>>275の続き
あらゆることに憔悴の色を隠せない氷川の暴力はエスカレートしていった。
それは三月十一日のことだった。
場所は鹿児島県の鹿児島市民文化ホールの楽屋。
前日、ファンから差し入れられた大好きなトマトをめぐって、後藤氏は問い詰められたという。
「椅子に座っていた氷川さんがおもむろに立ち上がって、『確認しろって前から言ってるだろ』と右手で私の顔をバーンと平手打ちしたんです。
『すみません、すみません』と謝ると、もう一発。訳がわからないまま、さらに一発。ビンタが何発続いたか、まったく覚えていません。
気づいたときには、私は楽屋の済まで追いやられていました」
まさにサンドバッグ状態。
そばにいたJ女史は制止するどころか、殴られ続ける後藤氏について「バカじゃないの」と冷たい一言を放ったという。
「いろんな感情がこみあげてきて、私はトイレに駆け込んで初めて泣きました。
もう限界だと思いました。楽屋に戻ると、Jさんが残っていて、『今日あったことは、親と部長には報告するな』と口止めされました。
命令に従わなければいけない自分が情けなかった
氷川の暴力は周囲の目も憚ることなく、次第に常態化していった。
「三月二十日、飛行機の中で氷川さんの言ったことが聞き取れなかったため、三十センチほどの金属性のつぼ押し棒で三発殴られた。
毛布をもう一枚もらえ、との指示だったのですが、エンジンの音でよく聴こえなかったのです。
横にいたJさんは見て見ぬフリでしたが、周囲の乗客たちは驚いてこちらを見ていました。
この一件で、さすがに私は部長にメールで現場を外してほしいとお願いしまいたが、部長は『手を出すことはよくないですね』と悠長な会話を返信するばかりで対応してくれなかった」
この頃から、後藤氏は精神的に不安定になりはじめ、眠れなくなったという。
起きている間も、なぜか涙が止まらなくなってしまった。
「最悪だったのは、四月三日の夜です。
その日は明石でコンサートが終わった後に、岡山へ移動というハードスケジュールだったため、氷川さんは朝から機嫌が悪く、空港に向かう車内でも『おい、おっさん』『中年太り』などと罵倒され、モノを投げつけられるような状態でした。
そして一行が岡山全日空ホテルにチェックインした直後、事件は起きた。
「宿泊するスイートルームがある十四階でエレベーターが停まり、私は氷川さんが降りるのを待つため、エレベーターの開ボタンを押そうとしたのです。
すると突然、後ろから頭を殴られた。激痛が走りました。振り返ると氷川さんがお気に入りのグッチのカバンを両手で持ち、頭上高く振り上げていました。
まずい、と思った瞬間にもう一発。『開ける押しますじゃないよ、バカ』と言いながら、今度は左足を思いっきり蹴ってきたんです。
氷川さんはごっついブーツを履いていたので、蹴られた脛からは出血しました。
さらに、『そんなことはどうでもいいんだよ、おめえよお』と叫びながら手にしていたペットボトルを投げつけてきた。
それが私の背中にあたり、痛みでうずくまっていると、音を聞きつけたJさんが飛んできて『(防犯)カメラに映ってるから。放っとけ』と止めに入った。
しかし、氷川さんの暴力はなかなか止まりませんでした。
やはり一番怖かったのは、暴力でした」
少し前から、後藤氏は窮状を訴えるための証拠として、暴行の様子を録音するようになっていた。
本誌も確認したが、このときの音声は、まさに地獄のイジメ現場そのものだ。