【採算】架空の路線・駅・列車etc【度外視】
「あの頃こんな路線、駅、列車、鉄道サービスなどがあったらなあ・・・」
そんな各々の願望を自由に書き込んで下され
妄想:架空の列車
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1587127466/ 中浦和駅武蔵野線ホーム
貨物列車用のデルタ線上に建設。
そのままだと列車本数が極めて少なくなってしまう為、大宮発立川行き、大宮発西船橋行きといった列車を合わせて設定する。
しもうさ号も停車する。 青函トンネル(太平洋戦争前開通版)
関門トンネル同じく双単線・直流電化で開通。
同時に青森―五稜郭は全線複線電化となり、また奥羽線と津軽線を結ぶ短絡線も敷設される。
青函の寒冷な風土やトンネル内の高湿度への対策を施した専用機関車EH90が全列車を牽引。
ヨンサントウで交流電化に切り替えられて機関車はEH70へと交代。
同時に平―岩沼、五稜郭―東室蘭も複線電化(長万部―小樽は単線電化)される。
これにより函館本線・室蘭本線では新型の交流電車が行き交う事に。 >>44
本州と北海道を結ぶ列車は急行・特急ともに夜行のみ
上野―札幌1往復
上野―旭川(小樽経由)1往復
上野―札幌(常磐線経由)1往復
上野―旭川(常磐線経由)1往復
大阪―札幌(北陸・信越・羽越線経由)1往復
名古屋―札幌1往復(米原・北陸・信越・羽越線経由)1往復
博多―札幌(北陸・信越・羽越線経由)1往復
上記他は・・・
上野・大阪・名古屋―青森(昼行列車)と青森―北海道(夜行列車)が連絡
上野・大阪・名古屋―函館(夜行列車)と函館―北海道(昼行列車)が連絡 最高260q/hの新幹線(100系の全車2階建て版)
12両のE1系を超えないと面白く無い 山陽電鉄・赤穂線
網干線を延伸し赤穂市と通って岡山市内(山陽岡山)へ。
京阪電鉄・奈良線
宇治から奈良市内(京阪奈良)へ。 東海道線富士駅から清水港線三保までの直通列車
SGがいらないので東海道線はEF60かEH10の回送を兼ねて 身延線新富士支線
東海道新幹線との乗り継ぎが便利なように新富士駅まで延伸 京阪電鉄・私市奈良線
私市から奈良市内(京阪奈良)へ。
南武線・京浜東北線直通列車
川崎から東十条(一部は赤羽)まで直通。
川崎のホームは外側・京浜東北線、内側・南武線の方向別運転方式に改造。
鶴見・矢向方で京浜東北線と南武線は立体交差。蒲田方に留置線2本。
南武線列車6両が2本連結されて12両編成で運行。
この為、蒲田―赤羽は12両編成対応ホームに延伸。
運用は2パターンあり、北行は先着した南武線列車6両に後着の6両が連結されて直通(南行はその逆)という場合と、
南行として川崎へ到着した列車の前方編成のみが南武線へと入り残った編成は蒲田方の留置線を転線して北行ホームへ移り、
北行として直通予定の南武線列車と連結して再び都心へという場合がある。 常磐新宿ライン
線路は三河島から田端へ向かい山手線に沿って駒込手前で貨物線に合流。 大宮ー新宿の新幹線
東京より大宮延伸のが面白かったな 上越新幹線と吾妻線のクロスするところに新駅というか駅が近くにあるので移転させる。 都営浅草線を西馬込から日吉まで延伸
また国道1号と環八が交差点地下で分岐してJR蒲田と京急蒲田を結びそのまま京急空港線へ直通
沼部と御嶽山の間にJR品鶴線新駅
浅草線と品鶴線の交差部にも新駅 池上線・五反田を地下に変更して浅草線との乗換をスムーズに
また品川駅まで延伸 国鉄デラックスつばめ&はと
昭和35年10月に登場。
12両編成で両端にパーラーカー・クロ151を連結し中間車は全てグリーン車。
編成中央の7・6号車はダブルデッカー食堂車とサロンカ―となっている。
車重が嵩むダブルデッカーを2両も連結する為、従来の151系編成とは違い8M4Tの強力編成となった。
サシ150
6号車に連結される食堂車。ダブルデッカーで車端に厨房、車体中央の上階が食堂、下階は機器室となっている。
サハシ
7号車に連結されるサロンカー。ダブルデッカーで車体中央の上階がサロンとビュッフェカウンタ、下階は機器室。 品鶴線と池上線・多摩川線・浅草線・大井町線との交点に駅を >>44
>函館本線・室蘭本線では新型の交流電車が行き交う事に
普通列車用711系
急行準急用751系
特別急行用781系
急行・特急用形式は現実には登場しなかったグリーン車や食堂車も造られる プッシュプル式通勤列車。3ドアクロスシートで113系等中電の客車版4〜6両編成に機関車がつく。仙台地区などに走らせて旧客を置き換える。
まだ50系客車が構想すら出て無かった頃、ヨーロッパのを見て日本でも走らせたらとと思った。 京阪2800系
