153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 14
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九州だがキハ65は自分の学生時代にはもう通勤用に58や47と組まれていてS席よく座ってた
あの発車時の噴き上がりが豪快な(うるさいともいう)エンジン音は印象的だった
65はユニット窓のせいで窓部分の赤帯が上下に広くて雨樋高さが普通なこともあって張り上げ屋根の5828長大編成に入ると編成美的に不統一感が出ていまいちだった(そこが好きな人もいるだろうが)
ただ5828の帯を65並みに塗り直すとJR東183/189系末期の国鉄色みたいな間抜け感(窓非改造クハ1両だけが帯が上に広く塗られて見える)出そう 四国で改造された、65のバケットシートは座り心地がよかったな。 >>689
でもきのこ形クーラーってスピード感あってカッコイイ。デゴイチのナメクジドームに通じる。 キハ65の保存理由は四国に冷房化を貢献した為だったかな? >>704
DML30系は65で落ち着いたけどトラブルが多かったエンジン。しかも試作車なので
特殊な装備がそれに輪を掛けていた。
幸い小世帯だったので10年であっさり見切った。 まあ65化するには
屋上の放熱器取っ払って床下に強制冷却器設置
冷改&4VK設置
水タンク置き場無くなったらトイレ廃止
3枚折り戸をどうするか…
制御系も変換器通すんじゃなくて取り替え&電気連結器廃止とジャンパ栓化
やること多すぎるな >>706
181もそうだったから屋上の放熱器は存置で良いのでは? キハ91は最期に衝突実験車になったのがいたと記憶があるのですが、ネット見てもどこにも無いですね。 111系の頭付けた旧客で衝突実験していたのはあった
後ろから蒸機で押して衝突させていたけど、機関士はどうやって身を守っていたんだろう? >>708
キハ91 1
RPのキハ181系特集に記事あり
>>709
D51で押して突放(とっぽう)
押して速度が出たところで機関車にブレーキをかける
(自動連結器は開放位置にする)
押された車輌はそのまま走っていく、押した機関車は減速する。 >>710
なるほど。ビリヤードみたいに押すのね。 突放は貨車を扱っていた時代は普通の技術だったからなあ 最近は大騒ぎしているけど、昔は1日中見れたもんなぁ 出来ない貨車が少なくてダメな奴には突放禁止なんてわざわざ書かれた時代だからなあ
調べたら今も書かれているみたいだがもうそっちの方が多数派じゃないのか 確か、突放時に必要なブレーキが掛けられない車両が突放禁止だよな。
2軸車には足ブレーキがあるし、ボギー車にも車端に手ブレーキがあるから走りながら止められるけど、
コキ104とかは側面にブレーキのハンドルがあるから、走りながら回せない=止められないから突放禁止となる感じ。
でも禁止じゃない車両と連結してたら突放可だよね。
ここで便乗質問。単体でBP管の圧が抜けてブレーキが掛かっているはずなのに、なぜ容易に突放出来るんだろう…
留置時や走行時は足ブレーキなどが掛かっているのがデフォで、BP管圧でブレーキ制御可能、
突放時には足ブレーキなどを緩めることで完全にフリーになって感じなのかな… >>719
自動ブレーキは車両に取り付けられてる空気だめタンクの圧力を使ってブレーキシリンダーを押す仕組み。ブレーキ管側の圧力が下がればブレーキがかかる。
で、ブレーキ管圧力と空気だめタンクの圧力が釣り合ってたらブレーキは緩むので、切り離す前にブレーキ管の圧力が下がらないようにコックを締めて切り離せば緩んだ状態で切り離せるという算段。 >>721
回答ありがとうございます。
なるほど、切り離す前にコックを閉めれば確かに緩んだままですね。 153系の正面の種別表示、最初は幕じゃなくて板を置いてライトで照らしていたと思うのですが、これが幕に改造されたのっていつ頃どこの所属の車両が対象だったのでしょうか?
田町の車両なんかは写真見ても種別が表示されてない上、窓の中の空間が丸見えなので幕化されてないように見えますが、改造されてたのでしょうか? キハ58系のワイパー腕の付け根に四角い出っ張りが外板側に付いているのがあるけど、
あれはなんだろう? >>725
あれはダブルアームの強化型ワイパーへ後天的に交換された奴 急行型電車やキハ58系の車端にある換気扇って、冷房準備車から強制式になったの? 関西線の165系って「名古屋」「桑名」「四日市」「亀山」みたいな単独幕だったのか
「名古屋←→亀山」みたいな幕だったのかどっちなんだろ? 急行型サロの簡易運転台はサロ152がサハシ153とペアで2組がサロ向かい合わせ逆向き組成が連結していたのが所内運用の都合で付いたのが始まりと理解しているが
岡山増解結のモハ164-500以外簡易運転台を常用した車両(=サロ)はいたのか?
本線上の定期運用で付属編成や増結車両がサロで切り離しになっていたものもなさそうだし
サロもビュフェ減車や冷改で向きを揃えられてしまったし 推測でしかないけど大垣区の東海用12連は
4両単位で分割して検査入場してたのではないかな
9〜12号車は中京快速との組み換えもあったりでさ
5号車サロの運転台が大変都合が良かったと思う >>731
いまさらと言われるかもしれんが、改めて。
東海運用が165系になったとき、中間のサハが無くなり、クハ2両になった。
TcMM’T’cTcMM’TsTsMM’T’c
1両減車して11両に
TcMM’Tc(またはT’c)MM’TsTsMM’T’c
Mcを転用して、運転台と非運転台の連結箇所を解消、確か静岡時代。
McM’T’cTcMM’TsTsMM’T’c
その後8両に。 東海は少しずつ165系に置き換えられていったけど
過渡期には3号車にクモハ入ってたりもしたね ク(モ)ハ165でシールドビーム改造車はそこそこあったけど、
クハ153とかクハ164、特に低運転台車ではどうだった? 鉄ピク2018-4だと記載が無かったので2001-10を引っ張り出してきた
低運80両中シールドビーム化は19両(うち2両はクハ164化後)
高運は57両中10両となってた
どちらも2両ずつ新快速色になってる >>736
T'cってあったの?
