深夜・未明に夜行列車が停車してた駅
福知山駅
寝台特急「出雲」、夜行急行「だいせん」、京都〜出雲市間の普通列車「山陰」号が
停車して、深夜、未明にも関わらず駅弁の立ち売りもあった 寝台特急だと深夜2時台はほとんど客扱いがないけど日本海は例外だったみたいね 紀伊田辺、白浜、周参見、串本
天王寺〜新宮間の夜行普通列車「はやたま」号
新大阪・天王寺〜新宮間の165系電車による夜行快速が停車していた 大垣夜行時代の静岡駅。
愛知近辺での宿泊代を浮かそうと、青春18きっぷを持って深夜の静岡折り返しを実行したところ、
同じことをする人が10人ほどいたようだ。
折り返し目的でなく静岡駅で旅行を始める人も合わせると、30人くらいが改札周辺にいた。
1時間強だったか、下りが来るまで有人改札にはずっと係員がいて、
中と外を行き来する18キッパーを相手するのに余念がなかった。
もはや、24時間営業の駅といってもいいよね。 そりゃ宿代は浮くだろうけど、あんまり寝る時間なさそう 寝台特急日本海は函館から大阪だったし、京都から秋田、長岡から函館とかの乗客が有っただろうな〜 出雲横田、出雲坂根、備後落合
岩国・広島〜鳥取間の木次線経由急行「ちどり」の夜行列車が停車していた 長岡夜行の停車駅
通過していたのが井野、上牧、岩原スキー場前、八色くらいだったから、ほとんどの駅で深夜に停車してた。 京都駅
寝台特急「出雲」1号は機関車交換のための運転停車して、客扱いはなかったが、
「出雲3号」は機関車交換中作業中、客扱いも行っていた 現行のサンライズと違ってちゃんと京都でも客扱いで停まってたもんな
京都女子が観光や就活等で首都圏向かうのにも便利になる(夜行バスだと安全性や防犯面で問題がある)
【観光】サンライズは大宮まで延伸すべし そして上りだけでも京都停車すべし【就活】
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1607151606/ 中央本線・上諏訪夜行421M、甲府で1時間近く停車したね。
その間に駅前のコンビニに買い物に行ったりした >>12 松本行き夜行が客車から115系に代わって数年後の夏だったか、深夜の甲府は南アルプス燕岳の登山口行きのバスに乗り換える客で賑わっていた。
この列車使えば午前5時には登山開始。 大阪駅
東京行上り「さくら」は未明の大阪駅で客扱いを行っていた
あさかぜ4号、富士、はやぶさ、みずほは時刻表上では通過だが、
運転停車と新聞などの荷物積み卸しのために停車していた。
下りの富士、あさかぜ1号、あさかぜ3号、瀬戸も大阪に運転停車して、
乗務員交代や新聞などの荷物積み卸しが行われていた。 みずほは大阪では運転停車だったけど京都では客扱いしてたな 瀬野
補機連結のためだが旧客なので必然的に営業停車 津、亀山、松阪
紀伊勝浦行下り寝台特急「紀伊」が停車
紀伊長島でも停車時間が長かったような
「紀伊」は、終着駅紀伊勝浦にあまりにも早く着きすぎないように、途中駅で
停車時間を長くして、時間調整していたようだ >>3
深夜2時台とか3時台の停車は出雲とか出羽とかあけぼのとかでもあったよ 新津
早朝にトワイライトエクスプレスが停車していた 20年以上前、0時過ぎの岡山から、上りの『富士』で東京に帰ってきた事がある。 俺も25年位前に岡山から名古屋を寝台使った
ギリギリまで撮影したかったし月曜朝イチに出社出来るなら多少の出費は良しとした 天王寺23時発新宮行924レ
周参見2時54分発だったが、周参見〜新宮間は各駅停車で、田子と紀伊姫だけ通過していた 首都圏だと月曜未明に京都から「出雲」、大阪から「瀬戸」に乗り込んだ事があるサラリーマンならいそう 新宮夜行(新大阪発新宮行きの165系)、深夜の紀伊田辺(だったっけ?)で
3両を切り離していたよね。
25年くらい前の夏に乗ったけど、天王寺から和歌山までは終電の意味合いもあったから
大混雑だったけど、一駅ごとに少しずつ降りて行って、新宮まで乗り通す人はわずかだったと思う 富士駅
急行「銀河」が後続の寝台特急「出雲」2号の通過待ちのために停車していた 準急しろがね 名古屋→下呂2:06→高山3:40→富山
準急ひだ 富山→高山1:50→下呂3:13→名古屋 >>28
小さい頃よくみにいってた
当時の駅員がなかに入れてくれたな。
入場料はもちろん払ったが。 名古屋〜富山・金沢間の高山本線経由の急行「のりくら」
夜行の「のりくら」も、昼行の「のりくら」と停車駅は同じだった。 >>31
昼行ののりくらが全部停まる鵜沼と白川口通過だったけどな
石動と津幡も通過だったし いなば。短い間だったが座席車を組み込んでいる時期があり、安上がりなんで何度か京都から東京まで利用した。米原で運転停車をしたが、すぐ隣の線路に長野行の急行が停まっていてここで追い抜いた。夜行の特急に座って夜行の急行を抜くという自分でも他にない経験ができた。 常磐線経由の夜行が消えた理由って何なんだろう?