初代3000系をベースに一般・特急兼用として製造された形式。
座席はロングシートとクロスシートが転換できる構造で(当時としてはオーバーテクノロジーだがそこはそれ架空形式故w)、
普通・準急・通勤時間帯の急行として運用される際はロングシート、通勤時間帯以外の急行・臨時や代走の特急はクロスシートであった。
塗装は上部がクリーム、下部が青と所謂スカ色や旧山陽電鉄に近いイメージ。
残念ながらテレビは未搭載の為、臨時や代走で特急運用に入る場合、乗客からは外れ特急扱いされていたが、
日中の急行運用ではクロスシート故か辺り急行扱いだった。 157便系統
青函連絡船における深夜労務改善のため昭和50年7月ダイヤ改正で、
・1便系統は特急客専用として急行客を排除
・その代わりに周遊客が使いやすい157・156便へ変更して、それに接続連絡する周遊券利用客専用の急行列車も新設
上野0733−101レ急行「八甲田」下11→1930青森
青森1950−157便→2340函館
函館0005−1219レ急行「すずらん」下11→0615札幌
札幌2235−1218レ急行「すずらん」上11→0505函館
函館0530−156便→0920青森
青森0940−104レ急行「八甲田」上11→2142上野
なお、八甲田11−157・156便−すずらん11は青函連絡船定員制限のため、
盛岡局・秋田局・仙台局・本州側青函の局内からは発券不可
北海道側は運転8日前かつ本州側で余っていた場合に限定
盛岡局・秋田局・仙台局・本州側青函以外からも周遊券販売時にしか買えず、また変更も必要全券揃っていないと不可
満席時は62席(うち調整8席)不足するが、車掌権限でグリーン桟敷席へ回す規定を作った
客車急行 12両編成(うちスハフ42(45) 2両・オハフ33 1両) 座席数1024+調整8
津軽丸型 1隻 普通席合計(椅子・桟敷)970、グリーン桟敷席124 概ね関東から急行だけで函館まで出発当日に到着し、札幌には翌朝到着するため、北海道での滞在時間がほぼ1日増えた
この効果は絶大で冬季以外満席ではない日を探す方が楽なほどで、
昭和50年9月の蓮田事件もあって労組は同列車も修学旅行列車同様順法闘争からの除外を決定
※利用客に学生が多く、社会人になってから労組への加入率に影響が生じていたため
昭和51年4月からは冬季以外「函館駅周辺の指定宿泊施設で宿泊する。その代わりにグリーン自由席無料割り当て」枠(函館宿泊枠)が作られ、84+調整4席追加
この輸送を行うため、オエ36のTR52A台車へ交換した3両のオハフ61 4000番台が作られて増結され、八甲田のスハ43が全てオハ35へ変更された
また、昭和51年4月1日より「周遊券の冬季割引は5月30日出発分までに限る」と改められた
昭和55年10月改正の一般夜行急行すずらん廃止に伴い、すずらん11・12号に一般速達客向けのグリーン車をスロフ化して連結
このため、こちらもオハ35系へほぼ置き換えられた
昭和57年11月改正で八甲田11・12号はオハ35系主体から全て12系客車へ置き換えられたものの、大宮以南が新幹線未開業もあって存続された
ただし、「客室設備が悪いから船室設備で補償」理論が使えなくなり、函館宿泊枠廃止
しかし、昭和60年3月改正で
○その大宮以南も新幹線開業
○北海道側の旧客が廃車
となって157便系統が維持できないため、乗車船率はよかったものの廃止された >>62
テレビがある車両は治安が悪くうるさいのでテレビカーが外れ サハシ164・サハシ450・サハシ454
そばコーナーを廃し客室を拡大したビュッフェ車
ビュッフェ利用が少ない線区用として製造された 寝台特急・黄昏
山陰特急まつかぜの夜行版で京都・博多を山陰本線経由で連絡
サシ481初期車を改造した食堂車を連結 キサシ182
余剰となったキサシ180を北海道用に改造した車両 クハ481-200番台→クハ483
クハ481-300番台→クハ485 横浜発西武秩父行き特急。東横線、副都心線経由ではなく、JR横浜駅発で新鶴見操車場から武蔵野線経由で所沢に行くルート。
西武5000系6両編成で休日のみ運行。所沢までの途中停車駅は府中本町のみ。 急行ノシャップ
函館~長万部~苫小牧~岩見沢~旭川~音威子府~稚内 急行ノシャップ(別ルート)
函館〜長万部〜倶知安〜小樽〜札幌〜旭川〜音威子府〜稚内 583系1000番台
『つばさ』『いなほ』『あけぼの』『はくたか』『北陸』用として登場 『出雲』『瀬戸』『下関あさかぜ』は583系にして良かったかも
『出雲』は伯備線経由 急行しらゆきの電車化
50Hzと60Hzを両方走るため457系充当が必須 夢空間を使用した訓練列車
