い。
0169名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 11:23:46ID:jdRsD9Oa
古流剣術に刀投げ飛ばす技があると知った時は愕然としたな。
今の剣道とはかけ離れ過ぎてて最早比べる対象ではなくなってると思ったよ
0170名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 13:47:11ID:47gDeyvr
>>165
>剣道にあるのは別にファッションでもなんでもない
>一番わかりやすい形で武士道の思想を残すものだ
> 仮に剣道に猫背の剣風があったとしたら、それはすでに異種格闘技だ

姿勢が一定の型になっていなければ武士道の思想を表しているとは
認められず、猫背であれば既に異種格闘技であり剣道ではないと?
それならば、一定の型であるか否かが重要なのだから、>>161の言うように、
現代剣道は「格好」重視、ファッション(型、様式という意味がある)重視、
ということで正解になる。>>165は、>>161を批判しようとして、>>161
意見を認めてしまっている。

>>165は、自分が何を書いているか理解していないし、それ以前に、
>>161が何を書いているかすら理解できていないように思われる。

>なんか論外な話が続いてるな
>高潔な精神性を文化の根幹に据えているのに、試合の勝敗に拘って
>本質を省みないから反発を受ける事が解らないんだな
>駄目だこいつら外皮しか見えてねぇ

相手の文章を読めてない人間が、掲示板で相手と議論するのは論外だし、
高潔な精神性とやらが理解できているとも思えない。
外皮すらも見えていないと思われる。
0171名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 14:12:40ID:47gDeyvr
>>164
>「斬られずに斬る」という古流剣術の基本概念から見ると、
>相撃ちは下手のすることで
>確実に一本入る体制にもっていくのが、上手いやり方となる。
>現代剣道家はこの辺りの概念が理解できない。
>本当は理解しているんだけど、それも認めちゃうと
>彼らの「正しい剣道」が否定されるので
>いわく「異端である」「落ち着きがない」「勝ち負けにこだわりすぎる」
>「子供の教育によくない」
>「剣風が卑しい」などと批判してしまうわけで。

現代剣道でも、「打って勝つな,勝って打て」など同様の趣旨の言葉が
あるし、本来は共通するはずなのだが、後から接木された
「正しい剣道」の概念との矛盾が出てきているということだと思う。

>これは特定個人というよりは、実は剣道界全体の風潮なんだよね。

個人的には、「正しい剣道」の概念は戦後になって政策的に形成されて
きたものであると考えている。現に、中倉清氏が「変剣」というレッテルを
貼られるようになったのも戦後からであり、戦前にはそのような評価は
存在しなかったという。そもそも、戦前には各種剣道団体が並立しており、
それぞれの特徴をもって活動していたので、唯一絶対の「正しい剣道」など
存在しようもなかったと思う。
0172名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 14:52:07ID:8w60fUPx
GHQの策略だな。
01731512008/07/18(金) 17:11:30ID:sWjwAeJw
剣道は、ボクシングのようにルール内で戦う面白さかな。
あと、相手が参ったと言うような、相手の心を打つ最上の一刀
を追い求める道ってのは良いな。
剣術は、総合格闘技的なルール無用の何でもありの面白さだね。
技においては無限の可能性があるし、とりあえず、ガチな所がとても良い。

ボクシングと総合で争うのって、無駄じゃないかい。
どっちも面白いじゃないか。
0174名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 17:33:09ID:KzhJtmba
>>170
馬鹿なのか?
ファッションが思想か?形式か?
日本語の勉強からして来い
お前らが言う、新しいつもりの流行やらがファッションだろ?
言語障害か?
だからお前は長いだけで無意味な見当違い文章をばら撒いちまうんだ
自分を省みろよ
0175名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 17:35:45ID:gSiRVhhL
しかし剣道で剣道で一般的に使われる技意外つかうとなぜか邪道扱い。

中段以外の構えをすると何あいつ?みたいな、構え自体相当あるのになんで
中段しか認めない風潮が、上段はまだ許されるけど。
中段意外をするとふざけてると思われる。

変則的な動きや剣筋は予想しにくい、下段からの切り上げ篭手、胴とか
下段からの変則打ち自体は反応鈍るので防がれにくいけど
でもやると怒られる(’’; 
頭が固い爺どもばかりだぜ、精神や見た目だけでは相手に勝てないぞっと
0176名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 17:37:37ID:KzhJtmba
>>167
頭が固いというのと、理もわからず都合主義なのは全く別だ
細長い竹刀でも使ってみたらどうだ?
剣道が剣道ルールで弱ければそれは剣道が弱いと見てもいいが
剣道が、古流に対して何故強くなければならない?
無思想のちゃんばらに対して何故強くなければならない?
何を持って強いと?

そもそも、様式や仕来りを理解できないまま、あっちこっちとフラフラ
浮ついた思想でないものねだりしているその精神こそが弱いんだろ?

まあ解ってないとは思うが
0177名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 17:42:59ID:KzhJtmba
結論はこうだろ

剣道にしろ、どんな道にしろ、その門をくぐったが、一向に前に進めず
本質に触れることが出来ないままないものねだりに駄々をこねるその
弱い精神こそが「当たり判定」がどうのなどと吠える

心身を磨けば、そんなくだらないところに目くじら立てて食い下がらんだろう
精神的に弱すぎるんだよ、こいつらは
0178名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 18:31:09ID:e/KNkyvX
>>176
自分が何を書いているか理解していないし、それ以前に、
他人が何を書いているかすら理解できていないように思われる。

0179名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 18:38:23ID:e/KNkyvX
心身を磨けば、そんなくだらないところに目くじら立てて食い下がらんだろう
精神的に弱すぎるんだよ、こいつらは >>ID:KzhJtmba
0180名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 18:44:13ID:qpJOENAR
>>174
まずね「ファッション」というのは単純に服装や髪型を表現する場合もある。
流行のファッション、オールドファッションという使いかたも一般的だからね。
転じて「見た目だけを気にする」という使い方もよくあること。

剣道において、ルール上なんの問題もないのに「猫背を認めない」というのは、
単なる見た目重視ってことにすぎない。

剣道だけやってるとわからないかも知れないが、大抵の格闘技は、前屈(やや猫背)に
構える。それが動きやすく合理的な構えだから。当然、真剣を扱う古流でも剣を振りやすい
ように、肩甲骨をゆるく保つ為にやや猫背ぎみの構えになる。

ちなみに背筋を伸ばすと、重心の位置が後ろに下がるので、一歩遅れるし
背筋を伸ばした状態では、斬れない。
0181名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 18:53:44ID:qpJOENAR
>>176
>剣道が剣道ルールで弱ければそれは剣道が弱いと見てもいいが
>剣道が、古流に対して何故強くなければならない?

剣道ルールの中でも、古流の動きのほうが一枚も二枚も上なんだ。
合理的だから。
実際に古流の流れを汲む、宮崎氏や中倉氏は強かった。
現代剣道界は、それを「汚い」と批判し認めなかったけどね。

ルールの中で勝利したものを認めないような「剣道精神」ってのは百害あって一利なし。
0182名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 19:10:05ID:e/KNkyvX
>>181
剣道・古流剣道、俺には関係ないが
合理的だとゆうことは、大賛成だ。

競技に勝つには合理的とゆうことは、大切なことだ。

精神重視の剣道家の動きは、単調すぎて自分もある程度
合わせなくてはならないので、やりにくい。

面白みに欠ける。
0183名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 19:34:48ID:e/KNkyvX
>>180>>181

勝つための正しい理論だな。
もとプロスポーツ選手としての私の考えは!

腰か打突しろと、腰から頭は直線的に、背筋がつりそうになるし、
そんなの合理的なのか?