昔はゆうづる2〜3本あったのに、最後ははくつる
だけになってしまった。
常磐線の夜行急行は2.26事件に加担した青森の聯隊の
中尉も上京するときに何度も利用したそうだ。 >>3
特急「日本海」は、
昭和49年頃には普通の座席車が連結で、
時間に関係なく途中の区間乗車に便利だった。 >>35
常磐線って結局は迂回路なんだよ
全体の本数が減ってどちらか一方だけで済むなら東北本線経由にするわな 門司港〜長崎・佐世保間の夜行普通列車「ながさき」
この列車は途中、早岐、肥前山口などで長時間停車していた >>38
>ながさき
そもそも、門司港出て
門司と小倉 二駅つずいて15分程度停車してるから >>9
宮内で上り米原行きに乗り換え。
寝過ごして長岡まで行ってしまうと乗り継げなかった。 豊岡、城崎、香住、浜坂、鳥取
夜行急行「だいせん」5・6号、寝台特急「出雲」1号が停車していた >>46
自動ドアでなければ運転停車のときに降りれた? 駅弁買いに行くのに降りてた。「運転停車」で通常の停車扱いでは
ないので改札から出てはいけない。 >>47
物理的に乗り降り可能だから、通過扱いはできず、運転停車の設定自体も無かった。
だから割と意外な駅に急行が停車してたりする。
一例として常磐線の単線時代の浜吉田とか山下なんかに長距離急行が停車したり。 自分で書いといてなんだけど、常磐北線は今でも単線か。
ドアを施錠できない車両を使ってる場合は、
単線で行き違い可能な駅はどこにでも停車の可能性があった、ってことでひとつ。 夜行列車華やかりし頃の(北)福島駅を眺めてみたかったなー 近畿住みなんで普通夜行「山陰」827レに思い入れあるなあ。
福知山0:21着0:55発、豊岡2:20着2:27発、浜坂3:43発・・・
あと天王寺発名古屋行の紀勢本線まわりの普通夜行「はやたま」924レ。
和歌山を23:50に出たあと、御坊1:10、紀伊田辺2:15、白浜2:30、串本3:54・・・。
タイムスリップできたら是非乗りたいよ。 寝台特急日本海は深夜時間帯でも運転停車とせず普通に客扱い停車してたからな。金沢とか富山とか。 >>53
それをいうなら、急行「きたぐに」もだね。
一方、寝台特急「つるぎ」は京都の次が糸魚川だった。 >>54
下り「きたぐに」は、金沢で七尾線午前3時台の始発列車にピッタリの接続だった。 下り出雲が深夜2時55分頃に福知山停車となってたのが印象に残ってる。
京都は通過となってるのに。
東京発のブルートレインの2時台停車はこれだけだったように思う。 金沢発午前3時台の七尾線って輪島朝市のためにあるようなもの? >>60
荷物、郵便の為だろう
これらが無くなって七尾始発に変更されてるから >>58
自治体の経費方面での対応だったのかもね。
(「つやま」が急行であった理由と同様で)
今は時代が違うけど、昭和期はそういうのはあったらしいし
東京まで乗り換えなしの直通交通手段ってのは
今思う以上に重要視されてたみたいだし >>62
いなば→出雲3号が良い時刻に停まってるんだからそれはないと思うよ 旭川
急行大雪と宗谷が対面で止まってた(共に札幌行)
漏れの乗ってた大雪は30分以上止まってた遠い昭和の記憶 机上旅行が成立していた。
深夜に時刻表を広げ、この列車はこの付近だなとか。
いまは出来ないね。 >>62-65
下り出雲→出雲1号の深夜福知山停車は、荷物の積み下ろしが絡んでいたのでは?