’ってパンタ付き車じゃない? >>741
Tcが片栓構造の場合、東海道線で下り向きのクハをT'cで区別することがある >>740
結構な数がシールドビーム化されてたんだな
そうなる前に廃車になっていたと思っていたので、意外だ
調べてみたら、クハ155にもシールドビーム化されたのがあったんだな
153系の塗色だけど、低屋根なので、余計におかしな感じがする >>742
165系のTcは下り向きがデフォだと思ってた。 >>744
中間がモハユニットでクモハ抜きなら奇数向きクハいるよね? >>745
確認
東海道本線の場合は偶数向きが上りで正解? あーごめん奇数偶数と上り下りごっちゃに
どれがどれだ? >>747
大垣(静岡)の急行車
偶数が下り向き、奇数が上り向きが基本
上り下りは東海道線基準
田町の153系も偶数下り、奇数上りだったはず、
ごめん、資料(国鉄電車編成表)片付けてしまって見えん。 クハ165って奇数向きも偶数向きも関係ないと思っていた >>750
冷房用電源の通しで固定されたんでない? 冷房用三相電源の引き通しで急行と近郊型は先頭車の向き固定されたね
あとMG有無とかで差異が
新製冷房車も同じ
特急型クハはどうだったか忘れた
(最初から冷房付いてるから両渡り形式はそのまま?) クハ481だと1000番台のみ片渡りだったと思う。 >>754
ドラマ編の中で、蛍が走って追いかけているのは急行「狩勝」。 富良野線経由ってそらちかと思いきや、狩勝も走っていたんだ。 161系って登坂力に重点置いて高速性能犠牲にしたから性能的には急行型だよね。 最初から特急の161はNG
157はスレ的扱い難しいけど準急急行運用実績あるし >>760
>157はスレ的扱い難しいけど
1に書いてあるのに何言ってんだ 昭和60年以降、上野口から交直流急行電車が廃止され普通運用になって以降は
仙台運転所の急行形は交直交換スイッチを交流側に固定し、直流区間は走行できなくなったという。 すぐにそうなったわけではなくて、60-3改正後しばらくの間は、
臨時列車で上京してくることも時々あったけどな。
セミクロス改造後の上京も、たしかあった。 ちょうど715系1000番台が投入された頃だから、
基本的に統一したのだろうね。 417系は下松で製造後、南福岡まで走った後、自走で仙台に向かってる。
営業運転で直流区間に入ったことはないんじゃないかな? 昔、鉄道雑誌で山手貨物線を走行する417系の写真を見た事があった気がする。 3両編成5本全部繋いで15両で仙台に回送したのか? 161系には反応したのに417系には反応しないんだね
どんな理屈なんだろか >>769
左翼マスコミみたいなもんよ。 格上権力は叩いて良し、下におもねる 交直切り替えスイッチの話から横道にそれてしまっただけだ許せ >>770
それ普通じゃん。権力者に媚び売るメディアなんて提燈文屋。あるいは何処ぞの社会主義国メディアかよ。 165系中央西線だと先頭に車掌乗ってたけど
国鉄の電車って基本最後部でしか客扱いできないんじゃなかった?
鍵式の車掌SWに改造されてたなら先頭でも客扱いできたのかもわからんけど >>751-752
誠文堂新光社の国鉄電車ガイドブック・直流編を見たら、冷房搭載時(新製時含む)に片栓構造になったと書かれています。 >>774
サロの車掌室でも扉扱い可能だったので
通勤型のような縛り(必ず最後部で操作)はなかったかと 模型富スレで宮原の12系のテールライトがガチャメだと話題になってますがこれって国鉄時代からなんですか?
原因わかりますか?
https://i.imgur.com/mqNf3VO.jpg >>779
オレも最初はその言葉、ナニ??って思ったけど、検索すればすぐ出るよ。
実車のコレ、カッコ悪いけど形態の変化としてはなんだかワクワクするわ。 ガチャ目って左右の視力差でも使ってたな、昭和の頃
0.1と0.8みたいな片方だけ要矯正の視力を 要旨と関係ないが
小学生がメガネ作る場合0.1と0.8だと0.8の方も矯正されるけどな 実車が間違っているか変形車?
事故復旧車なんて、貫通扉が埋められてツルペタになっていたりした。 何をどうやったらこういう形態になったのかこのスハフ
踏切事故とか考えにくいし
脱線だが事故復旧車か分からんが他形式の部品の使い回しで違和感バリバリのケースとか
個人的にはスレ外だが九州のキハ52の貫通扉
キハ40系からの流用と思しきものを装備して運転台との窓の横並びが崩れて凸な感じに 九州のキハ52は廃車になった58のドア
つけてるのが数両いたんじゃなかったっけ
2002年まで筑豊で残ったと思った。 >>788
貫通扉だね。
これをつけてる車は何かユニークな顔になってたね。 58・28の貫通ドアだね。なんで付いたんだかは不明だったけど
高千穂線移管、志布志・大隅線廃止以降枯渇する
52・20パーツより58・28パーツへの共用化という話が信憑性がある。 >>778
貫通扉のことだね。
都城駅で見たとき、目を疑うようなショックを覚えたよ。
窓の位置が変わるだけでイメージがまったく変わるものだね。 電車運転の急行能登路5号に475系を当てられなかったのはどうしてだったのでしょうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています