100年以上、英語を“話せない”日本人

 英語学習で話したり聞いたりする練習を取り入れることには意味がある。
しかし、現状分析も欠かせない。
明治以来100年以上、日本人はずっとオーラル英語で苦労してきた。
どうして「なぜいつもうまくいかないのか?」と考えないのだろう。
日本人はせっせと海外で流行する方式を取り入れ、
教員や学校を批判し、制度変更も行った。
それでもだめだった。
変だな? とは思わないのか。
 日本語話者には英語習得が難しいのだ。この認識からスタートしなければならない。
特別メニューが必要なのだ。
英語教育の専門家には、安易な4技能均等幻想に乗せられることなく、
習得の順番や力点に気をつけた地道で合理的な学習法を普及させてもらいたい。
日本語の例を考えればわかるように、言語能力はもともと不均衡なもの。
個人差も、必要度の違いもある。
何より諸技能の分断よりも、連携に気をつけるべきなのだ。
学校教育で重視されるべきは、
単語や文法・構文の知識などの基礎部分をしっかり習得させることだろう。
それが大学や社会での「本番」に備える準備となる。
音声の活用も重要だが、型にはまったテスト漬けでは害にしかならない。
 優先度ということで言えば、筆者自身はもっと上手にリスニングを取り入れるべきだと考えるが、それはまた別の機会にゆずろう。
ともかくこの調子で安易な4技能均等看板や「ぺらぺら礼賛」に踊らされていたら、
こんどは振り子が逆にふれ、
「何で英語やるの?」「いらなくね?」という話になることは目に見えている。
私はそれは望まない。