出雲が急行時代からの継承もあっただろう。
いなば→出雲3号は14系で電源車がなかった。 名古屋駅
深夜1時〜急行宮島/出雲/伊勢/那智/はりま/能登/安芸/銀河/昴/瀬戸/明星/いこま/ぶんご/彗星/あかつき/月光/金星/せっつ/大和/準急東海7号〜朝6時 上り
0時〜急行瀬戸/あかつき/明星/ぶんご/銀河/ちくま/いこま/安芸/彗星/月光/特急あさかぜ/はやぶさ/準急ひだ〜朝6時 >>70
もちろんそうなんだが
敢えて旅客停車してたんだからそれだけだと理由にならんのよね 前身の急行出雲が停車してたから特急化してもそこまで大胆に停車駅削れなかったんでは
一応地域の拠点駅でもあるし ドリームつばめ・ドリームにちりんの長時間停車に思い入れはないのかぽまいら >>76
中央本線の夜行普通の停車時間1時間に比べたら… おしゃ!まんべ〜
深夜に急行はまなす降りて始発を待つ
車内設備はよく取り上げられていたけどダイヤの面でもほんと偉大な列車だった そもそも列車も来ないのに24時間営業とか意味がない 富良野
上下からまつが交換して、しかも長時間停車
宿泊費を浮かすために下りから上りに乗り替えたことがある 東浜とか山陰本線の駅は殆どだな
もっとも東浜の次の岩美のその次大岩は山陰号は通過してた訳だが 和歌山
天王寺行き夜行普通列車「はやたま」の和歌山着は3時41分、和歌山発が4時で、
阪和線内は無停車で天王寺着が4時58分だった。
和歌山発は阪和線の初電より早かった。 >>68
つまらない世の中になったよね。
知らない世代はそもそも何の感慨も思わないだろうけど >>73
むしろ停車が本来で、
通過させるほうが何らかの措置だと捉えてみたら?
下りサンライズ大阪通過みたいな。 >>1
難癖付けてすまないが、そもそもこの見出しに問題あるんじゃないのか?
→「深夜・未明に夜行列車が停車してた駅」
改案⇒夜行列車が「長時間停車」していた駅、というのならば面白い話がいっぱい出てきそうだが、
そんな事を物語れる人も少なくなりつつあるよな。
中央東線の夜行・下り鈍行客列・長野行き(松本だったかな?)が小淵沢の二つ手前の「日野春駅」で1時間の停車していた。
小海線C56撮影のため昭和47年頃に乗ったが、小淵沢で降りる客はほぼ起きていた。
機関車はEF64で、運転士は室内照明を灯して新聞を読んでいた。
これを追い抜く貨物も急行もなく、単純に時間つぶしの長時間停車だと理解した。
前半のレスは読まずに回答したため、重複していたら陳謝する。 >>91
因みに天王寺からは環状線経由で新大阪6時発の朝一番の新幹線に乗ることもできた。
まだ関空もなかった時代、和歌山4時発の天王寺行き夜行は東京への一番列車の役割もあった。 >>97
今更改案出されてもな
スレタイ途中で変えるとか出来ないのよ
このスレと
夜行列車が「長時間停車」していた駅スレ
なら重複にはならんからそういう話題で話したいなら自分でスレ立ててくれ まぁ、しゃーないでしょうこれは
昔はそれが当たり前なんだし昭和30年代まで行くと大阪〜青森殆ど 夜中の3時くらいに途中駅からムーンライトながらに乗る乗客がいてビビった
但し窓口が開いてないので当日飛び乗り不可
ドリームにちりんも真夜中に停車する駅では「車内でお買い求めください」と掲示されてた >>5
周遊券全盛期に北海道の急行でリターンして宿代浮かす人がいた 時刻表の復刻版見てると単線区間の客レで深夜停車してる駅とかあるな
その列車以外の昼間は停車なしとか
あとは補機の関係で瀬野(上りだけ)とか 旧客だとドアロックが出来ないので真夜中に乗り降り出来たな
深夜帯だと乗客の足音がうるさいと苦情が来るのでブルトレは深夜は運転停車のみにしてるの多かった
ただバスのクローズドドアシステムに類似した方法は採用してなく極端に言えば上野〜大宮だけで寝台を使うとか出来た >>105
あったけど周遊券だと寝台券以外に急行券も必要になるから
周遊券客はもっぱら自由席 >>104
ある意味当然かと。
長距離列車は面で結んでる。任意の途中駅どうしの利用客も全て対象。