打突するスポーツは、すべて前傾姿勢だし。

陸上競技でも、瞬発力競技は、全て前傾姿勢なんだよ。

剣道も瞬発力が物をゆう競技なんだよ。

何が正しい、美しい剣道だ?
馬鹿馬鹿しい!!
0184名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 19:37:51ID:47gDeyvr
>>174
>馬鹿なのか?
>ファッションが思想か?形式か?
>日本語の勉強からして来い
>お前らが言う、新しいつもりの流行やらがファッションだろ?
>言語障害か?

>>180で「ファッション」の意味については指摘されているから、改めて
書くことはない。現代剣道は格好、見た目重視。馬鹿にしているわけでも
何でもなく、事実だ。>>170で指摘しているように、貴方自身があげた
猫背の例からもそれは明らかだ。

他人に馬鹿だの言語障害だの罵詈雑言を言う前に、まともに文章を読み、
書く練習をしたほうが良い。
0185名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 19:41:29ID:e/KNkyvX
俺も年で面までは、なかなか届かないが。

スピードある小手を微動だもせずくらいながら、
心折れる打突じゃないので関係ないだって?

微動だもせずくらったんだから、心折れろつーの。
0186名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 20:08:46ID:e/KNkyvX
剣道家は、50代・60代・70代と幅広く、運動能力のそんなに優れた
人達も少ないので、「正しい剣道」とゆう動きに統一性をもたせ、少なくして、身体能力の優れた
もの達への対抗手段なのだと思う。
0187名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 22:00:58ID:KzhJtmba
>>186
お前の場合結局剣道の本質がわかってない人間のせりふだ
浅瀬でパチャパチャやった程度だからそんなことが気になって仕方ないんだろう

剣道で姿勢というのはさまざまな意味がある
お前らのごねるだだは、下らない
0188名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/18(金) 22:04:03ID:KzhJtmba
あと、ファッションについて単語からして間違ってる
都合いいように言葉を歪曲するな

そういう姿勢だから都合いいように物事を歪曲したがる
つまり、本質に触ることが出来ない剣道を
都合よく理解した気になって歪曲しようとしてるだけ
つまらない人間が良くやることだ

剣道に限らず、何をやっても長続きしない、プライドだけは一人前の人間に
よく見られる習性だな
0190名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 01:04:41ID:XlB2fjSs
元に戻すにはまず「大会で優勝したいから稽古する」って意識を無くさなきゃ
ま、組織がデカくなりすぎた今からじゃ不可能ですな
0191名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 01:25:12ID:7ixYDRWg
>>181
>ルールの中で勝利したものを認めないような「剣道精神」ってのは
>百害あって一利なし。

同意。

宮崎氏の場合などでも陰湿な個人批判が、「正しい剣道ではない」との
理由の下に横行していた。「剣道日本」も酷かったが、もっと酷かったのが
「剣道時代」。「勝ってはいけない剣道が勝ってしまった」などという
題名の匿名の批判記事など、第三者がみても吐き気がするような
ネガティブ・キャンペーンを長いことやっていた。

そのような宮崎氏憎しの空気の中、PL学園監督の川上氏や恵戸孝吉氏など
数名だけが、まともな発言をしていた。特に川上氏は、宮崎氏が全日本を
連覇したときの雑誌その他の宮崎氏に対する常軌を逸した批判に対し、
「前人未踏の連覇の偉業をまずは讃えるべきであるのに、批判が
先に立つのはいかがなものか」と苦言を呈していたが、
しごく常識的な感覚といえよう。

「剣道精神」が上記のようなイジメの如き態度をとらせるのだとしたら、
正に百害あって一理なしといえる。
0192名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 01:36:54ID:WfKRKpEc
>>191
棒を振り回して、ルール内で試合に勝つことが剣道じゃないんだ
それは、部活とか、学校の入学者獲得目的であって剣道の真髄ではない

