>90年代の小田急が通勤形車両を少数しか製造しなかったのは、複々線化の工事に投資を集中させたため。
>その複々線化工事も反対運動やバブル景気による土地価格高騰により、計画が大幅に遅れていたため、
>ラッシュ時のピークサイドに数本しか増発できなかったことから1000形・2000形は少数しか製造されなかった一方で、廃車も出なかった。

というより当時は束でも普通に60〜70年代の車両が走ってたから、小田急も通勤車を簡単に置き換える必要性は薄かっただけじゃないかな
ちょうど束で103が故障しまくったことが、関東の抵抗制御車の早期撲滅を推進する要因になったかと
だから小田急は3000まみれになってしまった