長距離バスは地区と地区とを点で結んでるしそれがメイン
旅客を扱う性質がまったくちがうからね 北海道の快速ミッドナイトがバスのクローズドドアに類似したシステムだった
指定券は函館〜新札幌・札幌間のみ発券可能だったが自由席はどの駅でも乗降可能だった 密かな人気列車、、とはならなかったか
このルール、悪くないんだけどなあ 過去の思い出
未明に塩尻駅で結構長いこと停車していた夜行貨物列車(コンテナ列車ではなくタンク列車)を見たことがある >>101
夜行バスじゃねえんだから
利用者はAB都市間だけの客じゃない ああ>>104が似たこと書いてたか。
ってか104はオレだったわw 夜行の定義にもよるが
2020年まで真夜中でも律義に止まる西青山 スレチごめんだけど
三ヶ日の解放休憩も夜行ムード満点でしたよね
今や三ヶ日自体が新東名移行で(´TωT`) >>102
91年夏に上川駅で夜行の急行大雪で
上下乗り換えやりました 福島で八甲田から津軽への乗り換えは臨時便でやったが
帰省シーズンで激混みだった
指定席はガラガラだったが周遊券だからな >>123
昔は夜行に乗ってもそれほど疲れなかったし、
まあまあ寝れて、降りてすぐに行動できたが、
今じゃ無茶だね。
もっとも、当時は朝降りると目的地だし、
夜行列車くらい便利なものもなかったけどね。 >>126
乗客としての移動でも疲れるけど
長時間乗務の車掌なんてもっと疲れるね
平成初期は秋田5時台発の上野行つばさの車掌が
始発から終着の上野まで乗って日帰りで戻ったり、
金沢車掌区だと午後の北越に乗って金沢から新潟へ、
折り返しの北越で夜遅く金沢に戻り、翌日の白山に
乗って上野へ向かう過酷な行路もあったし、
米原だの大阪や名古屋で泊まったり、
夜行の北陸や能登にも乗るわだったよ
そして、南北へ最も長い距離を乗るのは日本海や
きたぐに、つるぎ、銀河や京阪発九州行きの夜行を
担当していた大阪車掌区だろうね ムーンライトながらも、定期時代は静岡とか浜松で長時間停車してた記憶
その間に改札出て、駅の外のコンビニに食料調達に行ったが
駅はしっかりと営業中だったな 39年版時刻表では夜行準急大雪が中越に停車
この当時は林業も盛んで
まあまあ人も暮らしていたが、それでも、
それほどの利用が見込めたとは思えないな
当時は通票閉塞で補機連結のために中越停車が必要、
手動ドアの客車列車だし、サービスみたいなものか? >>!27
若いときからソレが仕事だから、体が慣れてるから疲れないだろう。
どんな仕事でも一緒
オッサンになってから唐突に始めたらキツイだろうが
そうじゃないからね >>130
現況からは信じがたいが、その年だと1日200人くらいの乗降があったらしいぞ >>8
元旦に良スレ発見
夜中の出雲坂根や備後落合どんな雰囲気だったんだろうか想像するだけでワクワクする
昔音威子府で利尻を待ってる時駅舎の外に出て見上げた満天の星空は忘れられない
天北線の乗り換え客で結構人が多かった >>133
>>夜中の出雲坂根や備後落合どんな雰囲気だったんだろうか
>>想像するだけでワクワクする
そこは同感。初訪はキハ120統一化以降なので(一応タブレット閉そく時代)
だが、ネットの個人ブログとか見てたら
夜行時代の深夜の通票閉塞に想いを馳せてる若い人が居るのはいいけど、
「閉合閉塞」ってものがもっと忘れられてるので、
全区間で夜中に閉塞作業してると思われてるのに或る種の時代を感じる。 >>132
多い時には100戸、500人以上が暮らして木工場が立ち並び
ここを始発、終着とする貨物列車も走っていたというし
上川や旭川あたりで飲んだくれていた
林業関係者が深夜に下車していたかも知れないな 夜間の石北本線の上川ー遠軽間は上川ー中越ー白滝ー丸瀬布ー遠軽の
併合閉塞だったから交換駅を全て準急停車駅としていた可能性あり 横川と軽井沢は補助機関車の連結解放のために停車が必須で夜行急行を含む全ての列車が停車していたが、
軽井沢は早朝や深夜でも登山客が乗り降りしたかも知れないが、横川はほぼ居なかったのでは?