EF510-1 (JR貨物から借入)カヤ27-510 オシ25-901 オハフ25-901 オロネ25-901
東京から黒磯まで試運転 リバイバルなは
使用車両 715系0番台
8両編成(クハネ715をモハネ581に見立てる)
外見を581系色に再塗装
さよなら運転を記念して熊本~門司まで臨時運転 183系2000番台
直流区間専用・寝台装置付でクハは非貫通型
本来形式違いだろうけど、現在作るとするとこうなるかなぁ? キハ85 ホームライナー
キハ85 1209 キロ85 キロハ84 4 キハ85 1102
全検中のため岡崎側をキハ85-1102 からキハ85 1209に変更 ありがとう サロ号
使用車両 EF58-61 サロ212(1001-1006)
E233系3000番台投入で余剰になったサロ212を客車として使用した臨時列車
またサロ211を臨時列車として使用された
翌年は客車をサロ213に変更 487系・交直流波動用電車
波動用形式として既に12系客車・14系座席車が有ったが機関車用意の手間を廃しスピードアップの為、昭和49年(1974年)に製造された
走行性能と外観は485系200番台と同一
多客期での使用が想定された事からデッキは183系同様両端に設けられ、また製造コスト軽減の為に扉は折戸となっている
波動用の為グリーン車や食堂車は製造されず形式はモハ487、モハ486、クハ487の普通車3種だけ
時折車両手配の関係で485系定期列車の編成に代用で連結される場合もあった
国鉄が分割民営化されてJRとなってからは485系と区別して運用される例は減り同一編成内に混在するのが常態化 スハシ12
余剰となったサハシ165/サハシ455を客車化した半室ビュッフェ車
車体色は12系と同じように青+白帯2本とされた
長距離を走る定期急行に増結された
スロシ12
上記の客室をお座敷仕様に改造
各管理局のお座敷列車に増結された サハ489-500
廃車になったスシ24-500(501-503・508)を489系列に復元
塗装は国鉄特急色に再塗装
座席・MG等489系から流用 変電所削減の為、国鉄は地方の電化路線を交流電化に変更する事に
例外は東海道線、山陽本線、身延線、飯田線の4路線 オロ12(史実とは異なる)
1968年にナロ20のうち1〜3・51〜53を急行用に格下げした車両。
連結器交換・冷房用自車発電装置の設置、蒸気暖房の取り付けなどの改造を
施し、塗装も青15号にグリーンの等級帯に変更し、車番も2000番台とした。
改造後は宮原区に配置されて急行きたぐにと急行音戸に使用されたが、
1978年のきたぐにのグリーン車廃止と同時に廃車された。 使用車両
ビジネスサンダーバード大阪発和倉温泉行
使用車両 京キト 683系V編成(重連) クロ581・クロネ581
581系はロザ・ロネ転換車両の製造が困難だった為、代わりに造れられた車両
当初は基本編成である<クハネ・モハネ・モハネ・サハネ・サシ・モハネ・モハネ・モハネ・モハネ・クハネ>の端に2両連結され、
昼間は<クハネ・モハネ・モハネ・サハネ・サシ・モハネ・モハネ・モハネ・モハネ・クハネ>クロ>クロ>
夜行は<クハネ・モハネ・モハネ・サハネ・サシ・モハネ・モハネ・モハネ・モハネ・クハネ>クロネ>クロネ>
という編成が組まれた
車両基地で基本編成が座席・寝台の転換中にクロ・ユニットからクロネ・ユニットの解放・連結を行う
2両とも制御車なのは故障などの場合すぐ代替が利く為
山陽新幹線・博多開業で581系が夜行主体になってからはクロ・クロネは1両ずつ編成中央に連結される様になった
<クハネ・モハネ・モハネ・クロネ><クロ・サシ・モハネ・モハネ・サハネ・モハネ・モハネ・クハネ> なお東北線特急は以下の編成
昼間<クハネ・モハネ・モハネ・モハネ・モハネ・サハネ・サシ・モハネ・モハネ・モハネ・モハネ・クハネ>クロ>
夜行<クハネ・モハネ・モハネ・モハネ・モハネ・サハネ・サシ・モハネ・モハネ・モハネ・モハネ・クハネ>クロネ> 新横浜で分離し貨物線のルートに並行して羽田空港経由で東京駅まで伸びる路線を造り、新幹線東京口複々線化。
大井の基地まで行く路線を新横浜方面に延伸し、田町付近から東京駅まで路線増設。
用地買収や路線増設できる余裕あるのか?という問題はあるが・・ 90年代、京急が浦賀から東京湾を地下トンネルで横断し浜金谷付近からマザー牧場まで伸びるルートを新設。
更には海士有木経由で千葉急行に接続し、東京湾岸環状ルートを京成新AE車などが走るようになる。
これでJRの内房線特急を壊滅状態に追い込む。 通勤客の要望により、通勤電車にもサロ103系を導入