美学に反して出世する、
美学を無視して金儲けする
美学なくして試合に勝つ
それらは近道かもしれないが、誰もに認められるほど立派な実績にはなりえない

みんな近道がしたいから、こんなスレが出来て持論を展開するんだろうが
誰もが認める勝ち方をしないものは、旨くやって、負けることを回避できた者であって
誰からも評価される勝者ではないということだよ
そこさえ解れば、こんなくだらないスレも建つことはないのだが、
いかんせん人間というのは自分の未熟なる原因を他に求めたがる

いまさらながら思うが、真っ直ぐな努力が出来る人間というのは最大の才能を持つ
限られた人間だけが進める道なのだという事かな
0193名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 01:54:08ID:7ixYDRWg
>>192
>みんな近道がしたいから、こんなスレが出来て持論を展開するんだろうが
>誰もが認める勝ち方をしないものは、旨くやって、負けることを
>回避できた者であって
>誰からも評価される勝者ではないということだよ
>そこさえ解れば、こんなくだらないスレも建つことはないのだが、
>いかんせん人間というのは自分の未熟なる原因を他に求めたがる

笑わせる・・・。
宮崎氏は、人の何倍も努力して正当に勝利している。
それを「正しい剣道ではない」、「汚い剣道」などといって不当に
貶めるのは、それこそ自分の未熟な原因を他に求めたがる行動だ。

>いまさらながら思うが、真っ直ぐな努力が出来る人間というのは
>最大の才能を持つ
>限られた人間だけが進める道なのだという事かな

人一倍努力して正当に成功している人間を不当に貶めるのを、
世間では嫉妬という。嫉妬を屁理屈でくるんで自分を誤魔化して
いる人間は、「真っ直ぐな努力」などしていない。
0194名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 03:48:26ID:YPtq3FnJ
>>192
ルールの中で努力するのが「美学」だわな。
また相手のスタイルが気に入らないなら、実力で排除するのが「美学」

負けた側が勝者をけなすというのは武士道精神にも美学に反するだろう。
0195名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 03:55:34ID:7ixYDRWg
人一倍努力をして正当に勝利した人間に対し、さも汚いことをしたから
勝ったかのように言う、的外れに偉そうな態度・・・。

それこそ、まさに自分の未熟なる原因を他に求めたがる態度なのだが、
それに気づきもしない。まるでどこかの宗教団体の信者のようだ。
0196名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 06:31:49ID:WfKRKpEc
>>193
>>194
>>195

訳も解らず文句だけ並べたい人間だな
都合のいい例題を出さず、当たり判定が不自然という負け犬の遠吠えが
見当違いだと認められないのか?
はたまた認めると不都合なのか?

とにかくスレタイからかけ離れた例を出しながらも、スレのテーマが否定されることを
頑なに逃げ続けているだけの屁理屈並べは見苦しいけど?
0198名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 18:52:29ID:5or0w7zc
剣道で心と体を鍛えることができたら、「剣道の成功者」。
それに失敗した者は「剣道の失敗者」だ。
0199名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 19:55:51ID:7ixYDRWg
>>197
>すでにスレタイがメインテーマではないことにすら
>気付いていないのか・・・・?

気付いているが、現在メインテーマになっている話題には
触れたくないのかもね。

>>196
剣道には独自の価値基準があり、当たり判定にもその基準に照らして
それなりの一貫性があるとしても、宮崎正裕氏の事例のように、
その当たり判定の基準に従って行われた試合で正当に勝った人間を
「正しい剣道ではない」、「汚い」などと不当に批判するのは、
当たり判定を含めた自分たちの競技そのものを否定する行為だと思うが。

それこそ、当たり基準が不自然・不合理なのか、剣道の世界の価値基準が
不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。
0200名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/20(日) 20:01:25ID:7ixYDRWg
それこそ、当たり基準が不自然・不合理なのか、剣道の世界の価値基準が
不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。
              ↓
当たり判定を含めた剣道の競技そのものが不自然・不合理なのか、
剣道の世界の価値基準が不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況