中越も横川と同様に補助機関車の連結基地だったし、
通票交換も必要、実質的には運転停車だが、サービスをかねて停車扱いにしたのかも知れないね >>139
昔、上田からライブを観るために上京する際、碓氷の旧道を走ってみたくて横川まで来て「おぎのや」の駐車場に車を停めて「あさま」で上京。帰りは「能登」で横川まで来て車に乗って帰った。他に降りた人がいたかは記憶にないけど。
こんなレアケースはおいといて、当時の横川は機関車の両数もそれなりにある鉄道の町として、関係者の家族もかなりいただろうから、家族パスとか使って東京へ出て時間を有効に利用できる手段としての利用者はいたのでは? 諸外国見たらわかるけど、国が鉄道を運営してる国ほど、車両や駅のバリアフリーが進んでるんよな >>139-140
「なんのために停車扱いにしてたのか」と
「実際に利用者が居たか居なかったか」は
全く別の話だと思うが。
解ってる上での会話ならそれでよいが 北陸本線
電車急行立山長浜停車
客車急行きたぐに田村停車 有人駅でもさすがに深夜帯は無人で切符販売や改札は
なかったですか? 新幹線工事中は深夜の仙台発着列車は通過として
代わりに長町に停まっていた 昔、塩尻駅に、午前4時頃。タンク車主体の貨物列車が停車していた、と聞いた >>144
旧客だと手動ドアだから物理的に乗降可能なんで
「客扱いいらない」はむしろ不可能なんだな >>153
その旧客優等の深夜交換停車=客扱駅になっている件と、
通票閉塞路線の深夜の閉合閉塞、
どっちも、どうしても現代民には忘れられるんだよねえ。
アナログ時代を知らないから仕方ないけど 話の流れから言って、駅の話してるんだと思うが
もっと狭く解釈すれば、田村駅を通過扱いにしなかった理由、だよね? >>160
客扱いの話をしているのにホームのない信号場の話を持ち出すのは違うんじゃないのかい? 芸備線列車のみ停車している伯備線布原信号場で伯備線客車列車の交換があったかはわからないけど
交換があってもホームが短いし利用者僅少だから客扱いはしてなかったような >>144
旧客だから停車扱い
12系化されても10系寝台連結だったからね。
それ以前に国鉄は車両が新しくなっても
停車パターンをいじることは基本なかった >>162
短ホームで編成収まらなくてムリだから、
って理由での通過は基本的にJR以降でしょ。
わざわざ停めるまでもない零細需要の駅は通過してたけど、
ホームに掛からないドアが開こうが
JR初期までは自動ドアの気動車列車だろうが
平気で存在してたからね。
言いたいことは、車両や編成やホーム長など
ハード面を理由にした通過扱いは
国鉄時代には基本的になかった、という話。 学生のころは夜行列車に乗って深夜の誰もいない通過駅を見たり、停車駅の閑散としたホームを見るのが好きでした。 >>166
>短ホームで編成収まらなくてムリだから、って理由での通過は基本的にJR以降でしょ
国鉄時代の1980年の時刻表では
当時最長距離普通列車だった門司発福知山行の824列車は
宇賀本郷 飯井 久代 敬川の4駅を通過
なお客車は旅客車は旧型客車、在来型客車
その他の地方でも電車や気動車は停車しても客車列車は通過する駅があった国鉄時代の1980年の時刻表では
当時最長距離普通列車だった門司発福知山行の824列車は
宇賀本郷 飯井 久代 敬川の4駅を通過
なお客車は旅客車は旧型客車、在来型客車
その他の地方でも電車や気動車は停車しても客車列車は通過する駅があった
宇賀本郷駅は他の客車列車もほとんど通過 >>166
>短ホームで編成収まらなくてムリだから、って理由での通過は基本的にJR以降でしょ
国鉄時代の1980年の時刻表では
当時最長距離普通列車だった門司発福知山行の824列車は
宇賀本郷 飯井 久代 敬川の4駅を通過
なお客車は旅客車は旧型客車、在来型客車
その他の地方でも電車や気動車は停車しても客車列車は通過する駅があった国鉄時代の1980年の時刻表では
当時最長距離普通列車だった門司発福知山行の824列車は
宇賀本郷 飯井 久代 敬川の4駅を通過
なお客車は旅客車は旧型客車、在来型客車
その他の地方でも電車や気動車は停車しても客車列車は通過する駅があった
宇賀本郷駅は他の客車列車もほとんど通過 まだ機関車の制動パワーが充分なかったころは急勾配の本線上にホームがあると機関車牽引の客車列車は危険なので停められなくて
電車や気動車だけ停めてたってのもあった