「みんな行くし、普通にしてれば東大に行けるって思ってました」
そう語るのはWさん。灘ではあまり勉強せず、成績は下位だったが、
「なんとかなるやろ」と心配はしていなかった。
小学生の時、IQが160を超えていたこともあり、「やればできる」と思い続けていた。
「そしたらセンター試験の結果、受かるどころか受けるのもムリ、とわかった。
 浪人が決まってもまだ、『1年ちゃんとやれば行けるやろ』と思ってました。
 もっと言えば今でも、1年くらい真剣にやれば東大に行けたと思っています」
結局、Wさんは2浪の末関西学院大学に進む。
「小学校時代は、灘に行きたくて死ぬほど勉強しました。
 でも、大学受験にはそこまでの情熱は持てなかったですね。
 1年頑張り抜くこともできなかった」

もう一人、2浪で成蹊大学に入ったYさん。
「中高時代は、部活と競馬に明け暮れました。楽しくて勉強する気にはなれなかったですね。
 僕は成蹊大学に行ってすごく良かったと思っています。
 灘は勉強だけのトップだけど、成蹊には『本当の上流階級』の同級生たちがいた。
 大企業の社長の息子とか、政治家の娘とか。
 東大に行った同級生より、社会の広さを知ることができたと思います」
Yさんは卒業後、大手電機メーカーに就職、
たまに「キミ、灘高なんだって、スゴイね!」と言われながら、
楽しくほどほどに仕事をしている。
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